Different Angle.
写真展も映画もどっちもね! いろんな角度から『浅田家!』を知ろう。
先週末から公開になった映画『浅田家!』と
現在渋谷PARCOで開催中の写真展『浅田撮影局』。
2つの方向から「浅田家」の魅力に触れられるこの絶好の機会に
“ご本人”の浅田政志さんと映画の配給会社である東宝のプロデューサー、
内山ありささんとの対談を決行しました!
写真は地元が同じで、浅田家の一員のようなお付き合いをしている柘植美咲さん。
途中で写真集と展示のADをされた祖父江慎さんも仲間入りして
みんなで好き好きにおしゃべりしてきました。
Photo_Misaki Tsuge
PROFILE
浅田政志
三重県津市出身。写真集『浅田家』で2009年に第34回 木村伊兵衛写真賞を受賞。2015年東日本大震災での写真洗浄をテーマにした『アルバムのチカラ』を、そして2020年に『浅田撮影局 まんねん』と『浅田撮影局 せんねん』を同時にリリースし、写真展『浅田撮影局』で先行発売中。写真展は10月12日(月)まで!
内山ありさ
学生時代から東京国際映画祭の学生広報を務め、2015年に東宝入社。演劇部帝国劇場、映画調整部を経て、映画企画部に在籍中。映画『浅田家!』ではアソシエイト・プロデューサーとしてイチから作品に携わった。中野量太監督、小川真司プロデューサーとは旧知の仲。
まずは写真展『浅田撮影局』をご本人解説でまわります。
浅田政志さん(以下浅田):前回『浅田家』ではシチュエーションごとに“なりきり”をしたんですが、今回の写真展では全体的に“なりきり”をしています。僕が『浅田撮影局』の二代目局長という設定で。
内山ありささん(以下内山):フィクションと現実の浅田家が入り混じっていて、実際にご家族を知っている私でも間違えそうです。素敵ですね。
浅田:で、入り口のフォトスポットで浅田家の一員としていっしょに写真が撮れるんです。
浅田:今回発売する写真集と、会場のデザインはブックデザイナーの祖父江慎さんにお願いしていて、写真集のタイトル『まんねん』と1000部限定の『せんねん』というタイトルも考えていただいたんですよ。
内山:わかりやすいのにキャッチーでいいですね。
浅田:『まんねん』は息子が生まれてから被写体として自分の子供を撮った作品で、『せんねん』はそれと真逆で、親父の遺影写真を模索したものなんです。あともうひとつ誰かに撮ってもらった自分の何気ない写真を形として残す作品もあって、その3カテゴリーを全部一冊の本にしようと思っていたんですけど…。
ADの祖父江慎さんが登場。
祖父江慎(以下祖父江):あのね、浅田さんは欲張りなんですよ。
内山:笑。
祖父江:浅田さんは写真を撮るときに方向性をイメージして撮られることが多いんですが、それがいわゆる「企画」にはならないんですよ。浅田さんにとっては達成させることが目標ってことにはならなくって、それがどんどん次の「きっかけ」になっていってしまうの(笑)。だから撮影すればするほどにきっかけが増えてしまうの(笑)。
内山:どのあたりが大変でしたか?
