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上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。#26『ガーデンアパート』
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。#26『ガーデンアパート』

GIRLS’ CINEMA CLUB

上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#26『ガーデンアパート』

2019.06.07

実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
プレスリリース引き写しのサイトでは読めない情報をお届けします。今回ご紹介するのは『ガーデンアパート』。
家にもストリートにもいられない、あるいはどちらにもいたい人が愛と格闘する物語を
映像作家としても活躍するUMMMI.こと石原海監督が撮りました。
彼女はまだ20代。ガール世代の監督の作品をチェックしてみませんか?
今回はインタビューもあります! いつもの“おまけ映画”も一緒に選びました。

Text_Kyoko Endo

Interview with Umi Ishihara.

自由でイケてるババアを描きたかったんです。

インタビューで一人称が「アタシ」なのはなぜですか?と聞いたら、aikoの歌詞やインタビュー記事がそうだったからと意外な答えが返ってきた。「aikoがこの記事読んでくれないかな。いつかaiko撮りたいです!」
ーまずは上映おめでとうございます。
ありがとうございます。
ー表現手段として映画を選んだのはどうしてだったんですか?
映像自体は15歳ぐらいから撮り始めていて、もともとは小説家とか哲学者とか写真とか、そういうことをやりたかったんですけど、音楽もすごい好きで、だんだんと全部できるものがやりたいなと。あるひとつの世界をつくりたいって気持ちになって。それで映像を選んだって感じです。
ー最初はどんな機材で撮ってたんですか?
家にあった普通のデジカメの録画機能で。それをイメージフォーラム・フェスティバルに出したらヤング・パースペクティブ部門に通って、イメージフォーラムで映画見てたからすごくうれしくて、本当に映像やりたいなと思って、そこからバイトして機材をちょっとずつグレードアップさせて。いまでも覚えてます、あのときの喜びを。
ーロッテルダム映画祭の記事ではもう15歳の時に(シャンタル・)アッカーマンを見ていたってことだったんですけど。
アケルマンを見たのは17歳くらいになっていたと思いますけど、でもゴダールは15歳くらいで見ていました。15歳くらいから渋谷にあるシネマヴェーラに行き始めて、いろいろ見るようになりました。いわゆるドラマじゃなくてもっと実験的なエッセイフィルムとかアートに近いような映像に出会いました。
ー虚構と真実を混ぜこぜにするっていう発言もされていてすごくおもしろいなと思ったのですが、ドキュメンタリーではなく劇映画を撮られたのはなぜですか?
もともと劇映画よりもっとビデオアートに近いものを撮ろうとしていたんですけど、大きなきっかけは4年前に山形国際ドキュメンタリー映画祭に行って、映画祭の熱狂みたいなものに感動して、10分の短い映像と、1時間なり2時間なりの映画とでは違う、人々がある物語を共有するひとつの世界をつくりたいと思って。短編で人生が変わることってあんまりないと思うんですけど、長編では人生変わったって人は結構いる。見る前と見た後で自分自身が別人になってしまうような映画を撮りたいと思っていて、それが長編のドラマだったってことですね。
ー制作過程も大変だったと思うんです。クラウドファンディングで資金集めされて、最初は録音さんや照明部が必要だってことも知らなかったとi-Dのインタビューで答えてらっしゃいましたけど、実際にどうやって制作したんですか?
