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GCC拡大版! 『aftersun/アフターサン』シャーロット・ウェルズ監督インタビュー。
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『aftersun/アフターサン』シャーロット・ウェルズ監督インタビュー。

2023.05.24

30代イギリス人女性監督のデビュー長編がアカデミー賞主演男優賞にノミネート、
英国アカデミー賞では新人監督賞を受賞、A24が北米配給…
すでに話題になっている『aftersun/アフターサン』。
子ども時代の90年代後半、父とふたりきりの夏休み旅行を当時の父と同じ
31歳になった女性が回想する物語で、親子の関係性が繊細に描かれています。
音楽映画としても抜きん出ていて、私がこの映画にやられたのは、
音楽を聴いたときに一瞬で過去に引き戻される感覚が
見事に映像化されていたことでした。
すごく多元的な映画のごくごく一部を、監督に聞きました。

Interview & Text_Kyoko Endo

―素晴らしい作品でした。ドラマを見ているはずなのにドキュメンタリーを見ているような錯覚に陥ってしまったほどリアルでした。ご自分の実体験をもとにしたのはどんなところでしたか。
最初にスクリプトのアウトラインを書いたときは、確か自分自身の記憶からエピソードや会話の断片を、父との旅行からだけじゃなく、子どものころの全体的な思い出から書き出したんですが、映画として何年もかかって形になったらその中のほんの少ししか入っていなくて…私が直接経験したものを表したのがこの映画、みたいに感じています。スクリプトが書き直されるたびに、それは確実にフィクションという形になっていって、私の個人的な経験からは離れていきました。ですが、それでも、記憶が映画のハートになりました。スクリプトには残っていたけれど、編集段階で落とした思い出もありました。たぶん、よりフィクションらしくしたかったからだと思います。実際に経験したことは、ビリヤードやティーンの子たちとプールで遊んだことですね。たまたま年上の子たちに出会って、その仲間になりたいと思ったことは記憶を元にしています。
―まだ11歳で子どもっぽいソフィが、女子トークに仲間入りしたいのにビリヤードの腕を見せるまで年上の子たちの仲間に入れなかったり、フランキー・コリオはカミングオブエイジの少し切ない感じも体現していたと思います。あなたにとって、カミングオブエイジとは? 成長とはどんなことでしたか? 
まったく自己認識がない状態から認識が深まっていくのを見ているというのが映画のコンテクストの中にあったと思います。私が主人公を11歳にしたのは、もし彼女が6歳だったら、身体的にはもっと自由だけど自我への目覚めはそれほどではないし、もっと父親に頼っていなければならないでしょう。もし彼女が16歳だったら、もっと友だちのグループに引っ張られていると思うんですよね。でも11歳にしたので、大人の世界に足を踏み入れているけれどもう片足は子どもの世界に残っているんです。ここが大事で、思春期がギリギリ始まるところにいながら、でもまだ子どもなんです。それでもう自我は芽生えている。カミングオブエイジっていうのは、人にどう思われるかを意識しはじめて、自分の行動を人にどう見られるかに当てはめていく時期だと思います。映画の中ではカラオケでソフィが歌うシーンがまさにそうなんです。最初歌いはじめたときのソフィは子どもなんですが、歌い終わると何かが失われている――映画全体で何かが終わっていく。ソフィはものすごく頑張って何かを手放したんだと思います。大人とか世界の一部になりたくて。でも一度そうしてしまったら、手放したものを取り戻したくなるんじゃないでしょうか。でも一度自意識を持ってしまったら、もう子どものころのように自由にはなれない。私がカミングオブエイジについて考えていることが映画に反映されているのはこのシーンですね。もう一つの質問はなんでしたっけ?
―あなたにとって成長するとはどんなことなんでしょうか?
