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Indie mind, forever.

nero編集長の井上由紀子が語る、表現者としての在り方。
Photo_Kisshomaru Shimamura (event)

「あくまでも音楽誌」と断言しながら、
これまでの音楽誌にはない美しいヴィジュアルで、海外からも高い評価を得る『nero』。
その記念すべき10号目の発売と同時に開催されたリリースパーティで、
『nero』の編集長であり、音楽ライターとしても活躍する井上由紀子さんにお話を伺いました。
節目を迎えたからこそ彼女がいま一度考える、クリエイションの本質とは。

最初は小山田くんのことを、小山田けいこ(17)だと勘違いしていました(笑)

『nero vol.10 BOYS issue』の発売、おめでとうございます。
井上由紀子(以下、井上):ありがとうございます。
創刊から計10冊をほぼひとりで制作してきたわけですが、振り返ってみていかがですか?
井上:10冊もつくったという感覚はないですね。もちろん達成感はあるけれど、作っているときは楽しさより懸命さが勝っている。仕事をしている人は誰しもがそうであるように、自分の好きなアーティストにインタビューをしているからといってただ楽しいだけではありませんから。
『nero』のお話の前に、改めて井上さんがどういう経歴を経ていまに至るのか伺えればと思います。もともとは音楽ライターではなく、小山田圭吾さんや小沢健二さんとともにロリポップ・ソニック名義で音楽活動をされていたんですよね?
井上:周りがバンドをやっている人が多かったこともあって、大学生の頃に遊びでバンドを組みました。でも、私自身は実は楽器を弾くのは苦手で、どちらかというと何かをパッケージにすることに関心があったんです。バンドの音を出すより先に、自分でアレンジしてアー写を撮っていたくらいで(笑)
小山田さんと出会ったきっかけは、偶然見かけた雑誌のスナップだと伺いました。
井上:当時すでに違うバンドで活動をしていたのですが、もっと魅力的なボーカルを見つけたくて、地道に大学のエントランスや原宿の駅前などに立ち続けて、フロントマンになり得る逸材を探していたんです。それである日『ポパイ』を立ち読みしていたら、街角スナップに小山田くんが出ていて。実は当時は長髪だった上に恰好がフェミニンで、名前もひらがな表記だったので、ボーイッシュな女の子だと勘違いしていました。小山田けいこ、17歳(笑)。結局そのときは周りの誰とも彼が繋がっていなかったから諦めましたが、半年後くらいに『オリーブ』を読んでいたらまた発見して。しかも今度はちゃんと漢字で“小山田圭吾、18歳”とあった。そこで初めて男の子だと知り、再度彼をリサーチしたんです。それで、当時のバンドメンバーのひとりにその写真を見せたら、「俺の友達だよ」という話になって、その場ですぐに電話をしました。当時は携帯電話などありませんから、もちろん家電に。そうしたらお母様が出て「圭吾は◯◯さんちに行ってるからそっちにかけて」と言われ、誰だかわからないお宅にみんなで電話をかけて小山田くんに代わってもらい、「バンドやってるんだけど入らない?」と誘ったんです。おもしろかったのは小山田くんも、会ったこともなかったのに「入る」と即答してくれて。翌日にはうちに来てもらって一緒にやることになりましたね。
情報源が写真だけということは、声をかけた時点では小山田さんが何ができるかわからないわけですよね。
井上:歌えるかもわからない(笑)。当時は学園祭バンドなどでドラムを叩いていたようですが、実際に会ってみたらその場で我が家のギターをとても上手にプレイしてみせてくれて。それで、「あなたはギターとボーカルをやってください」と(笑)。彼は本当はドラムをやりたかっただろうし、当初はボーカルを務めることは半ば嫌々だったんじゃないかなと思います。その後、小山田くんの小中学校の友達だった小沢くんに、大学受験が終わってから加入してもらったという流れです。ユニセックスな見た目のかわいい男の子が二人いたから女の子にも人気で、最初のライブから満員でしたね。
小山田さんが加入した経緯を聞くに、音楽性云々よりまずはルックスにこだわったということですか?
井上:そういうわけではありませんが、自分のなかに“人は見た目による”というポリシーがあって。それは容姿がいい悪いという話ではなく、着ているものであったり、その人がチョイスしているものを見ればある程度の選別ができるのではないかという。もちろん音楽の趣味嗜好もそこに紐づいてくるから、要は共通の世界観を持っている人がよかった。大好きなYO-KINGも「人は見かけによる」って歌っていましたし、オスカー・ワイルドも「表層がすべて」「美は美である」というようなニュアンスのことを『ドリアングレイの肖像』のなかで綴っています。私自身も本当にそう感じていたし、しかも会ってみたら楽器もできるという。実際のところ私と小山田くんは音楽の趣味が最初全く合わなくて、ケンカばかりしていたんですが(笑)。私はディーヴォ、彼はザ・スミスをお互いに聴かせ合う、みたいな。ただ、あるときを境にお互い理解できるようになって、それからはうまく行きましたが、なんだかライバルのような存在でしたね。