映画の勉強はしてこなくて、芸大で現代美術の勉強してきたんで、全然やり方がわからない。でもだからこそ長編映画を撮れたんだと思っています。実際の予算は70万(円)くらい。基本的に70万で長編映画撮れるわけないじゃないですか。コマーシャルとかの現場って、30秒の映像に70万円とか予算があることって普通によくあるじゃないですか。でもそうゆういろんなことを当時はわからなかったからこそ、70万円で映画が作れると思って、制作しました。実際はすごく大変でしたけど…。映画の現場にも行ったことなくて、人の映画を手伝ったこともなかったし、だから現場経験豊富なスタッフさんに「これはこうするんだよ」「制作さんがいてね」とか、ゼロから学んだ感じで。でも映画のいいとこって、撮れば写るじゃないですか。やればできる!みたいな。この瞬間だって撮れば映画になる。
ーそういう経験豊富なスタッフはどうやって集めたんですか?
だいたいが友だちです。録音マンが知り合いの知り合いで。メイクさんはメイクをやりたいってメールで連絡をしてきてくれて。照明も美術も10代からの親友がやってくれたり、カメラマン…DoP(撮影監督)はそのとき付き合ってた人。
ーじゃあ思い出の映画ですね。
そうです。もう別れちゃいましたけど。
ーなるほど。じゃあ人件費もあって低予算でいけた…。
そうですね。友だちにはノーギャラで出てもらったりもして。だから技術的にいいとは言えないものなので…。
ーいや、映像きれいでしたよ。さすがに映像作家さんなので、切り取り方が美しいというか、例えば京子たちが夜の街をハコ乗りするところとか、ヤンキーみたいにも撮れるわけじゃないですか。でも映画的に美しいんですよね。
ありがとうございます。アタシのなかでもガールズギャングみたいに撮りたいというのがありました。
ーご自身でもストーリーがあるからこそ手探りでも作り上げられたんでしょうか。右も左もわからないなか、つくってこられたのは海さん自身の頭のなかにもう像があって、ギャングを入れたいとか、ディテールまではっきりしていたんですか。
いつも絶対撮りたい画が決まってて。「これが欲しい!」みたいなの。「ここのスペースはこのくらい空けてほしい」みたいな。頭のなかに思い描く欲しい画に向かっていきたい。映画のおもしろいところって人間(相手)だから、どれだけDoPにこのスペースあと3センチあげてとか言ってもできないときはできないじゃないですか。動いてるし。そうやって自分がやりたいことと他者との間でバグが生じて、それを全部許していく。許すことによってみんなでひとつのものを作り上げるってことがすごい楽しくて。
ーじゃあファインアートの制作のときはバグは排除していく感じですか?
いやもうバグばっかですよ(笑)。バグをどれだけ愛せるかみたいな話になってくる。例えば親がめちゃくちゃだったとするじゃないですか。でも親だから愛しちゃう。子どもを産んだとしていろいろな事件があったりしてヤバい奴だったとしても愛しちゃうみたいな感じで、映画撮るときも「絶対この画が欲しい!」ってそこに向かって進んでいくんだけど、バグが生じて、それを楽しむんじゃなくて、まあしょうがないけど愛しちゃう、みたいな。そういう感じですかね(笑)。
ー親がめちゃくちゃと言えば、主人公のひとりの京子は母親の狂気みたいなものを表現しているのかなと思ったんですけど。
アタシの母親、かなり変なひとで。産んだ母親と、お父さんの新しい奥さんと2人いるんですけど。親っていうより、仲のいい近所の面倒見のいいお姉さんみたいな距離感の人。母親の狂い方って、母親でしかこういう狂い方をしないだろうって狂い方じゃないですか。
ー背景知識なく最初に映画を見たときに京子って母親だなと思ったんですね。ひかりは逆に「心のままに動くのは危険だ」みたいになっちゃって、自分から身動きが取れない子どもみたいになっちゃってると思ったんです。だから、ああいう年齢の女性を中心に持ってきたことに興味を引かれたんですよね。
自由でイケてるババアを描きたいという気持ちがいつもあって。イケてる若者が出てる映画っていっぱいあると思うんですけど、歳を取るにつれて、結婚して、子ども産んで、仕事もしたりして社会に適合していく。いま(若いうち)は全然適合できてないと思っても気づいたら適合したりしてて。歳を取るにつれて自由になるというのは…タイプの違う自由になるけど、それをモラルのない形で社会に反して自由でいるババアを描きたい。なんかそれが自分にとっての希望っていうか、当たり前だけどアタシもアタシたちも人々は年老いていくのだから、若者ばかり描いてもそんなに意味がないっていうか、これからの自分の未来に向けて希望を置いておくような感じで年上の自由な人を描きたかった。あとはなんかめちゃくちゃな人を。アタシ、ジーナ・ローランズが好きで。
ーああ〜〜〜〜! なるほどね! かっこいいですよね!
