Everything Is In Cycle!
デザイナーcomiがたどり着いたcycle。
そこから見えてくる“繋がり”の魅力とは?
思いがけない出会いが人生のターニングポイントになることってありませんか?
毎日いろんな人と知り合えて、日常に出会いが溢れている世のなかだからこそ
それをチャンスに繋げられるかどうかは自分次第。
2020AWから〈M.Y.O.B.NYC〉のデザイナーを務めるcomiさんによる
新レーベル〈サイクル(cycle)〉が始動します。
〈M.Y.O.B.NYC〉を始めたニューヨークでの出来事から、「ラフォーレ原宿」への出店、
そして〈サイクル〉の誕生までのエピソードを聞いてきました。
comiさんの一歩踏み込んだ人との“繋がり”は、きっとお手本にしたくなりますよ。
[INTERVIEW]
Photo_Hajime Kitani
[VISUAL IMAGE]
Photo&Direction_Maharu Ohta
Styling_Tatsuya Shimada
Hair&Make-up_Tori.
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NY
毎日のように誰かと繋がって、自然と広がるコミュニティ。
- ー「服をつくるときにコンセプトは意識していない。つくりたいものをつくったらそれが反響を生んでいった」というインタビューを読みました。ニューヨークではどんな人たちがブランドを支持してくれたんですか?
- ニューヨークにいたのは10年前なんですけど、当時はいまと全然違うスタイルで、もっと派手でカラフルなアクセサリーをつくっていました。“FUCK”や“SLUT”とかって書いてあるような(笑)。それを付けて歩いていると、たくさんの人に声をかけられたんです。クラブはもちろん、地下鉄に乗っていても。「君のアクセサリー、かわいいね」って話し掛けられて、そこから話が盛り上がってお互いの連絡先を交換するって感じで。いま思うと、私が付けていたアクセサリーにいろんな人たちが興味を持ってくれたことが、人生のターニングポイントになったのかな。
- ーニューヨーク流というか…。日本ではなかなかない出会い方ですね。
- 初対面でもかなりグイグイくるから「No, thank you」と言い返すこともあったくらい(笑)。でもそういう出会いが多い街だからこそ、ブランドを始めるきっかけにもなったのかなって。
- ーなるほど。そのなかでも印象深い出会いはありますか?
- 『セックス・アンド・ザ・シティ』のスタイリストをしているPatriciaに会えたことです。彼女がオープンした「Patricia Field」というお店があるんですけど、偶然そこで働いている女の子と知り合って「本人を呼ぶから、明日あなたのアクセサリーを持ってお店に来て」って。私、めちゃくちゃ『セックス・アンド・ザ・シティ』が好きで、なんならそれに憧れてニューヨークに行ったくらいなので、夢のような話でした。
- ー憧れていた人とも繋がれる街なんですね。
- そうなんです。「絶対、嘘!」だと思って、お店に行ってみたら本当にPatricia本人と会えて! すぐにお店で取り扱ってもらえることになりました。他にも連絡先を交換した子が、有名なアーティストのマネージャーで、「明後日のライブであなたのアクセサリーを付けたいんだけど」っていきなり電話がくるとか。そういうことが普通に起こり得る街でした。英語はそんなに話せなかったので、自分で営業はそんなにしていなくて、最初は「どうしたらいいんだー!」って思っていたけど、声をかけてくれる人がいたから、どんどん繋がりを広げられたんです。
- ーニューヨークではどのエリアを拠点にしていたんですか?
- ブルックリンのプロスペクトパークです。当時レゲエカルチャーが根強い街だったんで近所にはラスタマンばっかり住んでいて(笑)。
- ーだからその当時につくっていたアクセサリーはカラフルなものが多かったのでしょうか?
- そうですね。当時は私自身もヒップホップやレゲエがめちゃくちゃ好きだったんですよ。アーティストで言うとM.I.Aが世代だったので、レゲエや民族っぽさがあるような不思議な感じに憧れがありました。しかも、後にM.I.A本人が〈M.Y.O.B.NYC〉の服を着てくれたんです。まさに“Dreams Come True”でしたね。
- ーアーティストとの繋がりまで! 他にはどんな音楽を聞いていたんですか?