ふう…(大変な質問がきたという表情で息を吐く)それは人生の各地点でまた違うことを意味すると思います。ソフィが成長するようにカラムも成長途上です。彼らは違う時期でカミングオブエイジなんです。カラムは青春期を終えようとしていて、もっと大人になる時期に入りかけています。つまり自分自身へのリスペクトも、他者へのリスペクトも含めて自分の行動に責任を負わなければならない時期なんです。11歳だろうが31歳だろうが、行動の影響で人は変わるし、成長するにつれその影響が自分にも及びます。
―19歳で父親になってしまったカラムにとってのカミングオブエイジ映画でもあるんですね。
その通りです。キャスティング前は自分でも気づいていなかったんですが、ソフィの兄弟と間違えられるくらいスクリーン上で若く見えて、でも30歳という人がどうしても必要だったのは、だからだったんだとあとで気づきました。30歳というのは25歳とは違って、ここもまた人生の二つの世代のはざまなんです。誰がカラムを演じるべきかに直面したときになって、ソフィとカラムに同じことが起きているんだと気づきました。
―つまり30から31になるのはダメおしというか…
そうですね。29から30が一瞬のギャップとも思いませんが、30から31は、本当に人生の新しいステージを受け入れることになると思います。だから登場人物をこの年齢にしたんです。
―カラムがタバコを拾ったりするシーンがありましたが、コロナ以降では考えられないことですよね。
ブレグジット以前を思い出させるシーンもありました。ブレグジットやコロナなど、つい最近起こった歴史上の大きな変化を思い出させるシーンを入れたのはなぜですか。
スクリプトを書いているときそういうことをはっきり考えていたわけじゃなくて、本当のところは、あまりにも長い時間をかけてスクリプトを書いていたので、その間にいろんなことが起こっちゃったってことなんです。でも絶対…経済や階級格差のことを考えたとしても、90年代後半みたいにみんなが自由であんなに旅行していた時期はありませんでした。だからいまでも面白いなと思うのは、この時期がイギリス人とアメリカ人には受け止められ方がまったく違っていて、アメリカ人にとっては特に90年代後半は海外に行ったり旅行に行ったりする余裕があまりなかったので共感しにくいのかも…。でも、そうですね、書いている間も撮っている間も、90年代後半の空気感をとらえようという以上には世界の最近の変化のことはあんまり考えていなかったです。でもタバコのシーンを撮影したときはすごく大変で、コロナの最中だったので、ポールはいったん煙草に火をつけて、それをわざわざ置いて、そのあとまた戻ってきて拾って吸うという撮り方をしなければならなかったんです。めちゃめちゃめんどくさかったです。
―大人になったソフィがカラムと踊るシーンは、親と同じ歳になって親の気持ちに共感していることを表しているのでしょうか。当時の父に直接気持ちを伝えられない切なさも描かれているように感じました。
それはどういうこと?
―えーと、つまりソフィがカラムの気持ちがわかる31歳になったらもうそこに31歳のカラムはいないわけですよね。
自分と同い年の父ということ。はい。あのレイヴのシーンは…彼女が過去を思い返しているのを表していて、彼は私たちが見ているように夏休みの旅行中で同じ狭い部屋にいて、ドアを通って出ていく。ソフィは過去を見ながら、記憶を通して捉えがたい何かに手を伸ばそうとしていて、もう喪ってしまった何かを欲しているんです。夏休みが終わって彼女と別れてさよならと言って彼がドアを通って出ていくとき、そのときがソフィがカラムに会った最後になるんですが、彼女にとっては彼はその時間の中で留め置かれているんです。
―私も母と同じ歳になって「あのころこういう状況だったのか」と推察できるようになったこともあり…。
そうなんです。なぜソフィがこのときを振り返るのか、私も書きながら何度も考えました。どういう状態だったら気になるだろうかと思っていました。確信があったわけじゃなかったんですけど、私にははっきりしてきていたのが、ソフィがこのときを振り返る動機のひとつが、まさにその年齢になったからということなんです。ソフィがこの夏休みのときの父と同じ年齢になったということ、子どももいて新しい視点を持ってこのときを振り返っている。(同じように旅行をしていても)カラムの経験はソフィとはまったく違った経験なんです。大人たちは子どもに対して教師や親といった役割を演じざるを得ないので。
