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GCC拡大版! 『ぼくのお日さま』出演 池松壮亮さんインタビュー「この映画を通して“言葉にならないもの”の声を届けることができれば」
GCC拡大版! 『ぼくのお日さま』出演 池松壮亮さんインタビュー「この映画を通して“言葉にならないもの”の声を届けることができれば」

GCC拡大版!
『ぼくのお日さま』出演
池松壮亮さんインタビュー
「この映画を通して“言葉にならないもの”の声を届けることができれば」

2024.08.21

9月13日(金)公開『ぼくのお日さま』は、吃音があるアイスホッケー少年が
フィギュアスケートを練習する少女に恋する顛末を描いたひと冬の物語。
まだ多様性の意識が浸透していない社会を舞台に、
人と人とがつながりあうことの難しさを描いています。
しかし同時にかすかな希望も見えて映像の美しさととともに心に残る珠玉作です。
主人公の恋を応援するキーパーソン、フィギュアスケートコーチの荒川役を演じた池松壮亮さんにお話をうかがいました。

Interview & Text_Kyoko Endo

―元フィギュアスケート選手という役、普通に綺麗に滑るだけでも体幹を使う大変な役だと思うんですが、やっぱりそれまでにアクションなどをなさっていたことがプラスになったりしましたか。
いろんな役に向きあうなかで体幹が必要な役もありますから、そういう経験が助けになったところはあると思います。ただこれまでの人生で氷の上に乗ったこともなければ、ウィンタースポーツはほぼ経験がなかったんです。役を通していろんなことに取り組んできましたが、いままでで一番苦労しました。
―具体的に何か月ぐらいかけてどんな練習をなさったんですか。
半年間、週一回2時間程度通って練習しました。最初は2.3秒立っていることもできなくて。先生たちからは「基本的にちゃんと滑れるようになるまで2年くらいかかります」と。「小さい頃からコツコツ、地上を歩くように練習して、一人前に滑ることができます。」と言われて「これは無理かもしれない」と思いました。最初は両手を引っ張ってもらいながら(笑)。それでも立っていられませんでした。子どもたちに笑われながら。転ぶと笑われるんです。未来のオリンピアンたちに囲まれながら、一人ヘルメットをかぶって手を引かれながら滑っている。泣きながら練習しました。(笑)
―フィギュアスケート選手っていうのは職業的にもちょっと特殊というか、日常生活でも目立ちたくないのにスター性があって目立ってしまうみたいなところがあるのかなと感じたのですが、そうした雰囲気とかオーラみたいなことは演技しながら意識されましたか?
スポーツ全般に言えることですが、プロスポーツ選手の選手生命って比較的短いですよね。競技によって差はあれど一度その現役人生を終えるような区切りがあると思います。荒川は華やかな選手時代の末、現在は田舎町でコーチをしているわけですが、スター性や目立ってしまうような雰囲気よりも、この人物の持つセクシャリティなどの影響から、どちらかというとひっそりと隠れるように息をしてきた印象があります。ままならないこと、どうにもできなかったこと、たくさん重ねてきた諦め、そういう類のものが彼の人生を覆っていて、この雪積もる街でタクヤやさくらと出会うことによって、純粋な気持ちを少しずつ取り戻していきます。また、教えること、あるいはサポートすることがいま非常に難しい時代になってきている中で、そこで誤解を生んだり、そういった現場に決して許されない犯罪や暴力が目立ってきていますよね。教える側の教養や倫理観を見直すことが求められていると思います。これからの時代にどう未来と対峙していくべきなのか、そういうことを考えることがこの役と向き合う上で必要だと思っていました。
―じつは友だちもちゃんといるし意外に幸せそうな主人公のタクヤと比べて、荒川さんは一見すごく恵まれていて才能もあってすべて持っているように見えながら、世の中の不条理をまともに受けてしまうような役で、影の主人公というか、荒川さんの物語がないとまったく映画の印象が変わってしまいます。最初に脚本を読まれたとき、どのように感じられましたか?