- ウータン・クランとかゴリゴリのヒップホップを聴いてました。私がよく行っていたブルックリンのパーティはラスタマンばっかりで、レゲエとヒップホップをミックスした感じ。物々しい雰囲気で入るのに勇気がいるようなところばかりでしたね(笑)。
- ーそういうパーティで繋がった人たちはいましたか?
- ブルックリンのウィリアムズバーグにいるような子たちのパーティに行ったときは、ローカルなファッション関係のニューヨーカーと知り合いました。他にも、古着ミックスのスタイルがイケてるパンクスの女の子がいるようなエリアにも行っていたので、そこではよくモデルハントをしていました。
- ーモデルはそういうところで見つけていたんですね。
- そう、街とかクラブでハントしまくってました。ニューヨークに来たばかりのヘアメイクをしていた友達と『B5000ART PROJECT』というアートプロジェクトをやっていて、私はカメラを買って写真を撮ったりしていました。ファッションが好きだったし、その当時のエディトリアルが大好きだったので、自分でもやってみたくて。モデルをハントして、ヴィジュアルのイメージを考えて、スタイリングを組んで、撮影して、毎日その繰り返し。だから気づいたら街中に知り合いがいるようになっていて(笑)。どんどん繋がっているなっていう実感がありました。
- ーいまの〈M.Y.O.B.NYC〉のアイテムとニューヨークでつくっていたアクセサリーを比べると、テイストがかなり違いますよね? 勝手なイメージでパンクが好きなのかと思っていました。
- あ、でもパンクに影響を受けた時期もありましたよ!(笑)ロンドンにも行ってたんで。ニューヨークとは違うカルチャーを見たくて、長期滞在をしてそこで撮影もしてみて。常に自分が興味のあることをデザインに落とし込んでいるので、年を重ねるごとに見るものや環境も変わっていくにつれてテイストも変化していきました。でもストリートから生まれるカルチャーから常にインスパイアされているのはいまも昔も変わらないです。
- ーハンドメイドでアクセサリーをつくって、そこからどんな経緯で〈M.Y.O.B.NYC〉の立ち上げに至ったんですか?
- とくに経緯はないんですよ。自分で勝手につくりました(笑)。「それどこのブランド? 」って聞かれることが多かったから、「名前を付けた方がいいんだ」くらいの感じでした。ブランド名を聞かれると「I made it」って答えられるけど、その先がないじゃないですか。でも名前があってホームページがあれば、みんなが見てくれる。その当時はインスタグラムもフェイスブックもなかったから、アメブロで商品を紹介していました。
comi’s cycle in NY
サブウェイやクラブ、はたまたインスタ!? いつ何時でもおもしろい人とどんどん繋がれる街、ニューヨーク。そこでcomiさんは一体どんな人たちと出会っていた? リアルな交友関係をすこしだけご紹介!
ダイちゃん @daiburger
Patriciaに会うきっかけをつくってくれた友達。
ジョエイ @joeylabeija
いつも一緒に遊んでいたニューヨークの兄弟的な存在。
ジョージ @gitoo_thoo
ブルックリンのおしゃれ集団の代表格。よくモデルをしてくれた。
ダラン @duttydy
ジョージの相方。彼らの周りはイケてる人がたくさんいた!
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TOKYO
ニューヨークから東京へ。繋がるために努力した6年間。
- ーニューヨークではブランドが自然と広がっていきましたが、「ラフォーレ原宿」出店に至るまでにはどのような繋がりがあったんでしょうか?
