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古着のカルチャーのルーツと行方。(2021年版)
古着のカルチャーのルーツと行方。(2021年版)

New-New? Vintage!

古着のカルチャーのルーツと行方。(2021年版)

2021.10.19

最近では地上波のニュースでも取り上げられるほど一般化した「古着ブーム」。
ファッション好きのあいだでは、まだ価値が安定していない
「ニューヴィンテージ」をディグることが新たな楽しみとして広まっているけれど、
すこし調べてみると「ニューヴィンテージ」という言葉は、
どうやら90年代から使われているフレーズとのこと。
つまり、「新しい」という概念自体がもはや「古い」、のかもしれない。
今回は、螺旋階段状につづく歴史のなかで洗練されてきた古着の最先端、
そしてそこに眠る時代精神の一端を知るために、
世代もバックグラウンドも異なるこの御三方にお越しいただきました。

Photo_Ohta Maharu
Text_Hiroaki Nagahata

坂田真彦

1970年、和歌山県生まれ。大手ブランドのチーフデザイナーを経て、2001年よりフリーランスのデザイナーとして活動開始。現在はSOPH.やManhattan Portage BLACK LABELのクリエイティブディレクター、いくつかのカプセルコレクションも手がける。また、2006年から7年間は、青山で伝説的なヴィンテージショップ「Archive & Style」を運営。古着全般に造詣が深いだけでなく、古着を現代的なスタイリングに落とし込む技が秀逸。

Takanohvskaya

1997年生まれ。ファッションスタイリスト。新宿歌舞伎町のコンセプトショップ「THE FOUR-EYED」に4年勤めた後、現在はスタイリストとして活動中。ファッション全般における最新の気分とリンクさせた古着の選び方/合わせ方が特徴的で、彼のスタイルの上ではあらゆるファッションの価値観がフラットにみえる。

中嶌美優

2001年長野県生まれ。服飾の専門学校に通いつつ、原宿のヴィンテージセレクトショップ「DAMMIT TOKYO」でスタッフとして勤務。10月1日には学校の授業の一環で運営しているショップ「geekout」のオンラインストアがオープン。随所にエッジーな要素を含ませつつ全体として”カンファタブル”な格好は、まるで彼女自身がコミットしている東京のクラブカルチャーの現在地点を体現しているかのよう。

高野さんとMiyuさんの私物たち。

―今回のトークテーマはずばり、「いま、どんな古着が気分なの? 」というわけで。まずは坂田さんに、古着が日本のストリートに浸透した歴史について伺います。一般の人たちが最初にスタイリングに古着を取り入れ始めたタイミングはいつごろなんでしょうか?
坂田:世界的名著の『チープ・シック』がきっかけじゃないでしょうか。アメリカ本国で発売、77年には日本でも翻訳版が発表されたんですが、そこには、それまでファッションといえばお金を持っている特権階級の楽しみだと思われていたなかで、アメリカのヒッピームーブメントを経て、新しいアイテムを取り入れて自分らしいスタイルを作ろうという提案がありました。いろんな安価で見つかる民族衣装やミリタリーアイテムをファッションに取り入れる方法や、イヴ・サンローランや高田賢三さんのインタビューや写真なんかも掲載されていましたね。
ーファッションの意味合いがガラッと再定義されたタイミングだったと。
坂田:そういうことです。そのあと日本では、この流れから影響を受けた人たちが“セレクトショップ”を始めて、古着とアメリカの雑貨を並べはじめました。代表的なのが、「ハリウッドランチマーケット」。それこそ、今日高野さんが持ってきてくれた服のなかに〈オニータ(ONEITA)〉ボディのTシャツがありますよね? Tシャツ自体が取り扱われたのはそれより後のことですが、〈オニータ(ONEITA)〉ボディのアイテムは当時から入ってきていたと思いますよ。
高野:〈オニータ(ONEITA)〉、好きなんですよね。ネックの詰まりと生地のオンスがほんとちょうど良くて。
坂田:わかるよ、僕もTシャツなら90年代の〈オニータ(ONEITA)〉が一番好きだな。
高野:ボディでいうと、自分は〈キャンバー(CAMBER)〉ボディのスウェットパンツを愛用しているんですが、いまUSA製となると数が少ないので、古着屋さんで見つけたら必ず買っています。
ーデザイン的には超ふつうのアイテムっぽいんだけど、サイズと状態が良いものはメルカリとかでも高くなっていますしね。今はこういうものも「ファッション」の文脈でより価値があるものになっている。
高野:そうなんですよ。で、僕が買ったスウェットパンツはサイズがXLなのが重要なポイント。シルエットがゆったりしていた方がスタイリングに落とし込みやすいんです。チャンピオンも人気ですが、全体的にピタッとしすぎていて自分には合わないし。
ー古着にはそういう「自分的ベストバランス」ってありますよね。そういえば、Miyuさんが今日持ってきてくれた私物のなかに、それこそリバースウィーブのボロが。
Miyu:そう、これ洗濯するたびに袖が溶けていくんです(笑)。

