Girls Just Want To Have Fun!
    

Can't stop drawing
アーティスト、バリスタ、モデル。3つの顔を持つ中瀬 萌が描くもの。
            Photo_Kenji Nakata 
Translation_Arisa Takahashi
            Translation_Arisa Takahashi
                JAPANESE
                ENGLISH
            
        SNSが生活に欠かせないツールとなったおかげで、
以前に比べて格段に個性や才能がフックアップされやすくなったこの頃。
いまストリートではどんな女の子が活躍し、局地的に話題を集める彼女たちは何を考えて生きているのか?
今回はバリスタとして働きながらモデル、アーティストとして活動し、
昨年RADWIMPSの野田洋次郎さんのソロプロジェクト illionの『Water lily 』のCDジャケットを描いた
中瀬萌さんを、彼女のアトリエでインタビューをしました。
            
                        アーティストの中瀬萌、バリスタの中瀬萌、モデルの中瀬萌。
人それぞれの感じ方でいいかなと思います。
                        - まずは自己紹介をお願いします。
 - 中瀬萌です。コーヒーショップでバリスタとして働きながらフリーランスでモデル、そしてアーティストとして活動をしています。
 - それぞれはじめたのはいつからですか?
 - 以前入っていたモデル事務所を辞めるタイミングだったので、全部2年前くらいですね。
 - どういったサイクルでそれぞれの活動をしていますか?
 - 私自身は生活の基盤としてバリスタの仕事をしつつ、数ヶ月に一回、2週間くらい休みを取って、アトリエにこもりながら作品を作って展示をするというサイクルがすごいよくて。頼まれればモデルの活動もしています。周りからは「何をしているの? 」ってよく聞かれるんですけど、人それぞれの感じかたでいいかなと思っています。アーティストの中瀬萌、バリスタの中瀬萌、モデルの中瀬萌でも。自分から発信するならアーティストがいいかな。
 
                        最初はストレスの発散でした。
- アーティストとして絵を描きはじめたきっかけはなんですか?
 - 最初はストレスの発散だったんです(笑)。ちょっと行き詰っているときがあって、そのときに絵を描くというか手を動かしていたくなって。そこに紙とペンがあったからという感じなんですが、なにかしら書いていると気が紛れて落ち着いたんですよね。それで線画やイラストを描くようになって、いまの活動につながっていったと思います。
 - 昔から絵を描くことは好きだったんですか?
 - 両親が東京藝術大学の卒業で、しかも父親が作家ということもあって、小さい頃からアートを肌で感じられる環境にはいました。父がアトリエを欲しいからって、都内から相模原まで引っ越してきたくらいなので(笑)。ただ、絵を描くことが特に好きというわけではなく、木材などの素材を使って何かを作ることが好きでしたね。
 - 図工や美術の時間は得意でした?
 - いちばん得意でした。自分の作った作品が入賞したり、書いた絵が学校のパンフレットになったりして。他の教科はすごく悪かったですけど。父親と母親も「美術がよければいいんじゃない?」って(笑)。
 - アーティストとしての初めての仕事を教えてください。
 - 初めての仕事は、働いているコーヒーショップで出会ったオーストラリア人のひとから。そのひとがオーガナイズしていたThe Lagerphonesっていうオーストラリアのバンドのライブポスターを描きました。
 - そのときはどのような絵を描いたんですか?
 - まだアーティストとして活動し始めたときだったので、手当たり次第でいろんな系統のものを描いていた時期でした。特に雑誌でみるような挿絵が好きで、The Lagerphonesのメンバーをイラストで描きました。
 - イラストレーターとしての初めての仕事はどうでしたか?
 - The Lagerphonesのメンバーもすごく喜んでくれて、ライブを観に来ていたお客さんも、いいねって褒めてくれて。目に見えて反応がわかったのでとてもうれしかったですね。
 