- ニューヨークから帰ってきたときは、東京に行ったことがなかったので人脈はゼロ(笑)。だから名刺をバラまいて自分で営業をしていました。それまであまり自分で営業をしたことがなかったので、苦戦しましたね。でも名刺を渡したうちのひとりから、「キタコレビル」の「シークレットドッグ」でポップアップをしないかという話をもらったんです。そのポップアップをきっかけに、「シークレットドッグ」で働いていたタクちゃんに出会い、ブランドが大きくなっていきました。そしたらいいタイミングで「ラフォーレ原宿」のポップアップの話が来たので、もちろん「やります」って。
- ーきっかけを掴んでからは、順風満帆に「ラフォーレ原宿」への出店が決まったんですか?
- そうですね。たぶん、当時の流行に〈M.Y.O.B.NYC〉の服がハマっていたんですよね。「ラフォーレ原宿」でのポップアップが過去最高の売り上げだったらしく、それが転機となってお店を出すことになりました。そうしたらあれよあれよという間に6年が経って、いまに至るって感じです。
- ーその6年は早いですね(笑)。
- めちゃくちゃ早かったです。その間に結婚、妊娠、出産も経験しているので、怒涛の6年間でしたね。だけどポップアップの話や、誰かに声をかけてもらえていなかったら細々とアクセサリーづくりをやっていたかもしれないし。いまこうしてブランドをやれているのは、いろんな繋がりがあってこそですね。
- ー日本に帰ってきてから服をつくり始めたんですよね。インスピレーション源はどんなものですか?
- 「どこからインスピレーションを得たらいいんだろう? 」ってすごく困りました。ニューヨークにいたときは、街を歩けばさまざまなカルチャーも見ることができたし、街そのものがインスピレーション源だったので。ゴリゴリのレゲエスタイルの人もいれば、パンクスもいて。それぞれのカルチャーに対してエリアがしっかりとあって、パンクの要素が欲しければその街に行けばよかったんです。
- ー確かに日本では「生まれたときからパンクスです!」という人が少ないような気がします。
- そうなんです。10年くらい前は日本でもみんながカルチャーを大事にしていて、ファッションで自己表現をしている人が多かったと思うんです。雑誌を見てもエッジィな人が多くてすごくおもしろかった。だけどニューヨークから東京に帰ってきた頃は、そういう人が少なくなっていました。だから、当時の日本には染まりたくなかったんです。でもその尖った感じが流行にはまっていたのかもしれないですね。
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cycle
過去と現在と未来。すべての繋がりから生まれたブランド。
- ー新レーベル〈サイクル〉の立ち上げにはどんな人が関わっていますか?
- 〈サイクル〉の立ち上げは、ほぼひとりでした。〈M.Y.O.B NYC〉が休止することに決まったとき、私はファッションの仕事を辞めようと思い、転職なども考えたのですが…。まだファッションを通じて発信したいことがあったので、ひとりでゼロから始める決断をしたんです。そして2020秋冬のコレクションから〈M.Y.O.B NYC〉をリブランドして、コンセプトを考えました。〈M.Y.O.B NYC〉のメンバーはもちろん、急遽募集した新しいアシスタントや家族に友達、ほんとうにたくさんの方の力をお借りしました。
- ーゼロからブランドを立ち上げる大変さは計り知れないですね…。
- もう荒波を立ち漕ぎで進んでいるような感じ(笑)。人に頼って生きてきたので、いままでは多くの人に支えてもらっていたんだなと痛感しました。みなさん迷惑をかけてごめんなさい(笑)。でも、ひとりでブランドをやるのっていいなと思うこともありました。
- ーそれはどういうところですか?
- すべての責任が自分にあるので、誰のせいにもできないし、全部を自分がやるしかない。私にはそれが合っているなと思ったんです。ひとりでやっていたからこそ得られた知識や経験もあるし、すごく強くなれたと思います。
- ーブランド名には“人との繋がり”という意味が込められているのかなと思っていたんですが、由来はありますか?