Champion Reverse Weave
状態もさることながら、謎のリメイクが施されているスウェット。「ボロ」もまた近年急速に盛り上がっているカテゴリの一つ。

坂田:こういうのはまさに若い人ならではのセレクトですよね。
―古着は当時の社会のなかで、いわばカウンターカルチャー的なものとして存在していたんですか?
坂田:そうですね、その側面はあります。古着が浸透する以前に、ヨーロッパではオートクチュールからプレタポルテに変わっていきました。あとはスウィンギング・ロンドンもあったし、サンフランシスコでヒッピーの流れもあって、さらに大きな戦争が終わったことで時代的にも変化が求められました。だから古着も、世界中で同時多発的に生まれていたそういったムーブメントの一つ、という印象です。新しい考え方がどんどん生まれてきた良い時代ですね。
―そこからみんな古着と新品をミックスしはじめたんですか?
坂田:それはあくまでファッション業界の人たちに限ったことかもしれません。それに古着といっても、いまほどアイテムの幅はなくて、デニム、ミリタリーとスウェットがメイン。先ほども話したように、Tシャツなんかはまだセレクトしていなかったんです。
―そういえば、坂田さんがこの業界に入られたのって何年ごろなんですか?
坂田:バイト時代も入れると1988年ですね。最初は山本耀司さんと山本寛斎さんの元でアシスタントをやっていて、そこでモードと自分の間に距離を感じはじめて(笑)。
Miyu:え、何があったんですか?(笑)
坂田:デザイナーたちがどんどん新しいものを提案していく一方で、ずっと変わらないオーセンティックな服ってあるじゃないですか? そういうハイファッションとは異なるベクトルの服が個人的に気になりはじめたんです。誰かをおしゃれにする、あるいは自分が着飾るためのものが“ファッション”だとしたら、僕は〈リーバイス(Levi’s)〉とか〈ラングラー(Wrangler)〉みたいな目的のある服が好きだった。プロダクトとしての服ですよね。
―それは当時からすると非ファッションとしてみられていたんですか?
坂田:そうですね。デニムを穿くような人はファッショナブルだと思われていなかった。だけど、そういうコミュニティのなかにもまた、「おしゃれだと思われていないのがおしゃれ」という一周した価値観があって(笑)。
高野:なんかわかりますね(笑)。
坂田:そこは、今日集まっているみんなも同じでしょ? 「人と違うおしゃれが良い」という価値観。それこそカウンターカルチャーっぽい思想があった。また別の話ですが、僕がおもしろいなと思ったのが、60年代後半に20歳だった自分の先輩たちは、日本でアイビー全盛の時代に「チノパンにシャツにローファーがアメカジの手本だと思っていたんだけど、実際にアメリカへいったらみんな長髪で、ヒッピーだった」という話。当時はまだそういう情報のズレもあったんです。
―いまのようにコレクションブランドのデザイナーが古着を参照するということもなかったんですか?
坂田:古着を参照すること自体はあったけれど、いまと違ってデザイナーにとって元ネタがばれるのは恥ずかしいことだったので、少なくともそれを外に言っていなかった。そういう状況もあって、古着はまだファッションの枠内に入っていなかったんですよね。
―その状況が変わったきっかけには何があったんですか?