言葉で表さなくても、自分の描いた絵で気持ちを共感してもらえるのがうれしい。
- いまはどういった作品を作っているんですか?
 - エンカウスティークという技法を使って作品を作っています。ローソクのもとであるビーズワックスを溶かして、そのなかに粘り気のある樹脂と油絵の具を混ぜて絵の具を作り、それを再び熱で溶かしながらキャンパスに描いていくというものです。色をのせて、層を作っていくイメージで作っていますね。
 - なぜその技法に?
 - 色の変動がすごくおもしろいんですよね。ガスバーナーで溶かすと、絵の具が流動的になって。同じものを意識的に作ることが絶対にできないし、色を重ねていくことでそれがどういう風になるか最後までわからない。だから色を重ねていくなかで「ひとつ前でやめておけばよかったな」と思うことがよくあります(笑)。
 - いつからこの作風になったんですか?
 - 始めた当初は線画を描いていました。そのときは自分のなかで集中して、自分に閉じこもって描く作品だったんですが、もうちょっとダイナミックな作品を作りたいなと思って。いまの作風のものは自分のなかで溜まっていた気持ちを吐き出す感じですね。インとアウト。
 - 1枚の作品を作るのにどれくらいの時間がかかっていますか?
 - サイズにもよりますが、3-4日くらいです。
 - どういった気持ちで描いていますか?
 - こうしたほうがいいなっていうのを考えすぎないように描いてます。それを考えすぎてしまうと自分の好きなアーティストの作品や見たことある絵を作っちゃうんで。ちょっとでも見たことあるなっていうものを作ったら全部作り直していますね。
 - インスピレーション源はありますか?
 - インスピレーションというより、気持ちの共感を大事にしています。
 - 気持ちの共感というのは?
 - 私、一人がすごく好きなんですが、そのぶん寂しがり屋で。矛盾してますが(笑)。だけど、東京に出てきていろんなひとと接していくうちに、自分だけじゃなくて意外とみんなそうなんだなって思って安心したんです。それは絵でも通ずるところがあって、自分の描いた絵が言葉で表さなくても、作品の表現として寂しさや喜びを共感してもらえるのがすごくうれしかった。
 
                        
                        常に変化し続けていきたいなと思います。
- いままで作品の展示などは行ってきましたか?
 - 3回やりました。1回目は那須に住んでいる叔父が作ったギャラリーで個展を、2回目は西小山のギャラリーでグループ展、3回目は2回目のグループ展のメンバーで、ニューヨークで展示を行いました。
 - 初めて行った個展はどうでしたか?
 - アーティストとして活動を始めた頃だったうえに都内から遠い場所での展示だったのですが、家族はもちろん、友人や働いているコーヒーショップで話したことのあるお客さん、インスタグラムを見てきてくれた方など思ったよりたくさん来てくれましたね。うれしくて展示期間中5回くらい泣きました。
 - 家族からの展示の感想は?
 - 父親からは作品に対してすごくいろいろと言われて、そこで初めてケンカをしたんです。たぶん、子供としてじゃなく一人のアーティストとして見られたからかも。そのときも必死に作品を作っていたけど、それと同時に反省点もたくさん見えた展示でしたね。
 - 2回目、3回目のグループ展はどうでしたか?
 - モデルの仕事で知り合ったひとが西小山でグループ展をするからと誘ってくれたのがきっかけです。そのギャラリーがニューヨークのギャラリーと提携していて、ニューヨークでも展示を行うことになりました。
 - ついに海外で! ニューヨークではどのくらいの期間展示をしていたんですか?
 - 3週間です。そのうちの1週間は私もニューヨークに行きました。
 - ニューヨークに行くのも初めて?
 - 3回目でした。1回目は学生の頃、2回目はモデルの仕事で。今回はアーティストとして行ったので、だんだん自分の環境が変わっていくなかで訪れられるのはうれしいことですね。ちょっとずつ「成長しているかな?」って、現状確認する感じで。
 - 楽しかったですか?
 - とても。ニューヨークに住んでいるもともと知り合いだったアーティストやインスタグラムで繋がっていた人が展示を観に来てくれたりして。直接感想や意見を聞くことができてよかったです。
 - 自分の展示のほかにもギャラリーなどは行きました?
 - 30軒くらい行きました。いままで訪れたときも行ってはいたんですけど、見方がすっかり変わったなって感じています。
 - 見方というのは?
 - 当初は、そもそも「表現ってなに?」っていう状態だったんですけど、いまは作り手側の気持ちに立って見られるというか。アートの表現ってわからないものはわからないんですけど、「なんなのこれ」っていうネガティブな捉え方ではなくて、「こういう表現もいいんだよね」って思うようになりました。
 - いまの自分の作品をどう思いますか?
 - 作ることが好きだから作品も好きです。人に見て欲しいけど人前にだすにはまだまだだなとも思うので、そのもどかしさはありますね。常に今後は楽しみだけど、変化し続けていきたいので次は何を作ろうかなという不安も同時に抱えています。
 - 展示以外になにかお仕事で印象に残っていることはありますか?
 - RADWIMPSの野田洋次郎さんのソロプロジェクトillionの『Water lily 』のCDジャケットを描いたことですね。中学生のころからずっとRADWIMPSを聴いてきてすごく憧れのひとだったのでとてもうれしかったです。家族にもすぐ連絡しました(笑)。
 - それはどういう経緯で?
 - 野田さんがインスタグラムから作品を見てくれたのがきっかけです。描いて欲しいと連絡をいただけて。もとから共通の知り合いがいて、その方がつなげてくれました。ジャケットになった絵も購入してくださって、本当にうれしくてたまらなかったです。
 