- これまでは、みんなが私のことをフックアップしてくれていたので、これからは私がみんなに感謝の気持ちを返していきたいなと思っています。だから“サイクル”かなって。立ち上げたのはひとりですけど、これまでの繋がりがあっていまがあるので、もちろん人との繋がりは常に感じています。今回のコレクションでは、たまたま出店していたフリマ会場で声をかけた、フレディーというアーティストとコラボをしているんです。この出会いが他の繋がりのきっかけにもなっていて、輪がどんどん広がっている実感がありますね。そういう意味でも「サイクル」という名前は自分のなかで大きくなっています。
- ープロダクトのデザインも“繋がり”を意識されていますか?
- 「サイクル」っていうのは人との繋がりという意味もあるんですけど、環境の“サイクル”という意味もあるんです。〈M.Y.O.B.NYC〉の2020春夏コレクションでは海洋問題を取り上げていて、売り上げの10%を「グリーンピース」という環境団体に寄付しています。今回もなにか環境に配慮したものづくりができないか考えているときに、ソーラーパネルに興味が湧きまして。これをどうにか服でできないかなと思ったんですが、どうしても難しくて…。そこであれこれ調べているなかで辿りついたのが「ソネングラス」。見つけた瞬間に電話しました。
- ー太陽光が充電できるアウターなんて聞いたこともなかったので、展示会で見つけたときは驚きました。
- 企業と打ち合わせだと思ったらガッチガチに緊張しちゃいました(笑)。実際に行ってみたら、服につけるなんてやったことがないらしくて「社内が湧いてます!」って盛り上がってくれました。緊張していた分、そう言ってもらえて嬉しかったですね。あとフェアトレードでつくられているというのもソネングラスを使いたいと思ったポイントです。失業率が高い南アフリカに工場を立てて人を雇用して、正当な賃金を支払うという仕組みで生まれたものなんです。ソネングラスをきっかけにフェアトレードの仕組みを初めて知りました。工場でつくられたものが発送されて、商品を買ってくれる人がいて、それがまた賃金となって還ってくる。 “すげえサイクルしてんな”と感銘を受けました。
- ーまさに“サイクル”ですね。今後のコレクションでも、何かしらサスティナブルな要素を取り入れていく予定ですか?
- そうですね。エコやサステビナリティへの意識は今後のブランドコンセプトの中心を担っていきます。その意識を持ったストリートウェアブランド〈サイクル〉として、次回の2021春夏のコレクションは、すべてのアイテムを再生生地やオーガニックコットンで制作したいんです。自分のできる範囲で、できることからエコなストリートウェアづくりを目指しています!
- ーでは今後の目標は、サスティナブルな服づくりですね。
- 環境に配慮したものづくりはもちろんですが、このスタイルが好きだとか、いいなと感じることが購買に繋がると思うので、最大限の力を使ってデザインディレクションをしていきたいと思っています。よりリアルクローズにしていきたいなと。
- ーリアルクローズとは? 具体的に教えてください。
- 〈サイクル〉では、自分が毎日着たい服をつくろうと思っています。〈M.Y.O.B.NYC〉では、コレクションピースをつくっているような感覚だったので、かっこいい派手なデザインを意識していました。〈サイクル〉の展示会では、友人が「どれにしようかな」って真剣に悩んで服を注文してくれたんです。毎日着たい服というのをすごく意識したので嬉しかったですね。もちろんデザインはしっかりやりつつ、環境問題に対しても私が行動することで何かしらの結果が出ればいいなって思います。超微々たることだとは思いますが。
- ー環境問題にファッションでアプローチしていくんですね。
- そうですね。エコ素材を使ったストリートウェアって、他にあまりないと思うんです。あんまりシリアスになり過ぎても楽しくないから、ユーモアを交えながらみんなに環境のことを意識してもらえたらいいなと思っています。急に生活を変えたりすることは難しいし、「明日から絶対〇〇しろよ?」って強制はしません(笑)。でも日本は意識していない人が多すぎるので、〈サイクル〉の服を買って「エコ素材を使っているんだ」って調べてみるとか、そんなことから始めてくれたらいいなと思います。やっぱりファッションなので楽しくユーモアを交えながら、このド深刻な環境問題に対してアプローチをしていければいいなと思います。