―昔よく聴いていた音楽を聴いた瞬間、過去に引き戻されるのはよくあることですが、そんなプルースト的な瞬間が映像化されているのに驚きました。どのようにディレクションしたんですか?
特に最後のレイヴのシーンについて言うと、カメラを意図的に配置して、ストーリーボードもあのシーンだけ描いたんです。あの瞬間の内面的な変容と外見的な変容も意識しました。それにまた、映画の中でもそれぞれ余裕を持たせて正しい位置にシーンを入れ込みました。撮影監督のアイディアなんですが、大人のソフィにダンサー(セリア・ローソン・ホール)をキャスティングしたんです。ダンス以外のシーンだけじゃなく。部屋全体の動きが振り付けされていることが重要だと考えていたのです。撮りたかったものがわかっていたので、最後の二人の動きは、脚本との見事なコラボレーションで、人が混んできて彼女が進むほど邪魔されてしまう、人が散ったと思ったら急に二人のスペースが空くんです。撮影現場ではカメラワークと脚本が呼応していました。トルコの田舎のトマト工場で撮っていて45℃もあって、ストロボを使って密な雰囲気をカラムの周りに作り出しました。俳優たちについては…最初にポールに、ここは彼が見つけたポジティブな逃避場所なので最初から自由を感じてほしいと伝えました。カラムが絶望に侵されていく演技は特に素晴らしかったと思います。最後には一種時間をコントロールしていてポールには大人のソフィがそこにいるとわかっています。終わりに向かうときに何が起こるかもわかっているんです。彼女が彼をつかんだシーンで、彼は彼女がわからず、彼女を押しやり、あるいは彼女が彼を押しやります。そうしてあるところで、彼女は彼をコントロールしようと格闘して…よく覚えていますが、リハーサルがとても感動的で、ポールがフランキーにリラックスして身を任せるのですが、これがソフィとカラムの夏休みの間に親と子の関係性が逆転した、癒される瞬間だったと思います。
―振り付けがあったとのことですが、ポール自身から出てきた動きはどれくらいあったんですか? マンチェスター・ムーブメントのころの踊り方がすごく自然だったので。
確かに振り付け的なものはあったんですが、それは彼がダンスしているところに大人のソフィが近づいていくところで、よりシンプルにメカニカルにその瞬間必要なことだけを伝えました。彼らが一緒に踊り、彼女の手は自然に彼の肩に置かれていて、カラムがそれを払いのけ、彼女が彼を引っ張るというのを私たちは2回撮っていたのですが、これがすごく混みいっていて、というのも、私たちはレイヴのシーンは半年後にロンドンで撮り直したんです。でもロンドンで撮った映像は少ししか使いませんでした。最初の撮影の密度が欠けていたからなんです。でも、そうですね、二人の動きの振り付けはかなり特別で、彼女を押し返したりするのはスクリプトにあったのですけど、ホテルで踊るシーンで子どものソフィがカラムを押し返すシーンを撮っていたのでそこに合わせる必要もありました。そうしたことがレイヴのシーンに反映されたんです。私たちは撮影したシーンをカットバックに使うためにカメラを思い通り動かす必要があったんです。ポールの動きそのものは(振り付けではなく)自然に彼から出てきたものでした。ダンスそのものは演出しすぎないようにしました。もともとオーディションで、彼がカラムとしてどんなふうに動くのか、最初にタバコを吸いながらバルコニーで踊るシーンを演じてもらっていたんです。
―美しい残像が印象的でした。残像にどんなメタファーがこめられているのでしょうか。例えば空のパラグライダーが残像を残したままプールの水に映ったパラグライダーの映像になったり…。
この映画を作っている間、永遠に残るもの、それもある場所にいる人間にとっての永遠についてかなり考えていて、いまここに彼らがいるかのように感じられる、時間がこぼれ落ちていくような何かが感じられるセットとして、人間関係と人間自体が場所よりも早く変わってしまう水や空のシーンを考えたんです。パラグライダーがいつも飛んでいたのもあのロケーションを選んだ一因です。パラグライダーは私にとってはカラムがずっと抱いている気分を示すメタファーなんです。実際にあの場に座るとパラグライダーが山の向こうに見えて、大丈夫なのかなってちょっと不安になるんです。パラグライダーがコントロールを失ってくるくる落ちていったりするのも見えて、でもまた山の向こうから上がってくるのが見えたりして。山すれすれをめちゃくちゃな動きでぐんぐん飛んでいて山に突っ込みそうになったり。パラグライダーが別のレイヤーで映画にテンションを加えたのかもしれませんね。