フリッパーズの1stアルバムには、ピュアな衝動と一瞬の輝きが詰まっている。

レコード会社と契約したタイミングで、バンド名をフリッパーズ・ギターに変えたんですよね?
井上:たしかレコード会社から、「ロリポップ・ソニックだとインディ感が強すぎるから変えろ」と言われたように思います。私たちは名前にはそこまでこだわっていませんでした。ただ、小山田くんがひとつだけ決めていたのは、“F”で始まるバンド名であること。彼曰く、ロゴにしたときに“F”だときれいらしく。だから“F”で始まる名前をひたすら考えましたね。
フリッパーズ・ギターにおける井上さんの役割は、どんなものだったんですか?
井上:当時は気付いていませんでしたが、プロデューサーというのが正しいのかもしれません。フライヤーやアー写といったヴィジュアル面や、ライブ、パーティのディレクションがメインでした。
1stアルバムをリリースしてすぐに井上さんは脱退してしまいますが、『three cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった』は井上さんにとってどんな作品ですか?
井上:日本でリリースされたアルバムのなかで、いちばんと言えるくらい好きです。それは自分が関わったからというわけではなく、ピュアな衝動と一瞬の輝きがあの一枚には奇跡的に詰まっているから。私の演奏は超下手だしケンカばかりしていましたけど、そういう青臭い部分も含めてバンドらしいというか。2nd以降は売れることを意識せざるを得なかっただろうし、プロの演奏が入っているから商業的には2ndと3rdの方が評価は高いかもしれませんが、どれがいちばんバンドらしいかというと断然1stだと思います。
いまの日本のバンドで、同じような雰囲気を感じるバンドはいますか?
井上:残念ながらいませんね。いまの人たちはみんな器用だから、クリエイティブに関する衝突も避けるし、小手先でもそれっぽいものができてしまう。あくまでも個人的な意見ですし、私が無知なだけでおもしろい人も出てきているのかもしれませんが。
©nero magazine
Photo_Chris Moore

