上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。 #117『エディントンへようこそ』
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。   #117『エディントンへようこそ』 上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。   #117『エディントンへようこそ』

GIRLS’ CINEMA CLUB

上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#117『エディントンへようこそ』

2025.12.24

実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
公開から2週間(近く)経ってもやっぱり『エディントンへようこそ』をご紹介したいのは、
この作品、背景の情報量がやたら多いのに、それを説明している人があんまり見当たらないからでもあるんです。
(紙で書いてる人がいてこっちがチェックできてないのかもしれませんが)。
アリ・アスター監督の才能には毎回ぶっ飛ばされるのですが、このぎちぎちな背景を濃いめにご説明したいと思います。

Text: Kyoko Endo

鬼才という名にふさわしいアリ・アスター

舞台は2020年のニューメキシコ郊外の架空の小都市エディントン。時期的にはコロナ禍で多くの人が家に閉じこもらざるを得ず、ブラックライブズマター(「黒人の生命は大事だ」以下BLM)が盛り上がった年でもありました。実際に起こったコロナとBLMを背景に、SNSが加速した分断、マチズモ、カルト、人種、銃……と本当にさまざまな問題を監督は描き出しているのです。

BLMの発端となったのは、ジョージ・フロイドさんという黒人男性が白人警官に路上で膝で喉を締めつけられて殺された事件への抗議行動。監督はまさに2020年に脚本を書いていたそうで、この抗議行動が全米に飛び火していく様子がこの作品ではドキュメンタリーのように描かれているんです。小都市エディントンでも義憤に駆られた学生たちがデモを始めます。主人公の部下の黒人保安官に甘やかされた白人のガキが絡んでくる矛盾……。

ところでBLM後、白人至上主義者が愚かにも「白人の生命も大事だ」とか言い出しましたが「生命が大事だ」と主張しなければならないのは、ちゃんと言っとかないと殺されそうなほうですよね? 黙ってても保護されるマジョリティがオレの権利も守れとか言い出すと、結果、マイノリティがちゃんと救済されないことになってしまいます。既得権益層が当然シェアすべき権利を自分が損するかのようにケチケチ考えるからおかしなことになる。人権平等化はゼロサムゲームではないっつうの。女性活躍へのアンチにしても同じこと。

こういう白人の生命モーとか男性活躍ガーやらの無茶な言説が急激に流行り出したのはSNSの仕組みゆえ。つまりSNS運営側は広告費を集めるために読んでくれる人を増やしたいので個人が好きそうな記事をアルゴリズムで選び出してホイホイ出してくる。その手に引っかかって好きな記事だけ読んでいると世界は自分と同じような意見の人ばかりに見えてきて、あっちゅーまに偏向思考の出来上がり……ということに。エコーチェンバーなどとも呼ばれるやつですね。

監督は複数のインタビューで、SNSで分断された人同士で対話ができるとは思えないと憂慮し、リアル陰謀と陰謀論の判定が困難になることも問題だと指摘していました。コロナで家に閉じこもってSNSでばら撒かれる陰謀論に浸りきっていれば、頭が煮詰まるのは必定。たとえば気候危機は1950年から予見されている科学者の常識なのに、石油企業からお金もらってるエセ科学者のサイトしか読んでない人は「陰謀だよ」とか平気で言えちゃうようになります。こうした陰謀論がSNSを媒介に蔓延している社会を『エディントンへようこそ』は活写しているのです。

そんなSNS濫用が当たり前になったのはスマホの普及も一因で、この作品ではスマホという小道具もかなり面白く使われています。主人公が何かやろうとすると必ずスマホが中断してくるんです。コミカルなだけじゃなく注意力が奪われて日常が細切れにされることが非常に巧みに表現されています。

主役は保安官のジョー(ホアキン・フェニックス)。根はいい人なんだけど、マッチョで融通が利かない男。コロナ禍下で、ジョーが車に乗っていると「マスクをしろ!」と警察が言ってくる。一人でいてもマスクをさせられる不条理を指摘すればいいものを、状況にただ反発するジョーは感情をエスカレートさせ市長選に立候補してしまいます。

ジョーが体現するのがまたすんごいマチズモで「俺のほうがお前よりいい市長になれるんだ!」とミーイズム炸裂。アムロか。妻にもひと言の断りもなく立候補しちゃうし、部下には「ここが選挙事務所だ!」と保安官事務所を有無を言わせず流用。妻の元彼が市長なのですが、後先考えず妻の過去を演説のネタに。妻のことは人形のように扱っていて人格を認めていないのに、なぜ嫌われるかわかっていない。妻(エマ・ストーン)は妻で、自分が何をしたいのかよくわかっていなくて自分の人生からただ逃げたい人でカルトの教祖様(オースティン・バトラー)についていってしまいます。

市長選に出ると決めたジョーが部下のマイケルに昇進の申し出をしたとき、黒人のマイケルの頭にあったのはジョージ・フロイド事件のことでした。抗議行動を単純に怖がる白人の同僚に対して、どっちに動いてもなんか言われそうで言いたいことを飲みこんでる感じのマイケル。さらには隣地区の先住民族の保安官も出動して、白人が先住民から分捕った土地に連れてこられた黒人奴隷という歴史がうっすら立ち上がる仕組みになっています。ちなみに市長はヒスパニックです。人種的に表立って対立していないけれど差異は認識されている状況ですね。