―シューゲイザー的な視点で世界を見ているようにも感じられました。クラブカルチャーからどんな影響を受けましたか。
面白い質問ですね。クラブシーンは私自身のカルチャーではなくてスクリプトの90年代後半の視点から取り入れたもので、カラムの世界を作り出すために私は意識して90年代のレイヴの映像を見まくったんです。だからある点では影響を受けたといえますが、それはあのシークエンスを撮るためで、個人的にはそんなに影響は受けていないんです。
―音楽の使い方が素晴らしい作品ですが、断られたときに別の曲は考えていたんですか?
スクリプトの中の全部の曲が使えたわけではなくて数曲ポストプロダクションまで待って使えなかったのもあったんですけど『アンダー・プレッシャー』も『ルージング・マイ・レリジョン』もオール・セインツの『ネヴァー・エヴァー』もスクリプトに書いていて、ブラーの『テンダー』も使いたいと思っていました。音楽担当者がすごく協力的でコネクションもあって素晴らしい仕事をする人だったのでラッキーでした。彼女が全部の権利を獲得してくれたんです。最初のころ、プールサイドのシーンでスパイス・ガールズとオアシスを使いたいと思っていたんですが、音楽担当者が「私たちそれは使えそうもないわ、どうしても必要?」というので「いらない」といって(笑)使いたいものはほかに全部使えたので、喜んで諦める気になりました。でも『アンダー・プレッシャー』が使えなかったら、一体どういうことになっていたのかわかりません。最初のカットから、最後のあのシーンは重要だとわかっていました。最終的には使えることになってありがたかったです。土曜日に私は東京に着いたんですが、その夜、ラーメン屋さんに入ったら『ルージング・マイ・レリジョン』が聴こえてきたんですよ! あの曲が私についてきているみたいでした。信じられなかったです。あの曲については諦めて別の曲にしたらどうかとも言われたんですが、私にはそれがすごく難しくて、というのも、あんなに静かな映画で音楽と歌詞が突然出てくるのには、あの曲がぴったりだったと思っていたのです。
―ホームビデオで撮られた映像が印象的でした。iPhone世代の子どもたちがずっとiPhoneを記録媒体として使っていくとしたら過去の映像に対する感覚は今後変わると思いますか。
私は変わらないんじゃないかと思います。ホームビデオの画像のようにテクノロジーはどんどん進化していくかもしれないし、iPhone16でiPhone6に録画した過去の画像を見る世代がいるかもしれません。いまは私が育った時代よりも明らかに多くの映像が録られていますが、過ぎ去った年月の映像を見ようとするときって、目の前にあるものを超えた何かを探していると思うのです。そこにいた感情や、そうした感情を思い出させるとらえられない何かで、それは20年前といまも変わらないんじゃないでしょうか。
―ありがとうございました。次回作の構想とかなさってますか。
まだ全然考えてないんですよ。ありがとうございました。

『aftersun/アフターサン』

(2022/イギリス・アメリカ/101分)

監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン・ホール
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©︎Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
5月26日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
公式サイト

PROFILE

遠藤 京子

東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。

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