ああいうタイプの中年女性すごいかっこいいじゃないですか。ジーナ・ローランズがいるから「早くババアになりたいな」とか思ったりする。ああいうかっこいいヤバいババアになりたい。あとは2人の強烈な母親たちからすごい影響を受けていて、どっちの母親もちょっと京子っぽいんですよ。お酒とか好きで。
ー登場人物それぞれなんでああいう名前にしたんですか?
まずアタシにはふたりの大好きな女がいます。ひとりはジーナ・ローランズで、もうひとりは京マチ子。京子についての理由はふたつあって、めちゃくちゃ京マチ子が好きなのがひとつ。それにひいおばあちゃんと同じ名前だからという(笑)。ひかりっていう名前は、映画って光がないと投影されないし、映画館で上映するようなタイプの映像作品にしたいっていうのがあって、ひかり。太郎はありふれた名前、まっすぐな存在としての太郎。世界は、世界の象徴のようなもの。それが交差していく、ひかりと太郎、京子と世界っていう、具体性と抽象性みたいなものが入れ替わるのを名前を通して表現できたらいいなと思って。
ー太郎ってすごく普通の子なんですよね。そういう名前をつける親もまっすぐっていうか…。
でも役者さんの演技のせいもあって、最初は普通なのにどんどん狂気に向かっていくんですよね。
ー京子に誘発されるんですよね。ところでいろいろなインタビューで「ひとりぼっち」という言葉をよく見かけたのですが、いまでもご自分をひとりぼっちだと思いますか?
思います。(即答)
ーそれは制作過程の孤独とかそういうことですか?
ただ、人間として生きているなかで、ひとりぼっちだなと思うんです。
ー人間はひとりで生まれてひとりで死んでいくわけですから究極的にはそうなんですけど、ひとりだなってことに向かい合っていくと怖いことになるからみんな見ないようにしてると思うんですよね。
大丈夫なときと大丈夫じゃないときがあって、基本的に「人から愛されてないんじゃないか」みたいな気持ちがめちゃくちゃあって、友だちもいないし、誰もアタシのことなんて気にしてないし、ひとりぼっちだっていう感覚が常にあって、物とかつくるのも、アタシがただ人間として…なんだろ、そんなにすごくいい人じゃないんですよ(笑)。いい人じゃないから人間としてただ生きているだけでは誰からも好かれないだろう、っていうのがすごくあって(笑)。
ーいやいや!(笑)
映画とかつくったり、文章とか書いたりしたら、それを通してアタシを好きになってくれる人はいるかもしれない、といつも思っています。勉強して東大入って官僚になってっていうので愛されるだろうと思っている人もいると思うし、じゃあアタシはいっぱい勉強していろんなものを見て読んでおもしろい変な人たちと出会ってヤバい話いっぱい仕入れて、そこから自分で何かつくって、それを通して誰かに好きになってもらおうって魂胆もあるかもしれないですね。いま初めて思いましたけど。思ったからこそ、つくるがゆえ、常にひとり。つくればつくるほどひとりになっていくっていう感じもありますけど。
ーでもノーギャラで協力してくれるお友だちがあれだけいたわけですから…。
そうなんですよね。アタシもよく「ひとりだ」っていうと「何言ってんの?」って言われるんですけど(笑)。友だちには恵まれてると思います。
ー酔っ払うと絡んだりするほうですか? いくつぐらいから飲んでます?
いまと同じくらい飲むようになったのは15歳ぐらい。15歳から17歳くらいにかけて、1日に5本とか映画見てたんですよ。家で映画を観ていると酒を飲む以外ほかにすることがなくて…ってこんなこと言うとアル中みたいで本当に嫌になってきますが。アタシ、マルグリット・デュラスが大好きで。彼女もアル中になってしまって、母の狂気っていうものに取り憑かれていて。彼女に自分自身を見出すっていうか、でもデュラスのようにならないように酒を控えようと思ってます(笑)。もうあんまりお酒の話したくないです(笑)。
ー失礼しました(笑)。京子が酔っ払って田村隆一を暗唱するのも気になったんですよね。どうして田村隆一だったんですか?
いちばん好きな詩人…日本人のなかでは。16歳のときに『腐敗性物質』を読んで、そこから物事の見え方がすごく変わって、自我だと思っていたものが思い込みだった、自分で新しい自分を見つけたと思ったんです。いまでもしんどくなると『腐敗性物質』を読みます。それでアタシが田村隆一の詩を読んでまったくそれまでと変わったように、映画でもそうなるといいと思って、映画のなかでも使わせてもらったってことです。