とてもシンプルなストーリーの中で、非常に眩しいふたりの時間、ある冬に訪れる出会いと別れを描きながら、そこに大人が入ることでその世界に広がりを持たせられればと思いました。美しい刹那的な時間を描いているけれども、同時にそれぞれの痛みを描く上で、荒川の役が重要になってくると思いました。この映画の持つ声に、大人の視点が入る事で説得力と深みを足していけたらと思いました。
―この作品は脚本も音楽も素晴らしくて、例えば荒川さんのタクヤへの「好きなカセットかけていいよ」のひと言で、タクヤが何度もあの車に乗ってどんなカセットがあるかもわかってるんだと観客に伝えている。そこで選ばれるのがゾンビーズの“Going Out of My Head”で、非常に人気があったゾンビーズなのにチャートインしなかった曲というところが象徴的で、そこからも荒川のキャラクターがにじみ出てくる感じがしました。
素晴らしいセレクトですよね。ここに描かれている3人は、それぞれちょっと社会からはぐれてしまっている人たち、そうやって生きてきた、あるいはこれからもそうやって生きていかなければならないかもしれない、そういう人たちです。
―監督との出会いについてうかがいたいんですが、エルメスの短編ドキュメンタリーでお会いになったとき、どんな印象を感じられましたか。それまで何作もの作品に出演なさってきた中、奥山監督はそれまで会われた監督とどのようなところが違っていたのでしょうか?
奥山さんが卒業制作で撮られた長編一作目の『僕はイエス様が嫌い』を拝見していて素晴らしいなと思っていました。それ以来、奥山さんは広告界でも活躍されていて、その広告やミュージックビデオ、配信ドラマを陰ながら拝見して、度々感動していました。是非みなさんにも観てほしいです。最近ですと米津玄師さんの『地球儀』。ジブリの『君たちはどう生きるか』の主題歌のMVです。聖なるものを映し出す力というか、カメラを使って世界を切り取る能力、その感性にずば抜けたものを感じています。ドキュメンタリーで初めて一緒に仕事をさせてもらった時も、そのセンスと人柄に、やっぱりこの人はすごい。一緒に映画を作る機会があれば、きっと同じ方向を目指せると確信に変わりました。その後もともと奥山さんが進めていた今作の企画に混ぜてもらって、ここまで辿り着きました。
―『ぼくのお日さま』とは別に監督と一緒につくりたかった原作小説があったそうですね。
以前とあるプロデューサーと山本周五郎の『ちいさこべ』を原作に企画を進めていたことがありました。行き場を失った子どもたちを大工が育てる話なんですが。そのプロデューサーから「これからの新人監督のメジャーデビューとして海外も目指して映画にしたい」という話をされて、真っ先に浮かんだのが奥山さんでした。そのプロデューサーの方と一緒に奥山さんに会いに行って、そこがほぼ「初めまして」でした。
―池松さんと奥山監督の『ちいさこべ』も是非見てみたいですね。『ぼくのお日さま』は本当にすべてのカットがすごく美しくて『アマンダと僕』を思い出したりしながら観ていました。監督が撮影もするスタイルだと、カメラマンさんにカメラを向けられるのとまた違う感覚があったりしますか?
あります。以前、塚本晋也監督の『斬、』という作品に出演しましたが、塚本さんもご自分でカメラを回すんです。だから初めての経験ではなかったんですが、カメラの奥に監督の目があるんですよ。カメラマンの目と、監督の目と、対峙したときにやっぱり違うんですね。監督の目が直接的にいまどこにフォーカスが来てるかというのをダイレクトに感じます。今作の子どもたちもそうだったと思います。もちろんその手法の方が絶対にいいというわけではありません、ですがそれによって撮れていること、被写体のお芝居に作用していることが、今回もとてもよく映っていて、そのことがこの映画に良い作用を与えているなと感じます。
何よりやっぱり、あのスケートシーンの映像は奥山さんじゃないと撮れません。あれだけのカメラ技術とスケート技術を併せ持ったカメラマンは世界中探しても見つからないのではないかと思います。カメラを一人で担いで360度振り回してますから。現在も広告会社に務めながら、監督とカメラマンの二刀流でどちらも圧倒的なレベルで担っています。さらに今作の宣伝プロセス、予告編やポスター、パンフレット作りや、その他様々な仕掛けにおける革新的な実行力も驚くべきものがありました。良い映画を作ること、それを丁寧に観客に伝えることを何よりの目的に、今後もこれまでのルールに縛られない規格外のスケール、スタイルでやっていってくれると思います。