坂田:80年代は〈コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)〉、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)〉、ジャン=ポール・ゴルチエ(Jean Paul GAULTIER)、〈イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)〉の存在感が大きかったんですが、そこにいきなりマルタン・マルジェラが出てきた。マルジェラのイメージって、ざっくりいうと汚いじゃないですか。ダメージや断ち切りがあったりして、洋服をきれいに見せようという、モードらしいエスタブリッシュメントな態度がなかったんです。
―つまりモード(新品)と古着の世界がはじめて融合しはじめた時期だったんですね。マルジェラの手法は史上初だったんですか?
坂田:いや、それは明確に〈コム デ ギャルソン〉の影響で、シャツを洗って店に並べたのも実は〈コム デ ギャルソン〉が最初だったんですよ。その歴史もあったし、あと日本は当時からファッション消費に対して貪欲だったから、マルジェラの浸透も早かったんですよね。
―マルジェラはいまでもブランドアーカイブの世界でトップランクの価値を保ち続けています。高野さんとMiyuさんが持参してくれたラインナップにも入っていますね。お二人はブランドの背景やタグそのものを気にしますか?
高野:自分の場合はブランドというものを意識していませんね。歴史的に価値のあるものだというのはわかるんですが、自分がそれのコレクターになりたいわけではないので……。
Miyu:私も、今日はマルジェラのシャツを着ているんですが、これも単に手触りがよくてストンと落ちるシルエットが欲しかったから買ったんです。それがたまたまマルジェラだっただけで、だからタグでテンションが上がるようなことはない(笑)。いままで動きやすい服ばっかり着ていたけど、そろそろ20歳になるしきれいに着られる服も持っておきたくて。
―いま坂田さんにお話いただいたマルタンマルジェラの出自を考えると、Miyuさんが「きれいに着られる服」といったその捉え方とのギャップがおもしろいですね。服の意味合いも変わってきている。
坂田:マルジェラのほかに、ヴィヴィアンも当時カルト的に人気がありました。特に「ワールズエンド」の頃のものは、コレクターブランドの走りじゃないかな。いまの世代にとってはあんまりリアルじゃないかもしれないけれど。
Miyu:私が働いている「DAMMIT」にもレッドレーベルとかはちょくちょくありますね。
坂田:ヴィヴィアンに代表されるパンクはヒッピーの次に盛り上がったんだけど、そこらへんはファッション単体ではなく音楽も含めた全体的なカルチャーとして波及力が強かった。そこからは、カルチャーの象徴としてファッションがよくも悪くも消費されていて。
高野:フレッドペリーにマーチンみたいなフーリガンのカルチャーも同じですよね。
坂田:そうそう、90年代に入ってからはオアシスとかね。イギリス人らしい服というのがカルチャーとして伝わりやすくて、ナイキよりもアンブロだし、コートならバーバリー。
高野:フーリガンたちがバーバリーを着て紳士のフリをして、スタジアムのなかに入ったら暴れ回るっていう話を聞いたことがあります。
坂田:まさに、バーバリーを着ることにはそういうシニカルな意味合いが含まれていたんです。
―ヒッピーやパンクのような過去のムーブメントの渦中には、かならずその時代を代表するポップアイコンがいましたよね。では、現代におけるポップアイコンって誰か思いつきますか?
Miyu:この〈ミスシックスティ〉を買ったときはベラ・ハディッドを思い浮かべていました。ただ、「この人! 」というみんなが憧れるアイコンはいないかもしれないですね。私もパーティでまわりの人たちの服装をみて良いなと思うことはあるんですけど。