自分が作るものは、何もかも普遍的でありたい。

その後音楽ライターに転身したきっかけを教えてください。
井上:くだらない話なんですけど、当時すごく憧れている人がいまして(笑)。同時期にデビューしたバンドマンで、ファンとしてではなく同じ立場で話をするにはどうすればいいか? と考えた結果が、ライターとしてその人にインタビューすることでした(笑)。だから、音楽ライター人生で初のインタビューはその人で、すぐに目的達成されたという。でも実は高校生の頃から自分でミニコミのようなものをつくって坂本龍一さんにインタビューをしたり、テクノ系の音楽誌のなかに『インディー・キャット』という自分のコーナーを持たせてもらって、気になる音楽やバンドを紹介させてもらっていたので、文章を書くことには抵抗はなかったのかもしれません。むしろ道具を使って音楽を奏でる方が苦手でした。
いろいろな雑誌で執筆活動をしているなかで、2010年に『nero』の1st issueを創刊。なぜご自身の雑誌をつくろうと思ったんですか?
井上:本当は、自分の雑誌を作るという意識はなかったんです。海外に住んでいる知り合いに、現地で配るフリーペーパーを作ってもらいたいと相談されたのがきっかけで。内容も自由でいいということだったから軽はずみで受けてしまい、以前から取材したかった『100万回生きたねこ』の作者である佐野洋子さんとその息子さんである広瀬弦さんに、小山田くんを交えて鼎談してもらったりしました。けれど、出資者であり企画者であった人の経済状況が悪化していきなり頓挫されてしまい、関わってくださった方々のためにもという想いで、最終的には自費出版で私のZINEというかたちで出版しました。当時すでにライターを長くやっていたせいか、ありがたいことに広告を出してくれるところもいくつかありましたし、結果的に赤字も出さずに、みなさんにも顔向けできてよかったです(笑)。自分としてはその一冊をつくって満足していたのですが、評判もよく、継続して刊行することが決まりました。
©nero magazine
2号目といえば、クラウス・フォアマンによるフェニックスのカバーイラストが印象的です。ジャパンツアーの合間を縫ってリリースパーティに参加していたフェニックスのメンバーも、あれが井上さんとの仕事で最も記憶に残っていると話してくれました。「クラウス・フォアマンに依頼しようなんて、普通だったら思い付かない」と。
井上:早い段階から考えていたParis issueでは、どうしても世界一好きなバンドのフェニックスを表紙にしたいという想いがあって、もともとイラストレーターだったブランコの奥様に頼むつもりでした。ただ4人分というボリュームがネックだったようで、別のソロアーティストにしてほしいと言われてしまって。でも、どうしてもフェニックスにこだわりたかったこともあって別のアイデアを考えることになったんです。ちなみに、ブランコの奥様のキャリーンはボールペンで髪の毛の一本一本までこだわって描く作風が特徴なのですが、当時の『nero』のADと「絶対『リボルバー』のアルバムジャケットから影響を受けているよね」という話をしていて、「ところであのイラストを描いた人はご存命なのかな?」と気になってウィキペディアで調べてみたら、「生きている!」と(笑)。ダメ元で彼のWEBサイトの問い合わせ欄に1st issueのPDFを添付してメールしてみると、すぐに「やるよ!」と返信が届きました。本物なのか半信半疑の状態だったので、挨拶しにすぐにミュンヘンの田舎町に向かって本人と会ったときは安心しましたね。
やりとりはスムーズに進んだんですか?
井上:実は3回くらい書き直してもらっています(笑)。そもそもクラウス自身がフェニックスを知らなかったというのもあり。メンバーの3人は当然大喜びでイラストのためにプライベートの写真をたくさん貸してくれたのですが、メンバーのデックに関してはクラウスが求めた角度の顔の向きの写真がなかったので、オリジナルの『リボルバー』とは微妙に顔の振りが違うんです。
フェニックスはやはり特別な存在ですか?
井上:特別ですね。彼らは世界的に売れていますが、マインドは常にインディですし。自分たちのコントロールできる範囲でやっているところにシンパシーを感じます。熱狂的に好きなアーティストだし、本気で現代のビートルズだと思っています。偶然にも、パートナーまでアーティスティックだという部分も共通している。トマの奥様のソフィア・コッポラなんてその最たる例ですよね。関わっている人みんながクリエイティブである。そして、幼なじみで組んだバンドで、なかには兄弟もいる。それで長い間活動していて壊れていないのは奇跡ですよ。
最新号でショック・マシンが、「そもそもずっと同じメンバーでやっていくのが無理だ」って言い切ってましたもんね。
井上:普通ならそうですよね。
また、「井上さんはどんな人ですか?」とフェニックスに質問したら、「他のライターと投げかけてくる言葉が全然違う」と言っていました。技術的な話やうんちくを聞くのではなく、作品をつくるに当たってのフィーリングやマインドを言葉にするというか。それはミュージシャンとして活動していた過去が関係しているんですか?
井上:特に意識はしていませんが、世の音楽雑誌に載っているインタビュー記事があまり好きではないというのは関係しているかもしれませんね。音楽って感覚的なものなのに、音が聴こえないインタビューが多いように感じるんです。例えばこの人は何派に属していて、何の機材を使ってレコーディングしたとか。音楽の知識がない人からしたら、それだと内容が全然伝わらないじゃないですか?
美しいヴィジュアルはもちろんですが、そこも他の音楽雑誌と『nero』の違いだと思います。
井上:何もかも普遍的でありたいんです。例えば、ビートルズの歌は誰が聴いても理解できる言葉で歌われている。あとは昔、父親が「賢い人ほど誰にでもわかるようにシンプルにできる」と話していて。最も心がけているのは、ひけらかすことなく、誰にでも理解してもらえることですね。ほんの一部でもいいから、そのアーティストが作品を通して何を伝えたいのかを知ってもらいたいと思います。
ほかに他誌との違いとして、アーティストにしてもスタッフにしても、その多くに海外の方を起用することが挙げられます。
井上:私自身が日本の雑誌のエディトリアルに載っている写真があまり好きではなかったというのがひとつと、音楽ライターだから周りにフォトグラファーの知り合いも多くなく、お願いしたいクリエイターをシンプルに考えたら海外の人だったというだけです。音楽も一緒で、J-POPもあまり好んで聴かない。洋楽インディ特有のスカスカのふわっとした空気感がないというか、独自の要素があまり感じられない気がしてしまい。
前号では、フォトグラファーとしてエディ・スリマンも参加していましたよね。
井上:エディは、「アジア圏からこんな雑誌が出ているんだ」と興味を持ってくれたみたいで。ファッションとの絡みがなく、純粋に音楽だけを掘り下げていたことが響いたんだと思います。レモン・ツイッグスを撮ってほしいとオファーしたら、「レモンツイッグスだけと言わず、一冊丸々やってもいいよ」と言っていただいたのは本当にうれしかったですね。残念ながら、スケジュールの都合でそのページでしかご一緒できませんでしたが。
©nero magazine
Photo_Autumn de Wilde
3月に『ガールフイナム』がインタビューしたスタークロウラーのアロウ・デ・ワイルドも、もう何年も前に取材していましたよね。いまはインスタグラムやApple Musicなどで簡単に最新のアーティストをチェックできますが、情報はどうやって集めているんですか?
井上:Apple Musicは実は使ったことがありません(笑)。ひたすら「タワーレコード」に通っています。あとは海外に行ったときに現地の友達に聞いたり。SNSもたまにしか使わないし、完全にアナログ人間ですね。部屋中CDとヴァイナルで溢れていて大変なんです。でもアロウに関しては当時からLAではかわいいと話題で、むしろ母親のオータム・デ・ワイルドの大ファンだったから、彼女狙いでした。それまでも何度かオファーをしていたんですけれど、なかなか引き受けてもらえなくて。「もしかしたら娘の写真なら撮ってくれるんじゃないかな?」と思い打診したら案の定うまくいき、オータムともご一緒することができました。
©nero magazine
Photo_Arvida Bystrom