ーじゃあ好きなものがいっぱい詰め込まれた映画ですね。最初はどうやって公開しようと思っていたんですか?
いつも通り、映画祭に応募しようと思ってたんです。でもそれも結構落ちていたタイミングで、ロッテルダム映画祭で上映が決まって本当にびっくりしたんです。映画祭が終わったら自分で上映会しようと思ってました。それで一回原宿の「GALAXY銀河系」でライブつき上映会をしたら、キャパ満員でチケットも売り切れるくらいいっぱい見に来てくれて。もうそれでいいと思っていて、まさか劇場公開されて全国に行くなんて本当に思ってなかったです。…なんか、気が重い…。そんないい映画じゃないのにそんなにいっぱい人見に来ないでくれとか思って。
ーいやいやいや!(笑)
見に来てほしいんですけど!
ー確かに一般ウケを狙った作品ではないじゃないですか。
全然違います。
ーでもそのうちの何人かに届けばいいと思ってつくってらっしゃるんだろうなと思いました。
つくってるときは、これをいいと思う人しか見ないと思ったんです。劇場公開することによって、これをいいと思わない人も巻き込まれて見ることになるじゃないですか。それが怖いっていうか、プレッシャーだし…。まあでも普段まったく映画を見ない人が「えっ、すごい、なんだこれ!」ってなるかもしれないし、まったくわかんない。
ーただ、映画ってすごくおもしろいメディアだなと思うのは、強制力があるじゃないですか。チケットを買って席に着いたら、まあ途中で席を立つ人もたまにいますけど、よほどのことがなければ最後まで見る。テレビみたいにすぐチャンネル変えたりできないので最後まで付き合わざるを得ない。でも、この映画気持ち悪いとかこの登場人物やだなと思って見ていても、最後まで見たら「なんか全然違った。見てよかった」と思う作品ていっぱいあるわけで、その何時間か拘束されるところこそが映画のおもしろさなので。
しかも完結するのがいいですよね。アタシのなかで『ガーデンアパート』を上映することで唯一いいなと思っているのが、人は頑張って何かをつくってもおもしろいものが作れないこともあるわけじゃないですか。でもおもしろくないものをつくっている人もこの世にいるってことを知るのも大切っていうか。
ー(笑)。
何言ってんだって感じですけど(笑)。でも常にいいときばかりじゃないから。落ち込むこともあるし、最悪なことのほうが8割とかのなかで、しんどいときもあるし、しんどい映画もあってもいいのかなと。しんどい映画を、しんどいまま観客に観てもらうというか。ヘーゲルの弁証法のおもしろさって、本を読みながらわかんない、わかんないって本とぶつかることそのものが弁証法になっているなと思っていて。『ガーデンアパート』も結構しんどい映画で、アタシもしんどいときにこれを作ったし、いわゆるエンタテインメント的なおもしろさはない…こんなこと書いて誰も来なかったらどうしよう!(笑) でもしんどい時間を共にしながら、人生にそういう側面があるってことを知る体験のような映画になるといいなと思ってます、誰かにとって。

『ガーデンアパート』を観た人は、こっちも観て!

今回は石原監督からも作品を選んでいただきました。大好きなジーナ・ローランズと京マチ子の出演作。もう1本は、やはりインディーズ出身の山本政志監督の代表作。すべてデジタルリマスターされています。

『こわれゆく女』

土木監督という職業柄、家に不在がちな夫と、夫を愛しすぎるあまり夫の不在に耐えられなくなり精神のバランスを崩した妻。ジーナ・ローランズが夫ジョン・カサヴェテス監督とつくり上げた夫妻の代表作。涙なしには見られません。
公式サイト

『赤線地帯』

今年5月14日に95歳で亡くなった京マチ子。本作は戦後間もない東京の公認で売春が行われていた地域で身をひさぐ娼婦たちの群像劇。溝口健二監督の遺作でもあります。京マチ子はポニーテールにサブリナパンツのミッキー役で超かわいい!
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『ロビンソンの庭』

アピチャッポン・ウィーラセタクンが現れる15年前に、山本政志監督は圧倒的な自然の魔力を映像に写し撮っていた。町田町蔵、じゃがたらのアケミやotoなどミュージシャンがずらりと出ていたことも当時は話題に。7月にK’s cinemaで公開!
公式サイト