GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#119『センチメンタル・バリュー』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回ご紹介するのは『センチメンタル・バリュー』。
エキセントリック女子のやらかしやクリエイティブ職業の業などがコミカルに散りばめられつつ、
最終的には清々しく感動的な人間ドラマ。
カンヌでグランプリを受賞していてオスカーノミネートもされている逸品ですよ。
Text: Kyoko Endo
おさえておきたいカンヌ・グランプリ受賞作
ヨアキム・トリアー監督の名前をすぐに思い出せなくても、監督の前作『私は最悪。』を覚えている人は多いかも。『私は最悪。』では30歳になろうとするのに仕事も恋愛関係も迷いまくる主人公を好演したレナーテ・レインスヴェが今回も主役。この人、キレやすいうえにキレるとどうなるかわからない人物役がものすごくうまいんですよね。
今回レナーテが演じるのは俳優として成功しているノラ。国立劇場で主役を張るほどの大女優なのに、舞台に上がるのが怖くてたまらなくて出番直前に舞台監督の目を盗んで劇場から逃げようとするような女性。ドタバタの挙句、衣装のドレスを破いてしまって衣装係にガムテープで直された衣装で舞台に出る羽目に陥ったりします。
しかし、出ればスタンディングオベーション。天才ですがどこかぶっこわれているノラ。だから自己嫌悪に陥るしパートナーと長期的な関係を続けるのも難しい不器用な女性です。ちなみにこの舞台は『The
Witch』で、家父長制に抗うフェミ演劇だとヨアキム・トリアー監督は言っているんだけど、それってデンマークの巨匠カール・ドライヤーの名作『怒りの日』の原作なのね。
物語に話を戻しますと、主人公ノラの父は彼女が幼いころに家を出て行ったきり。ノラは母と妹と暮らしてきたのですが、その母が亡くなって突然呼びもしない父が葬儀に現れます。妹の夫の名前をはっきり間違えてにこやかに話しかける調子の良い父。しかし家は父のものなので追い出すわけにもいきません。父は映画監督でフランスの映画祭でレトロスペクティブ上映が組まれるような名匠ですが、エキセントリック娘の父はやっぱりエキセントリックで、過去何十年も放っておいた娘に突然映画に出ろと言ってきます。
当然のように突っぱねるノラ。このお父さんがクリエイターとして優れている人にありがちな無神経さで、家族を捨てて家を出て行ったくせにクリエイションについてはド正論で詰めてきます。「お前も(何か脚本を)書け」「ただ座ってオフィーリア役が来るのを待ってるのか?」「お前は永遠に一人でいるつもりか?」などと正論なだけに悔しさ倍増な言葉を容赦なくぶつけてきます。愛もあるけど、製作欲もある。どこまでエゴでどこまで愛かがよくわからない。映画を作りたいがために娘に断られたらすぐ代役立てる切り替えの早さというか業の深さは撮影監督に対しても向けられるのですが……。
このお父さんを演じるのがステラン・スカルスガルド。『奇跡の海』や『メランコリア』といった芸術作品にも出ているし『アベンジャーズ』にも出ていて『デューン』ではハルコンネン伯爵とかもやっている。家を出ても許されちゃうような元美男の才人の役が似合います。
しかしノラやお父さんが愛が下手くそなのには理由があるのです。それが家族が引き継いでしまったトラウマで、その背景には、第二次世界大戦中にノルウェーの人々が受けた親ナチス政府からの暴力の歴史がありました。ノルウェーはナチスに占領されていた時代があって、ナチスに反対する人々は国家反逆罪という罪名で投獄され拷問を受けたのです。それが家族の歴史にも影を落としていたのです。
ナチスの占領なんて遠い世界の話だと思う人も多いかもしれませんが、日本でも第二次世界大戦敗戦するまで同じようなことが起こっていました。治安維持法で拷問された人、数知れず。以前ご紹介したホン・サンス監督の『旅人の必需品』でイザベル・ユペールが眺めていた詩碑の詩を書いた尹東柱も治安維持法で当時の日本政府に逮捕され獄中死した人です。日本人女性被害者も多く裸で拷問されたなんて証言もじつはたくさん残っているのです。
どこの国でもどの時代でも歴史上、政府が治安維持とか国家保安とか国家安全とか反革命とか愛国者とか言い出したら、これから君たちを監視するよ、人権も侵害するかもねって意味なんでした。スパイ防止も怖いんだけど。そんなことになったら周りを説得しようなどとはせず留学とか海外で仕事とか理由つけて逃げたほうがいいと思いますが、ノルウェーのレジスタンスは国に残ってだいぶ頑張って、そのためにドイツの原爆開発が大幅に遅れて敗北につながったといいます。
でも占領は5年にも及び、この国家反逆罪では人口の3パーセントが捜査されて約18000人が実刑、栄養失調や虐待で亡くなる人も多かった。その黒歴史がこの家族にも影響していてトラウマが継承されてしまっていました。しかしこの作品はそうした長きにわたるトラウマからの解放も描いています。ノラが自分には愛される価値があるんだと気づくシーンが本当に素晴らしいですよ。
少女時代に父の映画に出ていたけれど歴史研究者になった妹のアグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)や、父がノラの代わりに起用したハリウッド俳優レイチェル(エル・ファニング)も印象的。全員名演なので細やかな感情が手にとるように伝わってきます。
リードでさらっとオスカーノミネートと書きましたが、作品賞、国際長編映画賞(旧外国語映画賞)、主演女優賞、助演女優賞ではインガ・イブスドッテル・リッレオースと、エル・ファニングの両方がノミネートされている注目作。レプリカまで作ったというセットや無音をうまく使ったサウンドも素晴らしい。是非劇場でご覧ください。
『センチメンタル・バリュー』
配給:NOROSHI、ギャガ全国ロードショー公開中
© 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
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遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』、『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
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