祖父江:なのでこの「浅田撮影局」にはカテゴリーが3つもあるんです。撮ることをきっかけにする『まんねん』と『せんねん』、そして写真を愛でることをテーマとしてる『一点』。でも、ひとつの写真集にまとめるには内容が多すぎなんで、めでたい『まんねん』だけで本にまとめませんか? って相談させてもらって進めてたの。ただ遺影だけの写真集も必ず素敵になるからって困ってたら、なんだか遺影の写真集もつくりましょうってことになって『せんねん』が誕生したんですよ。
内山:ペアが誕生したんですね。
祖父江:写ってるのはカメラマンなのか被写体なのか? とか表現とは何なのか? とか現代写真がややこしくなり、多くの人が「ちょっと写真は難しくてわかんないや」「写真って何だっけ?」って困っていたと思うんです。そんななか、“写真を写す”というストレートなわくわくを思い出させてくれる浅田さんが現れてくれたんですよ! もともとあった「写真を撮るっていいな、楽しいな」という原点に戻してくれた。しかも見てて楽しいというこのすごさね! って、僕ばっかりしゃべっちゃっているけど。
一同:(笑)
祖父江:エンターテイメントではなく、アートではあるけど、アートなのかどうか微妙な、このちょうどいい場所をキープするのって、デリケートでスリリングですよね。
浅田:本を作ったり展覧会の構成を考えたりするときは、デザイナーさんの力が本当に大きいんです。だから、祖父江さんじゃなかったらこの世界観にはならなかったんです。今回は息子が生まれてから足掛け6年分の写真をまとめていただいたのですが、想像以上のものがあがって激ヤバです。
祖父江:いやん。でも、今回の作品は、展覧会3回分の内容ですね。
浅田:会場に入るとまずは『まんねん』の世界ですね。息子の誕生からの作品なんですが、実は200年くらいある写真の歴史のなかで、自分の子供の写真集ってほとんどないんですよ。写真家が撮る作品としての写真は批判性や独自性があってこそ成立するような見られ方をしますし、自分の子供がかわいいという思いが強すぎると作品の題材として扱うのは難しいのかもしれません。
内山:絶対かわいいと思っているから、エゴになっちゃいそうですもんね。
祖父江:けっこう危険な行為ですよ。
浅田:僕もいろいろテストして撮るなかで、どうもうまく撮れなくて模索していて。初宮参りの日に、縁起物が刺しゅうされた産着といっしょに撮ったら、なんだかしっくりきたんです。縁起物って「この子が元気でありますように」っていう親の思いが詰まっているじゃないですか。小さいときは家のなかで、少し大きくなったら縁起のいい人と、または縁起のいい場所で息子を撮るなかで、親というのは「子供に元気でいてほしい」という願いを込めてシャッターを切ってるんだってわかったんです。そんなに意識はしていなくても。その部分を抽出した作品ですね。
浅田:次の『せんねん』はプロジェクターで展示しています。息子の写真を撮るなかで、今度は親父の遺影写真が気になってきたんです。赤ちゃんの写真と両極端にある写真なんですよね。誰もが将来必要になるってわかってるけど、縁起が悪いからもともと用意していないもので。
内山:けっこう昔の写真だったり、集合写真の切り抜きだったりしますもんね。
浅田:最期を偲ぶ大切な写真なのに軽視されがちですよね。なので親父に一肌脱いでもらおうと。さすがに「遺影写真を撮らせて」とは言いにくかったのですが、2人きりで3年ほどかけて撮影しました。男2人だとしゃべらないし、すごく静かななかで進むんです。親父も嫌そうに「何撮ってんの」って態度があからさまだし。
内山:楽しそうに見えますけどね(笑)。
浅田:途中からがんばるようになってきました。ちょっとずつ慣れてきたのもあると思うんですが。
祖父江:いいな! 写真集『せんねん』では、お父さんの表情がストレートにわかるものを厳選して時系列で並べています。最初のころはお父さん、ちょっと目を大きくしたり撮られることに馴染んでない感じなんだけど、後半はいい顔しているんだよね〜。ドキュメンタリーな距離の関係性ですね。
浅田:親父はいま車椅子なんで、リビング内で撮っているんですよ。室内だけでいろんなバリエーション撮らなくてはいけないので、ライト変えたりプロップを足したり、技術的な工夫で写真の見え方を変えようとした迷走期もあります。
祖父江:浅田さんがお父さんを忘れて撮影方法にはまっていった時間を経ての、お父さんの表情の変わり方や2人の関係性がおもしろいんです。
内山:3年向き合って撮り続けて、お父様はどれを遺影に選ばれたんですか?
