GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#115『旅人の必需品』
実際に観ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
監督デビュー30周年を迎え、
来年の3月まで毎月1本監督の新作が封切られる特集上映「月刊ホン・サンス」が11月からスタート。
さらに2014年以降の過去作5本を上映する「別冊ホン・サンス」も同時上映されます。
監督の映画で「寝ちゃうんだよね」という声も聞かないではないが、
だからと言って観ないのはどうなんすかねとニュートラルに考えてみました。
Text: Kyoko Endo
眠ったっていい? ホン・サンス映画の楽しみ方
私小説的と言われる作風で大手制作会社とは一線を画しながら、カンヌ、ロカルノ、ベルリンなど世界の映画祭で高く評価されるホン・サンス監督。作品の魅力は、私にとっては、ふとした出来事や会話であっけなく変わってしまう、人間の感情の揺らぎが描かれているところです。出演者に脚本は前もって渡されず、当日の朝数行の台詞が届くのみ…など演出方法も独特。だから俳優の会話がリアルになるのでしょう。撮影クルーもミニマルで『旅人の必需品』は、監督自身がカメラも回していたそうです。
主演はイザベル・ユペールですが、衣装は自分で選んで持ってきたとトークショーで語っていて、これにも驚きました。なぜかというとイザベル・ユペールはゴダール、シャブロル、ミヒャエル・ハネケなど数々の名匠の作品に出演していて受賞歴も多数、文芸作だけじゃなくニール・ジョーダンやポール・バーホーベンの娯楽作でも主演を張るレジェンド中のレジェンドだからです。そんな人が自主制作映画みたいに自分で衣装を…。
イザベルが今回演じるのはふわふわと日常を楽しむ妖精のようなイリス役。フランスからソウルにやってきて散歩のように旅行する彼女の日々が描かれます。イリスは生徒の家で、独特な教授法でフランス語を教えています。それは、生徒が表した感情をフランス語に訳して、生徒が自分でそれを繰り返して覚えていくというもの。友だちのように優しく、でも繰り返し生徒の感情を聞くイリスは、自分の感情を掴み取れと観客にも言っているかのようです。そうして生まれた言葉は詩的で美しく、風景とともに心に残ります。
しかしホン・サンス作品は映画ファンの間でも好き嫌いがはっきり別れるのです。嫌いというよりは苦手だという皆さまが一様に複雑な面持ちでおっしゃるのが、寝てしまうという点。他ならぬホン監督のプロデューサーだったキム・チョヒ監督の『チャンシルさんには福が多いね』でも、キム監督の分身のような映画プロデューサーのチャンシルさんにお父さんが言っていました。「お父さん、あの人の映画観ると眠くなっちゃうんだよ」と……。
確かに、日常の気持ちの変化を掬い上げるような作品ばかりだし、パニック映画のようなことは何も起こらず、大きな効果音もない。暗い映画館の中で静かな会話がずっと続くので、白状すれば、私もホン監督の映画で寝たことは複数回あります。しかしそれは睡眠時間を削ったこちらのコンディションの問題だったかと思います。前の晩にしっかり寝ておいてから映画を観れば、たぶん寝なくてすむ。
でも、そもそも眠くなる映画は良くない映画なのでしょうか。すると寝ている人をよく見かけるゴダールやロメールやアピチャッポン・ウィーラセタクンも? いい映画はタランティーノとノーランだけですか?しかし寝る側に映画そのものを受け取る余裕がないケースも見かけます。
先日、東京都写真美術館のペドロ・コスタ展を見てきましたが、写真のように見えるけれどじつは映像という作品群を、じっくり観ないで足早に通り過ぎる人を何人か見かけました。人は動いていないのにミシンとテレビだけが忙しく動いているような映像には機械に翻弄される社会への批判がこめられていると思うのですが、情報を受け取る余裕もなく歩いて行ってしまう人がいる。一瞬でわかるように工夫された映像があまりにも氾濫しているから何かをゆっくり観ることに慣れていないのかもしれません。早い映像に慣れすぎて、ゆっくりした映画で寝てしまう人もいるかも。ホン・サンス作品でも同じようなことが起こっているのかもしれません。
しかし、いい映画では寝るものだと断言なさる監督もいるのです。それは、今年の山形ドキュメンタリー映画祭『亡き両親への手紙』で審査員特別賞を獲得なさったイグナシオ・アグエロ監督です。監督のお父様が監督の上映会に来て寝ていた夢を見たというモノローグが作品中にあったので、寝てしまう観客についてどう思ってらっしゃるのかQ&Aセッションで質問したところ「私もよく映画で寝る。映画に刺激されて眠るのは素晴らしいことだ。映画を観ている間に寝てちょっと夢を見てまた起きて映画を観ると、映画と自分の頭の中がつながったかのように感じる。悪い映画では寝ない。寝るのはいい映画のときだけだ」と驚きのお答えが返ってきたのです。
私もそうでしたが、多くの人は映画を見ながら寝てしまうことに罪悪感を抱いているのではないか、それか、映画代を100%回収できなかった、もったいない!などと思っているのでは。だから寝る映画→観に行かないようにしようと思っているのでは。でも、寝てもいいみたいですよ。私はこのアグエロ監督のお答えを聞いてむしろ目が覚めました。つまり映画というものはもっとリラックスして楽しんでいいものなんでした。
月刊ホン・サンスは本作を含んで5ヶ月続きます。12月はホン監督のミューズ、キム・ミニさん主演の『小川のほとりで』で、これも私は大好き。1月はピン甘〜ピンぼけで実験的に撮られた『水の中で』が公開に。目を皿のようにして観ながら好きなセリフや言い回しをメモしても良いし、半分眠りながら観たって良いと思います。
『旅人の必需品』
脚本・監督・製作:ホン・サンス出演:イザベル・ユペール、イ・へヨン、クォン・ヘヒョ、ハ・ソングク(2024/韓国/90分)
配給:ミモザ・フィルムズ
11月1日(土)より全国ロードショー
『旅人の必需品』だけじゃない!そのほかのおすすめ映画
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遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』、『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
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