当然、市長選は泥試合になって途中からもう八つ墓村みたいになり、最終的にジョーはなんのために誰と戦っているかもわからないカオスに自らを巻きこんでいくのです。この「敵が誰だかわからない」混沌こそがネット社会の現実。あと、銃がなければここまで酷いことにはならないはずで、銃社会ってやっぱり……と思ってしまいます。さらに市長はデータセンターを誘致して予算を増やす公約ですが、このデータセンターというものも気温上昇を加速していることがわかっています。どこを見ても社会問題だらけなんです。

アリ・アスターがすごいのはこれらすべてをブラックコメディに仕立て上げたところ。楳図かずお先生が『洗礼』と『まことちゃん』の両方を描かれたように、過激な笑いと恐怖はちかしいものなのですね。爆笑か恐怖、どちらを感じるにせよ、見たことがなかったおもしろさを感じられることは保証します。

『エディントンへようこそ』

監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラー(2025/アメリカ/148分)
配給:ハピネットファントム・スタジオ
TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中
©2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

『エディントンへようこそ』だけじゃない! そのほかのおすすめ映画

年間ベストを聞かれる時期になりましたが、皆様の年間ベストはなんでしたか? しかしそれを決めるのはまだ早い!年末まで、まだまだ見応えある作品の上映が続きます。年明けもいい作品が待ってますのでお楽しみに。良いお年を!

世界一不運なお針子の人生最悪な1日

これこそネタバレできないけれど、おもしろさを保証したい必見作。手しごとの延長線上にあるトリック、執拗に追われるサスペンス、パラレルワールドとかではないのに分岐するあらすじ、すべてが新しい! 監督は撮影当時21歳。天才の出現を目撃してください。公開中。

おくびょう鳥が歌うほうへ

大学進学でロンドンに出てきたのにドロップアウトしてアルコール中毒に陥ってしまった女性が極北の島の大自然の中で立ち直っていく物語。とだけ書くとありがちに聞こえちゃうかもしれませんが、周囲との和解や成長が描かれた本当に力強く美しい作品です。1月9日公開。

小川のほとりで

10月のGCCでご紹介した月刊ホン・サンスの2作め。ホン・サンスの映画って、レストランで隣り合わせた人の会話を聞いているとだんだんその人たちの生活がわかってくるのに似たおもしろさがありますが、これもいい感じの会話劇。旺盛に食べ、飲み、語る俳優たちがとても魅力的です。公開中。

ボディビルダー

一見マッチョ礼賛風ですが、じつはすごいマッチョ批判映画。結局ガワだけ整えても自分を好きになれないし、身体を鍛えるのは美しいことだけど、それが産業化すると矛盾だらけになるってこともつくづくよくわかります。ワグナーにニック・ロウにシガー・ロスという選曲センスも抜群。公開中。

少女はアンデスの星を見た

アンデス先住民族の共同体で祖父が孫娘を殺した。レイプされて精神状態が不安定になった孫娘を元気にしてやりたかった祖父だったが民間信仰にしかアクセスできず、共同体も家父長制的価値観を押しつけるばかり……ペルーの物語なのに他人事とは思えないすごい作品。公開中。

ポンヌフの恋人

タイタニックのアレとかをすでに91年にやっていた、かっこいい映画のお手本みたいなレオス・カラックスの代表作が劇場公開中。令和目線では内容に立ちすくむ観客もいるかもしれないけど、この美しさは否定できないのです。『汚れた血』『ボーイ・ミーツ・ガール』『ポーラX』も連続予定。

サムシング・エクストラ! やさしい泥棒のゆかいな逃避行

ホッツェンプロッツみたいなタイトルですがファンタジーではなくて、宝石店に押し入った強盗が逃走しようとして障がい者キャンプに紛れこむコメディ。内容は本当にタイトル通りですが決して子ども向けではなく大人が笑えて泣けるドラマで本国の年間興行収入1位にも納得です。12月26日公開。

海賊のフィアンセ

ピカソが絶賛したネリー・カプラン監督作が国内初上映! 村最下層で虐げられていた下働きの少女が母の死をきっかけに開き直って男どもから金を巻き上げるアナーキーな下剋上ストーリーの本作には、なんと若きルイ・マルがルンペン役で出演。ほか3作もラディカルなコメディばかり。12月26日公開。

ストレイト・ストーリー 4Kリマスター版

元祖天才デヴィッド・リンチ監督が亡くなってもうすぐ1年。監督の作品群の中では異色の感動作が劇場公開されます。芝刈り機に乗ったおじいちゃんがおじいちゃんに会いに行く、実話を元にしたしみじみいい映画です。リンチ色がっつりな『インランド・エンパイア』と同日の1月9日公開。

CROSSING 心の交差点

トランスジェンダーの姪を探すためにジョージアからイスタンブールに旅する元歴史教師の女性とどうしても故郷を出たかったジョージアの青年。世界に名高い古都の多様性を背景に、ジョージア人の経済的苦境やトランスコミュニティの連帯も見えてくる万華鏡のような作品です。1月9日公開。

PROFILE

遠藤 京子

東京都出身。
出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』、『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。

Instagram @ cinema_with_kyoko
Twitter @ cinemawithkyoko
  1. HOME
  2. FEATURE
  3. Culture
  4. 上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。 #117『エディントンへようこそ』