Miss Sixty
90年代にデニムブランドとして誕生した〈ミスシックスティ〉のニットトップス。Y2Kの文脈でも重要なブランド。

―MiyuさんはレイブパーティによくDJとして出演していますが、そこにファッションのコードみたいなのってあるんですか?
Miyu:なんとなくあります。まわりにはアンダーアーマーとかスポーツ系のもの、あとはポケットがたくさんついているカーゴパンツを穿く人が多いです。自分もよく着ているコロンビアとかそういうテンションが多いかもしれません。で、そこから細かくイベントとかハコの名前でカテゴライズされていく。あの人は「翠月」っぽいな、とか(笑)。
坂田:レディースだと今はやっぱり下がルーズで、上はピタッとしているんだね。90年代に人気があったW&LTあたりのシルエット。シューズはダーク・ビッケンバーグのブーツみたいにぼってりしているものがいいのかな。あれは重すぎるんだけど(笑)。そういえば高野さんが今日履いているシューズもぼってり系ですよね。
高野:これはボッテガのブーツ(The Puddle)ですね。めっちゃ履きやすいんですよ。
坂田:いまおしゃれな人はこれなんだよね。
Miyu:ぼってり系といえば、3,000円で買えるブリジストンのスニーカーとか履いている人もいますよ。
高野:ああ、逆にホームセンター系が良いっていう人もいますよね。
Miyu:これは本当にいき過ぎた例なんですけど、自分の友達がツバのところにリフレクターがついているキャップをかぶっていて、形もノリもすごく良いなと思ったら、なんと「銀のさら」のキャップだったんです。その人がむかし働いていて、そのまま私物として使っているらしくて(笑)。そういうオモシロ系も私は好きですね。
―みなさん、お店はどこに通っているんですか?
高野:下北沢とかはここ数年でお店がたくさんオープンしましたが、全体としては掴み所がないんですよ。ただ、一つ一つをよくみていくと、「あ、こういうのを売っていきたいんだな」というテンションとか文脈が伝わってくる。そこで自分の好きなアイテムに出会うと一瞬で買いたくなります。通い詰めるお店もないことはないんですが……
坂田:最近ではどこに行きました?
高野:三軒茶屋の「ZIG」というお店は、オーナーが自分の気分をちゃんとラックに反映していて、それがこっちに伝わってきた瞬間に嬉しくなります。それはやっぱり自分の中にはない、知らないものなので。街を歩いている人の格好を反映するのではなく、あくまで「自分の伝えたいことを伝える」というスタンスを貫く。買い付けはニューヨークで行っているらしく、たとえばそこで見つけたBODEというブランドの雰囲気を感じつつピックしたりもしていて。自分が買ったシャツも、まさにBODEのイメージから買付されたものでした。

70s DOUBLE RINGER
ヴィンテージの刺繍シャツ。高野さん私物。

坂田:こういうのってだいたい襟が大きい70年代のものが多いんだけど、これは真っ白の刺繍も含めて珍しいタイプですね。ちなみにいくらだったんですか?
高野:14,000円くらいでした。
坂田:へえ、ボディが古いわりには買いやすい価格だね。ちなみに、古着とファッションをつなげたという意味では、原宿にあった「ゴーゲッター」というお店と、吉井雄一さんがセリュックスの前にやっていた古着屋さんが早かった気がします。ちょうどLAとかNYでファッションとして古着をセレクトするお店が出始めたタイミングで。
―え、そうなんですね! ちなみに、「ゴーゲッター」でかつて店長を務められていた伊藤陽介さんは、いま渋谷で「SCENE」というお店を運営されていて、そこにはバキバキに新しい古着の提案があります。そうして文脈が引き継がれていると……。Miyuさんはどこで古着を買うことが多いんですか?
Miyu:「DAMMIT」のセレクトが本当に好きで、他はメルカリとリサイクルショップはほとんどですね。「タンポポハウス」も!
高野:いまそういう女の子めちゃくちゃ多くない? 服は、セレクトショップとか古着屋さんではなくリサイクルショップだけで買うっていう。
Miyu:そうだね。すごく高いブランドものとすごく安い古着を組み合わせて着ている人が多いかも。友達と話していると、かならず「タンポポハウス」とメルカリの話題が出るんですよ。「タンポポハウス」は上野のお店がいちばん大きくて、人気なのは高円寺かな。
―いまの若い人たちの間では、すでに選ばれているものを買うというよりも、「自分がバイヤー」という感覚があるのかもしれません。
Miyu:セレクトのセンスが合うお店には通うんですけど……だいたいはラックの隅から隅までみてまわりますね。
坂田:偉いな(笑)。ファッションでも古着でも二極化していて、他人と違うファッションがしたいという人がいれば、他人が欲しいものが欲しいという人も確実にいて。だって、いま値段が高騰しているトレインスポッティングとかの映画Tシャツやリバースウィーブのスウェットは、後者が求めているアイテムの代表例でしょう。
―スリフト的なお店へ行って個人が掘るという現象は、やはり昔はなかったものでしょうか?
坂田:そうですね。そもそも受け皿となるお店が少ないし、自分の価値をきちんと見定めているような人が、ファッション業界の本当に一部にしか存在していなかったから。
―Miyuさんはどういう基準で古着を選んでいるんですか?
Miyu:おもしろいかどうか、です。例えばこのコロンビアのポロシャツ。コロンビアってスポーツとかアウトドアのイメージなのに、色合いが妙に優しいっていうのが良いなって。
坂田:自分はそのコロンビアを見たときにスパイス・ガールズを思い出したよ。
Miyu:そうそう、まさにその気分なんです(笑)。ブリトニー・スピアーズとか一昔前のセレブの格好にハマっているので、そういう気分で古着を選ぶこともありますね。彼女の気取らない感じが、リアルな生活の感じが見えていいじゃないですか。
―ブランドの背景とアイテム単体とのギャップをおもしろがると。
Miyu:そうですね。あとは、DKNYみたいな90年代のデニムブランドが出していたトップスにはかわいいものが多い気がします。
高野:そういえば、今日DKNYのショーで使用されていたスタッフ用のスウェットも持ってきました。
坂田:おお、この異様にハリのある質感、アレキサンダー・ワンとかニューヨークのデザイナーがよく採用していましたよ。