後にも先にも、怖いと感じたのはジョン・ライドンとリアム、そしてスカイだけ。

3号目と4号目はともに『grrrls issue』と題されていますが、印象に残っているガールズクリエイターはいますか?
井上:まずはアルヴィダ・バイストロム。フォトグラファーのペトラ・コリンズと、彼女が主宰を務めるアルドロスという女性クリエイター集団を取材しているときに知り合いました。
©nero magazine
Photo_Petra Collins
ペトラとも結構早いタイミングでご一緒していましたよね?
井上:彼女も当時はまだかけ出しで、「ニューヨークに行くから誰か泊めてくれない?」とツイッター上で募っているときにホテルに泊めてあげたことがきっかけですね。
いまの彼女のポジションからは想像できません。
井上:ずっと一緒に撮影してみたいと思っていて、グライムスを撮ってほしい旨を相談したら快く引き受けてもらえ、それから親しくなりました。LAのサルベーションマウンテンに女6人でクルマで行って、ザ・ライクを撮影したのも懐かしいです。
©nero magazine
Photo_Petra Collins
ほかには誰かいますか?
井上:スカイ・フェレイラ。スカイもペトラに撮影してもらったのですが、あれはもう本当に大変で…。実は来日中に撮影する予定だったのですが時間制限が厳しく、アメリカに彼女が帰国したあとにやろうという話になりました。けれど、帰国後は全然つかまらなくなってしまい。それでもどうしてもやりたかったので、ペトラに「どうにかしてスカイと繋がって!」と頼んだんです。幸運にも何かのパーティでキャッチしたらしく、だからスカイに『nero』の出演交渉をしたのはペトラだったという(笑)。私が現地入りしてからも撮影を2回もキャンセルされて、結局はまた女4人でクルマを走らせ、片道3時間かけてフィラデルフィアのラブホテルに行って撮りました。
強烈なエピソードですね。
井上:でもとてもエキサイティングだったし、緊張しながら仕事するのはやっぱりいいことだと思います。移動中のクルマのなかなんて、彼女が怖くてほとんど会話できませんでしたから。
怖いというと?
井上:スカイが持っているダークで毒っぽい雰囲気に威圧されるというか。私は誰と会っても基本的には物怖じしないタイプなのですが、後にも先にも一緒にいるだけで怖いと感じたのは、ジョン・ライドンとオアシスのリアム・ギャラガーとスカイだけ。怖いというのはリスペクトがある表現だと思うし、だからこそ魅力的でもあるんですけどね。最終的にはペトラの写真もよかったし、ガールズクリエイターと限定しなくとも、いちばん印象に残っている仕事のひとつといえますね。