浅田:自分的に納得いくものをプリントして机に並べて見せたのですが、けっきょく親父が選んだのが写真集『浅田家』のなかで家族と温泉につかっているシーンを複写したものだったんですよ。
内山:それはウルっときますね。
浅田:いや、3年やった苦労はなんだったんだって思いました(笑)。でも温泉の写真のまわりには家族もいるし、楽しかったという思い出も兼ねていちばん自分らしいと感じたんでしょうね。
浅田:最後は写真集になっていない「一点」です。息子と父を撮るなかで、自分も入れて三世代の写真集がつくれないかという発想なんですけど。東日本大震災の被災地で立ち上がった写真洗浄ボランティアの取材のなかで、みなさんが大切に持ち帰られていたのはアルバムの中の何気ない、でも親しい人に撮ってもらった1枚だったんです。それなら、自分も親や友達が撮ってくれた写真を大切にする形をとってみようと。写真技術が誕生した直後は、いまでは考えられないような重厚な残し方をしています。最近まではロケットペンダントなんてものもありましたね。いまはその重厚な残し方が削ぎ落とされてスマホの中にデータとしてあるか、写真立てやアルバムという形で収められているくらいです。収まり方を変えるだけで見え方も変わると思って、骨董市で見つけたアンティークと自分の写真を組み合わせた立体物をつくりました。
祖父江:ね、どんどん謎になっていくでしょ。
内山:ここにあるオブジェは全部いろんな時代の浅田さん、ってことですか?
浅田:はい、全部誰かが撮ってくれた僕で、自分が撮ったものは1枚もないです。
内山:新しいパターンですね…。
祖父江:困るでしょう。どんどん先に行っちゃうから置いてきぼりになっちゃうの。
浅田:(笑)。最近抜いた自分の親知らずと組み合わせたものもあります。昔は髪の毛といっしょに写真を飾る文化もあったので。髪や歯など、切り離すことが可能なその人の身体の一部といっしょに飾ると、写真そのものが本人に近い存在になるんです。
祖父江:最初、どうもこのシリーズがつかめなかったんですが、歯でピンときました。記憶という物質……もう次のきっかけがはじまっちゃってますね。写真集がもう一冊ほしいです。
浅田:生活のなかで写真を活かすのが大切だと思っているので。アルバムをたまに出すのものいいけど、なにげなく置いて日々目にすることで写真とのやりとりが変わると思うんです。
内山:だんだんこういう形で残したくなってきました。
浅田:こういう現在進行系の作品も展覧会に置いて、どんな反応をいただくか楽しみです。あとは撮影スポットが3箇所あるので、「見て、撮って、残す」ことができる写真展になっております。
内山:私はお父様のくだりが心に響きました。映画化の際に浅田家のことは調べ尽くしましたが、新しい一面が垣間見れましたね。
祖父江:例えばコマーシャル写真だと時間を急かされながら明快な結果に向かうことが多いけど、浅田さんの写真はそれ以上に写真を撮るための「準備」のときめきでもあるよね。「準備」の魅力って、いま失われつつあることのひとつかもしれませんね。写真をみていると、いい写真を撮ろう写真の楽しみ方をもっと追求しようっていう終わらないやばさが感じられますよ。
浅田:祖父江さんにそう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。
さて、お次は映画『浅田家!』を語りましょう。
浅田:祖父江さんすごかったですね(笑)。
内山:圧倒されました。ご自身の展覧会のように楽しんでいらっしゃいましたね。
浅田:(笑)。さてさて、映画の完成報告会ぶりですね。
内山:そうですね。今回の対談にあたり、浅田さんに初めてお会いしたのはいつだろうって思い出そうとしたんですけど、思い出せないんですよ。
浅田:たしかにぱっと出てこないですね。
内山:浅田さんご本人にお会いするより先に、ご家族に会っているのは覚えているんですけどね。この作品はそもそも小川プロデューサーの「地元の三重で作品をつくりたい」という超個人的な思いから始まっているんです。で、私はもともと小川さんとも中野監督とも親しくさせていただいていて。2人がこの企画を進めていることを知ったとき、実は演劇の部署にいて映画の担当ではなかったんですよ。でも絶対おもしろそうだしどうにか関わりたいと思っていたら、運よく数カ月後に映画部署に異動になって。
浅田:そうだったんですね。僕はそもそも写真集『浅田家』が出てすぐに他のプロデューサーの方から映画化のお話をいただいて。脚本も拝見していたのですがとん挫しまして。そのときハッと我に返って。「なにを期待していたんだ、自分が映画になるわけない」と思い直しました。お話をいただくだけでありがたかったです。
内山:ただ私がチームに入ったときは、監督と小川プロデューサーが浅田さんの魅力にすっかりやられていまして(笑)。私は社内唯一のプロデューサーとして会社の大きな会議に『浅田家!』の企画を絶対に通したくて、通すまでは客観的な視点を持たなくてはいけないと思って、わざと脚本開発中も浅田さんにお会いしなかったんですよ。浅田さんを知らない人が脚本を読んでも共感できるキャラクターにするために、情を入れないように注意しました。
浅田:全然知らなかった…。
内山:初めて言いました(笑)。『浅田家』の写真集はもちろん知っていたのですが、本物の浅田家の魅力にほだされすぎないようにしましたね。
浅田:ちなみに演劇部から異動してきたばかりってことは初のプロデュース作品だったんですか?
