GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#69『MINAMATA―ミナマタ―』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
じつはこの映画について書くのは、この原稿で3本め。
この映画こそ今年の必見作のなかでも重要な一本と意識しています。
ジョニー・デップが写真家ユージン・スミスを演じ、製作も手がけたことですでに話題ですが、
今回は見ていただく前提で、この映画をいっそうわかりやすく見るポイントを解説していきたいと思います。
Text_Kyoko Endo
今年の必見作のなかでも重要な一本。
大企業による公害の隠蔽と警察の被害者虐待、それに対抗する人々の戦いを感動的に描いた名作。キャストも真田広之、國村隼、浅野忠信、加瀬亮と邦画界が誇る海外作品経験者ばかり。美波さんのアイリーン役も見事。音楽は坂本龍一。と見どころだらけなのですが、今回はとくに落としてはいけない背景をお伝えしたいと思います。
まずジョニー・デップが演じた写真家ユージン・スミスがどういう人かというと、第二次世界大戦に従軍カメラマンとして硫黄島や沖縄に来ていて、自分も負傷し写真を撮れなかった過去があります。この映画でもスミスの火傷の跡が映されていますが、2年間に32回もの手術を受けていて、それでも回復しきっていなかった。スミスにはかわいい子どもの後ろ姿を撮った『楽園への道』という作品があります。いまでもマン・レイやエリオット・アーウィットのおしゃれ写真と一緒にポストカードショップでよく見かけます。この『楽園への道』がまさしく戦争から帰ってスランプのどん底で、希望を見つけて撮った一枚なのです。
だからスミスはもともと日本になんか来たくなかったのです。戦場でのトラウマから回復していないから。映画内でも彼が撮った沖縄戦の写真を効果的に使っていますが、トラウマで不眠になってしまっている。起きているためにアンフェタミンを、寝るために酒を手放せない様子もしっかり描かれています。アイリーンから渡された資料を見て、義憤に駆られて来てくれるわけです。ここ重要。
ユージン・スミスの写真は、社会派でありながらアート作品のように美しいのですが、じつは彼は光の位置がこうだからここに座って手はここに置いて、と被写体に注文をつけて絵作りし、写真の美的な質を高めていた。この映画の中でも水俣病の母子をそうして撮っています。写真論としてもおもしろい台詞が多いので、写真好きな方はそのへん是非チェックしてみてください。スミスのスタジオも完璧に再現されていて、代表作がスタジオ内に散りばめられているのも注目。
そして最重要ポイント、水俣病です。水俣病は大企業が事実を隠蔽し、国も大企業側に立って被害者救済を満足にやってこなかった公害病です。チッソが工業廃水の水銀を海に放出したことで魚が汚染され、その魚を食べた人々が中枢神経を破壊されて、歩けなくなり、視力も聴力も奪われて亡くなっていきました。知らずに魚を食べた妊婦の子どもも被害に遭いましたが、その被害は胎児性水俣病の女の子が亡くなって解剖されるまで無視されていました。水俣病は魚を食べたから起こったので、魚を食べていない赤ん坊は関係ないとしらを切られたのです。
映画の中で、加瀬亮演じるキヨシが自主交渉派と言っているのは、それ以前にわずかな見舞金で会社に口を封じられた患者たちがいたからです。この見舞金契約が悪質で、熊本大学で水俣病を研究した医学博士の原田正純さんの著述によれば、チッソは原因が自社にあると知りながら恫喝に近い形で、成人年10万円、未成年者3万円と見舞金を値切ったのです。患者側の要求が300万円だったにもかかわらず。そもそもお金をもらえたら自分の身体や視力や生命を差し出せるのかという疑問がありますが、そのお金すらもケチる。加瀬くんたちはこの非人道的な見舞金契約とは別の交渉をやろうとしているわけです。
水俣問題は福島や沖縄と構造が似てるんですよね。というか、公害問題は公害だけでなく被害者への思いやりの欠如から大事になってしまうので――つまり人権意識が働けばすぐ補償なり公害を止めるなり動くはずなのにそうしないで被害を拡大させるので――どこも似てくるんですね。福島が原発で潤っていたのと同じくらい、沖縄の人が基地の収入を当てにせざるを得なくなるくらい、水俣もチッソの企業城下町としてチッソに頼っていたので、誰もが会社のいうことばかり聞いて、患者が差別やいじめの対象になってしまい、差別を恐れて補償を申請しない人も多かったことが様々な書籍に書き残されています。
ユージーン・スミスとアイリーンが水俣に来たのが1971年、写真がライフに載ったのが72年の6月ですが、すでに1954年に熊本日日新聞が水俣病を報じ、59年に悪質な見舞金契約があり、1969年に石牟礼道子さんの『苦界浄土』が出版され、水俣病が全国的に話題になっていました。この間、1968年に政府は水俣病を公害認定しているのですが、あの手この手で賠償金を払わない方策を取り、申請をはねつけたのでごく僅かな患者しか認定を受けていません。国がぐずぐずして公害を取り締まらなかったせいで、1965年に新潟の阿賀野川でも水銀汚染公害が起こってしまいました。
昔こんなひどいことが本当に日本にあったの?と驚く若い方も多いと思うのですが、こんなひどいことがいまでも起こっているのが日本です。
この映画では、映画の最後に2013年当時の日本の首相(東京五輪招致でマリオの扮装をしたマスク2枚の人)がぬけぬけと水俣問題の解決発言したことも糾弾しています。もちろん全然解決していません。まだ1800人もの被害者が係争中。国家としての謝罪も民主党政権時代のことで、2013年当時の自民の首相はむしろ逆方向にアクセル踏んでいた。現政権の小泉環境相も認定基準の見直しに否定的です。
福島や沖縄に構造が似ていることはすでに指摘しましたが、現水俣市長がこの映画にまったく協力しなかった事実が、水俣市がいまだチッソの子会社に配慮している現実を明らかにしています。これは現在進行形の問題です。もしあなたが大企業の社員だったとしても、安全ではありません。この映画の中では、浅野忠信がチッソに雇われながら、水俣病の娘を養っていく苦難を語っています。
ここまで読んで、ハードそう…と引いている人もいるかもしれませんが、ユージン・スミスや被害者を支援する人々の闘いは美しく、このハードさを超える感動があります。だからこそ勧めているわけで。それに『苦界浄土』やそのほかドキュメンタリーなどの資料からすると、監督は公害病やスミスへの暴力をこれでもだいぶマイルドに描いているんですよ。
『MINAMATA―ミナマタ―』
(2020/アメリカ・日本/115分)製作:ジョニー・デップ
監督:アンドリュー・レヴィタス
出演:ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子、ビル・ナイ
配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
ⓒ2020 MINAMATA FILM, LLC, ⓒLarry Horricks
TOHOシネマズ 日比谷他、全国ロードショー
公式サイト
『MINAMATA―ミナマタ―』だけじゃない! 10月のおすすめ映画。
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『空白』
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遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。Instagram @cinema_with_kyoko
Twitter @cinemawithkyoko