DKNY
本人が「THE FOUR-EYED」オーナーの藤田佳祐さんから譲り受けたという、”段ボール”スウェット。非常にDKNYらしいこのぶっきらぼうなデザイン、ステイホーム時代のリアルクローズとしても点数高し。

―これは見たこともないし、この先見ることもなさそう(笑)。高野さんはどうやって自分の服を選んでいるんですか?
高野:自分がMiyuちゃんくらいの歳のころは、ひたすら目立ちたいと思っていました(笑)。だけど、いまは僕も自分のことをもっとわかりたいっていう気分ですね。自分に最適なサイジングと色合いって何だろうって。
Miyu:私も服屋のスタッフとして、その服が自分にしっくりきているかどうかは気にしています。色合いも派手じゃない、よくわからない感じのデザインが好きで。見た目はかわいいけれど“自分じゃない”ものは買いません。
―お話を伺っていると、「いまはこれが流行っている! 」というブランドやお店の話ではなく、精神的な部分に同時代性があるように感じました。
坂田:少なくとも買い方は相当ライトになったよね。メルカリとかスリフトではゲーム感覚で買える。いまの世代にとって、何を買うかよりも、どこで買うか、どうやって買うかが重要なんだろうなと思いますね。
―坂田さんもその感覚を共有していますか?
坂田:よくわかります。自分が信頼しているのは、「サンタモニカ」のような、圧倒的な物量の中から提案を組み立てているところ。つまり、「相当見たなかでも、いまはこれなんだな」という、そこの強度がありますよね。
高野:「サンタモニカ」、僕も大好きなんですよ。シーズン毎にちゃんと更新していて、良いですよね……。
坂田:渋谷店なんかはそういう提案をサラッとみせていて、すごく良い。この前はパタゴニアのアースカラーのネルシャツ、4500円くらいで雰囲気良いのが面で並んでいて。個人のお店だとなかなか量を揃えることができない。かといって、提案なしで物量だけバーンってみせられても、こっちだって体力ないからしんどいんですよ(笑)。
―もはやヴィンテージとレギュラーっていう境目もないですし、すべての価値観は個人に帰属していく、という時代なのかもしれません。
坂田:Miyuさんだったらブリトニーみたいなアイコンもいたりして、つまりそれって今はファッションへの入り口が多岐に渡っているということだから、買う場所が増えたことも含めてそれが一つの時代の変わり目なのかな。
―環境が変わったことでファッションの作法やテイスト自体も変わってきましたよね。
坂田:いま自分が着ているのは古いヴェルサーチで、シンプルなボタンダウンシャツがドルマンシルエットになっているんです。これが出た80年代には、MTVが出てきて視覚的なアピールができるようになると、それにあわせて洋服もカラフルになっていって、シルエットも画面で映えるように変わった。今は、それと同じような変化がおきているんだと思いますよ。最後2人に聞きたいんだけど、今の「おしゃれな人」ってどういう人のことを指すんですか?
高野:自分が心から楽しんでいるなら、それはおしゃれということになるんだと思います。服の組み合わせはぐちゃぐちゃだけど、人間ができている人ならそれはそれでええな~って(笑)。
―むしろスタンスの話ですね。
Miyu:私も他の人の服を細かく見ませんね。身の丈に合った、「おしゃれするぞ」という感じではないけれど、うまくまとめている人が好きです。
坂田:うん、なるほど。今度は「自己追及がおしゃれ」という時代に入ったのかもしれませんね。