GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#121『シンプル・アクシデント/偶然』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回ご紹介するのはカンヌ国際映画祭最高賞受賞作『シンプル・アクシデント/偶然』。
イランで民主化や女性の人権回復運動を支持したために政権に弾圧され服役したジャファル・パナヒ監督が、
刑務所で出会った人々の話をもとに作り上げた人間ドラマです。
停戦ゆーても終戦してない昨今、イランてなんでああなった?って背景ごと解説いたしますね。
Text: Kyoko Endo
監督の刑務所実体験から生まれたパルム・ドール受賞作
この映画は、ある家族が自動車に乗っていて犬を轢いてしまうシーンから始まります。一見、普通のお父さんが妻と小さな女の子を連れて夜道を運転中、子どもがカーラジオの音楽を聴きたがります。静かにさせたがる父に対して「パパはいつも静かにしろって 近所に家はないし お客さんも来ないのに」まるで何かを警戒して隠れ住んでいる人たちのよう。
音楽に気を取られた父は犬をはねてしまいます。父が犬を殺したことに心を痛める子ども。「神様が犬を飛び出させたのだから」つまり運命なのだからとなだめる母親に対して「神様は関係ないよ」そこでタイトル。この車はエンジンも故障して近所の工場に助けを求めることに。
しかし、工場にいた男性がこのお父さんの声とある音を聞いたことから、物語が急展開して行きます。主人公は工場にいた男性ワヒドのほう。ワヒドは過去に賃金未払いへの反対デモに出ただけで逮捕されたことがありました。工場に助けを求めた父は刑務所でも悪名高い拷問者エグバルではないのか。ワヒドは衝動的に彼を拉致してしまいます。
しかし人違いだと命乞いされたワヒドは刑務所仲間に彼がエグバルかどうか確認してほしいと協力を求めます。書店を営む元政治犯、元政治犯から紹介された元ジャーナリストのシヴァ、女子学生運動家ゴリと彼女の結婚相手のアリが次々と巻きこまれていきます。が、これが悲惨な話のはずなのに、ゴリとアリが結婚式のための写真を撮っていてウェディングドレスを着ていたために楽団が集まってきてしまったり、イランのコメディ映画あるある的なシーンの連続で笑いに溢れているのがすごい。
イスラム文化ではいいことがあればみんなに幸福をわけるという伝統なので、あちこちでご祝儀をねだられて、それがデジタル決済だったりするおもしろさもありますが、車がエンストしてみんなで押しているシーンで、道路上のあちこちの車から助けに来る人がどんどん出てくるのもイランらしい。あれは仕込みではなくドキュメンタリーなんじゃないかと思います。
笑える場面も多いのですが、刑務所で行われた凄惨な拷問も語られていきます。「この男は本当にあの男なのか? 俺はこいつに腎臓を殴られていまでも痛みが治らない…」「こいつは私を体制派のスパイだとみんなに疑わせた。処女だと拷問死したとき天国に行ってしまうからと言って…」この先は言葉になっていないけど要するにレイプされてるわけです。政治運動家ではなく、ワヒドのように単に未払い賃金を要求しただけという人まで見境なく逮捕していた政府の非道もあらわになり、観客の感情は笑いと驚きと恐怖に揺れ動きまくりです。こんなことに加担していたのか、じゃあ隠れ住んでいたあの男にはやっぱり後ろ暗いところがあったのか。
しかしさらに物語が進むと登場人物の人間的な行動への感動も待っている、こんなすごい映画を撮ったパナヒ監督の作品、これまでおすすめコーナーでも紹介してきたのでご覧になっている方も多いかもしれませんね。イラン政府に拘束された2010年以降は自分の逮捕をドキュメンタリーにしたり、自分でタクシーを運転して乗りこんできた人のドキュメンタリーを撮ったり、ほぼ軟禁された家から俳優たちに指示を出して映画を撮ったりしていて、全編俳優たちだけでフィクションを撮るのは久々。イラン政府に反対の立場を取っていたため母国の代表にならず、今回もフランス映画としてカンヌに出品され、この栄誉となりました。
しかしイランが反米イスラム原理主義国家になってしまったのも、じつはアメリカの関与があったから。イランが産油国だってことはみんな知ってると思いますが、その石油は外資が掘って外資の利益にしかなっていなかった。それでモサデグ首相という人が国民に利益を還元するためイランの石油会社を国有化しようとしたのですが、CIAの介入でクーデターが起こって失脚させられてしまったんです。これは陰謀論でもなんでもなくて、50年後の公文書公開で明らかになっていることです。
その後イランの石油は7大石油会社が管理(映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で描かれてるあの世界ですね)。当然イラン人はアメリカ大嫌いになってしまい、親米というかほぼ傀儡状態だった国王が追放されるイラン革命、さらにアメリカ大使館占拠事件なども起こりました(『アルゴ』ですね)。革命を指導した宗教指導者により民主主義な考えまでも敵視され、民主化運動家や女性の人権に声をあげる人々が片っ端から逮捕される権威主義国家になってしまいました。
家父長制や女性の人権無視などイラン政権は問題だらけだと私も思いますが、似たようなマッチョが仕掛ける戦争で問題が解決するわけがない。むしろ戦争で問題は悪化しかしないと思います。気の毒なのは自由が制限されたイランの人々です。パナヒ監督という人はそんな複雑な状況下で政府に妨害されながら、こんなに人間味あふれる名作を撮っている。すごいヒューマニズムではありませんか。イランを知らない人にこそイラン人の人となりを見てほしい映画ですが、政治的なこと関係なく単純にすごくおもしろい作品なので、ノンポリさんや政治嫌いさんにもお勧めです。
『シンプル・アクシデント/偶然』
監督・脚本:ジャファル・パナヒ出演:ワヒド・モバシェリ、エブラヒム・アジジ、マルヤム・アフシャリ
(2025/フランス、イラン、ルクセンブルグ/103分)
配給:セテラ・インターナショナル
5月8日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほか全国公開
©LesFilmsPelleas
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遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』、『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
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