内山:そうですね。女性のプロデューサーってまだまだ少ないので、この配置はありがたかったです。キャスティングも希望通りにいきすぎたので、初回がコレだと次作が怖いですね。
浅田:映画の撮影の前に、本物の浅田家と、映画版浅田家(二宮和也さん、妻夫木聡さん、風吹ジュンさん、平田満さん)が対面しているんですよ。妻夫木さんと兄の幸宏はなんだか普通に仲よしで(笑)。
内山:浅田さんには映画の現場撮影もしていただきましたね。ご自身を演じられている二宮さんを見ていかがでしたか?
浅田:作品なので、完全に別物として見てはいたんだけど、現場で「政志」「政志」って自分の名前が飛び交っているのは不思議な感覚でしたね。妻夫木さんが「政志!」って怒りながら帰ってくるシーンは似すぎててビクッとしました。僕、兄にたまに怒られるの、めっちゃ嫌だしへこむんですよ(笑)。
内山:私も脚本をつくるなかで、想像以上の演技を役者さんにしていただいたときは震えました。この作品って感情移入するシーンが人によって異なると思うんです。お母さんなら病気の息子を思うシーン、お父さんなら北村有起哉さんが演じられた娘さんを探す父親のシーン。私は自分に重なる上京のシーンやクライマックスで感動しました。撮影中、絶対泣くだろうなと思っていたシーンで、5テイクやったら5回ともボロボロ泣いてしまうんですよ。情報量は多い映画ですが、誰もが感動するシーンがある芳醇な作品だと思っています。
内山:監督の希望で、最初の撮影は写真集『浅田家』カバーでもある消防士コスプレのシーンから始めました。本物の浅田家のみなさんも見守ってくださっていたのですが、お父さん役の平田さんが消防服で歩いてきたとき、浅田さんのお兄さんが「とうさんにめちゃ似とる!」って喜ばれていて。お父様は、いま車椅子なのでみなさん感激されているのが嬉しかったです。そのあとのコスプレ撮影は3月頭なのに海岸で海女さんの撮影があったり、二宮さんは半袖になるシーンはタトゥーのペイントをするために早く入っていただいたり。ほぼ寝てなかったんじゃないかな…。
浅田:うちは冒頭のシーンで息子も出演させていただいて。
内山:そうですね。三重のシーンは浅田さんまわりやプロデューサーの小川さんの親戚がエキストラ出演していたり。ごく自然に家族という連鎖が起きるところが浅田さんを題材にした「らしさ」なのかなとも思います。
浅田:作中にもありますが、僕の20代前半は地元でふらふらしている時期もあるのですが、内山さんってどんな感じでした?
内山:私もふらふらしていましたよ(笑)。こんなところで「『浅田家!』公開です!」っておしゃべりするとは思えないくらいに。でも映画がとにかく好きだったので、夢中で時間を捧げてきてよかったと思っています。
INFORMATION
写真展『浅田撮影局』渋谷PARCO4F PARCO MUSEUM TOKYO
〜10月12日(月)
11:00〜21:00
入場料 一般500円 学生400円
※最終日18時閉場
映画『浅田家!』
全国東宝系にて公開中
©2020「浅田家!」製作委員会