『nero』では、美しくて才能がある人を採り上げたい。

そして今号は『BOYS issue』。このテーマはどうやって決まったんですか?
井上:『BOYS issue』としたのは、気になるアーティストに男の子が多かったから。コスモ・パイクなんて半年間も追いかけていましたし。あとは、世の中的に女の子がフィーチャーされる流れがあるから、その逆を突きたかったというのもあるかもしれません。さっきお話した通りすでに『grrrls issue』は二度も作っているし、新しいもの好きではあるけれど、いつの世もカウンターカルチャーに傾倒しているので、みんなが同じ方を向くと飽きてしまう傾向がある(笑)。でも世の中の流れに逆らってでも自分の伝えたいことを伝える勇気と覚悟を持つことは、カルチャーにとって大切なことだと思うんですよね。私にそういう感性や覚悟が備わっているとは思いませんが、そのくらいの気持ちでやらないとこの仕事をする意味がないくらいに考えています。
カバーはそのコスモ・パイクとトロイ・シヴァンです。後者は以前にも取材していますよね?
井上:以前短い時間で制作したページを気に入ってくれたみたいで、本人サイドからのアプローチもありました。トロイはとにかくセンスがよくて、自分のヴィジュアル作りもうまい。今回のフォトグラファーは彼に紹介してもらった人ですし、自分に合う有能な人を集めるプロデュース能力に長けていますね。そして何より、圧倒的に美しい。
半年間追いかけたということは、コスモはようやくという感じですね。
井上:ここ最近のアーティストだと、UKのアートや音楽の名門ブリット・スクール出身の先輩後輩であるコスモとキング・クルールの2人がダントツで好きなんです。音は似ているけれど、コスモは幸せに育ってそれをそのまま音楽にしていて、キングの音楽には影がある。両者ともルックスや佇まいにも華がありますし。最近の日本では等身大のアイドルが人気ですが、私にとって観衆の前に立つ理由というのは、きれいで才能があることなので。よほど音楽に唯一無二の圧倒的な才能を感じる場合は必ずしもそうではないけど、『nero』ではそういう人を採り上げたいんです。
個人的には、ショック・マシンとヒョゴのインタビューに読み入ってしまいました。クラクソンズで世界的な人気を獲得して、解散を経て自分の好きな音楽で改めて勝負する人。片や、これからが自分たちの時代なのに、自らを“諦め”や“傍観者”と形容して音楽をつくる人。ページの配置も含めてその対称性がおもしろかったのですが、この人選は偶然ですか?
井上:偶然ですね(笑)。でも共通しているのは、どちらも自分に誠実で、スタイルがある。そしてトップランナーとしての葛藤と、商業とクリエイティビティの矛盾を知っているように思います。
ショック・マシンは「流行なんて最悪だ」と語っていました。井上さんと似ているなと。
井上:似てると思います(笑)。だからおもしろい話をしてくれたんじゃないでしょうか。彼は流行をつくるつもりもなくつくった偉大な方でもありますが、タイムレスな芸術を追求するポイントで共通するものを感じます。
©nero magazine
Photo_Lasse Dearman
ヒョゴのオヒョクくんが、「ぼくらの世代はフュージョンの音楽しか作れない」と語っていました。このスタンスこそ世間が考えているいまの若い子のリアルだと思うのですが、井上さんの目には彼らの世代はどう映っていますか?
井上:実際にそう見えるし、その諦めにコンサバを感じてつまらなく感じる部分もあります。若さは、いい意味で無知で無防備であることを赦されている。だから、たとえいまの時代にすべて出揃っていたとしても新たなことにチャレンジしてほしいし、そういう意気込みを感じさせてもらいたいという想いがあります。「いまの時代はバージョンアップという発想ばかり目に付くから嫌だ。みんながITに集中するなら、自分は穴を掘り続ける」というニュアンスの話を作家の町田康さんがしてくださったことがありますが、私もこの考えに賛同で、物事や自分の内面を徹底的に追求したい。バージョンアップという発想は知識や知恵ではなく、単なる情報でしかないし、ツールはどうであれ、それを自分のなかでどう昇華するか、掘り下げるかが新しいものに繋がっていくように思うので。でもオヒョクくんの考えに同意できる部分としては、世の中はハリウッド映画のように善と悪の2つでは括れないから、その間にある繊細なニュアンスを表現するためには傍観者のスタンスでいることも必要なんだというところ。そのポジションの方が、生きるという意味ではもしかしたら大変かもしれない。そういう意味ではヒョゴの作品は大好きで、ただ、闘わない姿勢は好きじゃない(笑)。闘わないという選択の闘いを彼なりにしているのかもしれませんが。でも諦めるのは、別にいまの時代特有のものでもないと思います。小山田くんも「全部真っ向から立ち向かっていたら自身が保てない」と昔から言っていましたし。
©nero magazine
Photo_Eliot Lee Hazel
音楽ライターとして、現在の音楽シーンについてはどう思いますか?
井上:同じくつまらないように感じます。私が好きな洋楽が流行っていないのもあるし、細分化しすぎてピークがなければ絶対的なスターもいないから。
世の中の流れはヒップホップに傾いていますが。
井上:『nero』ではあまり採り上げていないだけで、ヒップホップは私も昔から好きなんです。ファーサイドやピート・ロック&C.L.スムースのような古典のネイティブ・タン一派やコモン・センス。新しい人ではチャンス・ザ・ラッパーやケンドリック・ラマー、ロイル・カーナーなど。ヒップホップって言葉の情報量が多くて音楽的ですし。だから私のなかでは、ボブ・ディランもある意味ヒップホップ。特に8号目のART issueで採り上げたKOHHは、リリックで本当のことしか語っていないから大好きですね。
そんな井上さんが今後インタビューしたいアーティストはいますか?
井上:ゴダールとボブ・ディラン。でも、最新号を作り終わったばかりだから、具体的なプランはまだ何も。現実的なところでいうとフランク・オーシャンですかね。『nero』を気に入ってくれていると耳にしたので、新譜が出るタイミングで実現できれば。