―3人が楽しく練習をしているシーンが、あまりにもずっと見ていたくなるような幸せな気持ちになるんですけど、でも一方でこの幸せがいつか壊れるんだろうなって、ちょっと不安になりながら見てるようなところもあって、本当に何度も観たくなる作品です。とくにどんな人に観てもらいたいですか?
性別や年齢を選ばない、誰もがアクセスしやすい映画になってくれたのではないかと思っています。どんな方にと言うつもりはありません。さまざまな人生をおくる方々に観てもらいたいと思っています。この映画は“言葉にできない想い”にまつわる映画でもあります。3人はそれぞれ、言いたいこと、言ってしまったこと、言えなかったことを抱えています。主人公、タクヤは吃音症を持っていて、同時にさくらも、荒川も、それぞれが抱えるものの影響があり、うまく言葉にできないことを抱えています。適切な表現ではないかもしれませんが、彼らも、肉体的、精神的な吃音を持っているとも言えます。でもそれは誰しもがそうで、または身に覚えのあることだと思っています。世界はこれだけ騒々しく、誰もが言葉を発信し、ある程度主張や議論が交わせる世の中になりましたが、でもその世界の言葉が全てでは決してなく、沈黙の意味するところが絶対にあると思っています。彼らの沈黙に耳を傾けること、そういうところを掬いとるような映画を目指していました。沈黙、静寂……自然もそうですよね、この映画を通して言葉にならないものの声を届けることができればと思いました。90分の上映時間の中に、人生のかけがえのない時間と、出会いと別れ、痛みと喜びが、美しい映像とともにぎゅっと凝縮されています。とてもピュアで、心に温かく残り続けるような映画です。この映画を観た多くの方の人生に今作が寄り添えることを願っています。
―そうなんですよね。いまは言語化したもの勝ち、カテゴライズしてキャッチフレーズをつけたもの勝ちみたいな社会になっている気がしていて、短い言葉で何か言えた人が勝ちみたいなことに違和感を抱きながら日々暮らしている方も多いと思うので、多くの方に届く映画だと思います。
本来マイノリティを描くということは、マイノリティだけを描くのではなく取り巻く社会全体を映すということで、今作はマイノリティを扱いながらも何かを主張するような映画ではなく、社会を描かず社会を描いているような作品になったと思っています。映画は現実の反映。現実と地つづきですが物語でありファンタジーです。まるで映画でこの現実世界をカバーしていくような奥山さんの感性に、深く共感できました。これから迎える新たな時代の雪解けのような映画を、新時代の才能が見せてくれるのは、ものすごく意義深いことなんじゃないかと思っています。
―ありがとうございました。

『ぼくのお日さま』

タクヤは少し吃音がある小学6年生。家では次男坊。野球は外野、アイスホッケーはキーパーでどっちも本当はそれほど好きでもない。でもフォローしてくれる友だちはいる。そんなタクヤはある日スケートリンクで美しく舞う少女さくらを見て心を奪われてしまう。不器用にフィギュアスケートを真似るタクヤ。さくらのコーチの荒川はタクヤにフィギュアスケートを教えるが、さくらはコーチのことが気になっていて……。雪が降りはじめてから雪がとけるまでのひと冬の少年の成長を描きたかった監督がハンバートハンバートの楽曲『ぼくのお日さま』と出会って生まれた美しい映画です。

監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
出演:越山敬達、中西希亜良、池松壮亮、若葉竜也、山田真歩、潤浩ほか(2024/日本/90分)
企画・制作・配給:東京テアトル
9月6日(金)〜9月8日(日)テアトル新宿、TOHOシネマズシャンテにて3日間限定先行公開。
9月13日(金)より全国公開
© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

PROFILE

遠藤 京子

東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。

Instagram @cinema_with_kyoko
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