絵を描くことは私にとってみんなが仕事をするのと同じ感覚です。
- 萌ちゃんにとって絵を描くことってなんですか?
 - 広く言う会社に勤めて働いている方々となにも変わらないです。私にとってなにかの手段でもツールでもなくて、仕事をする感覚ですね。仕事や生活を全部含めたものの完成形が絵を描くってことだと思っています。日本はアートがあんまり浸透していないから特殊に見られたりするけど。
 - アートに対して思うことは?
 - どの職業もエキスパートがいると思うんですけど、アートに関してはエキスパートはいないなと思っています。
 - 具体的にいうと?
 - 例えば、3歳の子どもがはちゃめちゃに書いた絵もアートになるとか。どんな風に書いても、その作品がアートってなればアートじゃないですか。この思考の広さや考えの自由さが心の解放度につながる気がしています。アートってひとそれぞれで感性のレベルが違っていて、いいも悪いもないし正解も不正解もない。だからエキスパートっていうのもいないと思うんです。アートって言っておけばこれでいいじゃんっていうアートならではの考えがわたしはすきですね。
 - 自分の作品を通して伝えたいことは?
 - ニューヨークで展示をした際、ちょうど同じ質問をされました。向こうだと作品のコンセプトや伝えたいものを必ず聞くらしいんですが、私はまったく答えられませんでした。それは私自身、いまは自分のことで精一杯だからだと思います。だけど、この質問をされてもっと広いところから訴えられるようなものを持つべきだなと思っていたところなので、作品を通して自分なりに伝えていけるなにかがこれから見つけられたらいいですね。
 - 今後やりたいことは?
 - 作品を作ることにもっと集中したいです。個展もやりたい。あとは、日本人が全然いなさそうな街へ旅がしたいですね。
 - それはどうして?
 - 去年、父親が作品を作るためにインドへ行っていたんですけど、それについて行ったんですよ。ヒマラヤ山脈の中心部から離れたところに住む部族の村へ。そこの村は村人が旅人を歓迎するところで、泊まる場所や食べるものを提供してくれるんですけど、その代わりこっちは自分たちができることを村に提供するんです。そのとき、そこで作った作品をプレゼントしたり、現地のひとと作品を一緒に作りました。言葉はまったく通じないけど、ジェスチャーでやり取りして。すごく楽しかったんです。こうやって見知らぬ土地で現地のひとと何かを作るというのもまたやってみたいなと思いますね。
 - バリスタ、モデル、アーティストと3つのバランスはこれからも続けていきますか?
 - いま1本だけに絞ると頭がおかしくなっちゃうかも(笑)。というのも、ただアトリエにこもって作品を作っていても、人と話さないと得るものも少ないし。だから、東京には居たいと思っています。ぎゅっと詰まっている東京から、アトリエにきてホッと解放されて、また東京でスイッチを入れに行くっていうタイミングが自分にとってすごいよくて。モデルとしての活動も、公にでることを恐れないことや表現として自分を恥ずかしがらないという部分でとてもプラスになっているので、いまの状態を保っていけたらなと思っています。