雰囲気ではなく、本質を突き詰めることが大切。

自分のやりたいことを突き詰めれば突き詰めるほど、ニッチになっていくとも思います。ビジネスという観点ではどうお考えですか?
井上:これまでは理解ある上司のおかげでそれを意識せずにやってこれましたが、どちらに寄せるのがいいのかは未だに答えが出ていません。マスに向けたくないという想いもあります。でも、10冊作ったとは言ってもまだまだ人に知ってもらう段階だから、それを考えるのはもう少し先になってしまうかもしれませんね。ゆくゆくは、別の国と組んで『nero』の海外版を出せればいいなとは考えています。海外誌の日本版はあるけど、その逆は私が知る限りではほとんどないから現実になったらおもしろいし、日本のクリエイションとして画期的なことだとも思うので。私が常に感じているのは、何かをつくる立場、クリエイターとして、自分の世界観を披露しないのであればそれを形にする意味はないんじゃないか? ということ。根底には“本=作品”だという意識がありますから。
最近は個人でZINEを作っている人も多いですし、クリエイティブなことをする若い子が増えています。自分の20代を振り返った上でなにかメッセージはありますか?
井上:重要なのは、すぐやること。全力でやること。必ずやること。でも手を動かすのも頭を使うのも当たり前のことでもある。また人の受売りなんですけど、「自分の好きなものを見つけろ。それを誰よりもうまくなれ。そうすれば人生は楽勝だ」とチェット・ベイカーが彼のドキュメントのなかで語っているのですが、本当にその通りだと思います。自分がどこの何者で何が好きか。それをクリアにすること。迷ってても、迷っているとちゃんと認めること。好きなものがなかったらそれも認めること。雰囲気だけでやってないで、本質を突き詰めることが大切なんじゃないかなと。あくまでも私の場合はそう考えています。
最後に。『nero』を通して世の中に伝えたいことは?
井上:私ひとりでこれだけのことはできているんだから、『nero』を読んだことで「自分もやればできる」と思って、何かを始めるきっかけになればうれしいです。