GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#76『アネット』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回ご紹介するのは80〜90年代渋谷系カルチャーのアイコン、レオス・カラックスの新作。
この映画のコピーは「愛が、たぎる。」なんですが…それは愛じゃないんじゃない?とも思う。
見るべきところと、なんで愛じゃないのかを今回は書いていきたいと思います。
Text_Kyoko Endo
それって愛ではないのでは…。
この映画は、ロンとラッセルのメイル兄弟のバンド、スパークスがカラックスに原案と曲を提供したことから生まれています。今月はエドガー・ライトが撮ったスパークスのドキュメンタリー『スパークス・ブラザーズ』(これはこれでめっちゃおもしろくて必見。)も8日に公開されるのですが、スパークスはもともとベルイマンやゴダールが好きで映画を撮りたかったし映画にも出たかった。ところがジャック・タチと映画を撮る企画がタチの体調悪化で没、ティム・バートンとの企画もあったのにティム・バートンが降板…となかなかいい形になりませんでした。
でも、スパークスってめっちゃ変人ぽくて屈折してるけど基本明るいので、不屈の精神でカラックスに原作を送ったんですね。日本語では原案とされていますけど英語のクレジットではoriginal storyで原作ですね。カラックスがもともとスパークスのファンで『ホーリー・モーターズ』でスパークスの曲を使っていたんです。スパークスがカラックスに送った最初の企画の主人公の名前がイングマール・ベルイマンだったので、カラックスがそんな御大の名前の主人公の映画は撮れないよと断って、次に来た企画が『アネット』だったそうです。
もともとカラックスは音楽の使い方に定評があるんです。出世作『汚れた血』でデヴィッド・ボウイの『モダン・ラヴ』を使ったシーンは映画史に残る素晴らしさですし、『ポーラX』でも巨大アジトになぜか巨大オーケストラがいましたし、『ホーリー・モーターズ』にはドラム隊を従えたドニ・ラヴァンのかっこいいシーンもありました。カラックスの方もミュージカルを撮ろうと考えていたところにスパークスのストーリーが来たと。そうしてスパークスのラッセルの素晴らしいボーカルに始まり、アダム・ドライバーとマリオン・コティヤールのベッドシーンまでもが歌、というすごいミュージカルが生まれてしまったのですね。
そう、最初は愛の話なんです。アダム・ドライバーが演じるヘンリーは、売れっ子のスタンダップ・コメディアン。マリオン・コティヤールが演じるアンは、売れっ子のオペラ歌手。愛し合っていながらも対照的な二人。舞台に上がる前も、ヘンリーはタバコを吸ってシャドウボクシングしたりするのに、アンは化粧水パックしながらストレッチ。無軌道なヘンリーと、自己管理するアン。いつしか、ヘンリーの笑いは攻撃的になりすぎて客にウケなくなり、アンはますます売れっ子になっていきます。すると愛は変質していきます。
変質した愛は、もはや愛ではない。嫉妬とか独占欲とか支配欲とか何か違うものに変わっていきます。それに最初から二人の関係ってあんまりイーブンではない感じ。普通に仲良かったころからヘンリーがアンをくすぐったりするのに、アンってくすぐり返さないんです。アンがずっと高貴な感じで下に下りてこない一方、ヘンリーはずっと地べたでマウンティングしているみたい。歪な関係性があらかじめ暗示されているんですよね。
そんななか子どもが産まれて、その子をアネットと名づけるのですが…。ヘンリーは、妻が売れっ子で自分が売れていないことでさらにおかしくなっちゃうんです。ヘンリーはジョン・レノンみたいに主夫をやってもよかったのに。いやむしろ、自分に自信があるジョン・レノンみたいな男の人じゃないと主夫なんかやれないってことなのか。
ヘンリーの支配欲と嫉妬は暴走して有害な男らしさが全開に。有害な男らしさ、と聞くと「えっ、男らしさって悪いこと? 」と戸惑う人もいるかもしれないけれど、有害な男らしさとは、暴力で人を動かそうとしたり、男らしさを見せたいがために悪いと言われていることをしたり、女性が会議に出ると会議が長くなると文句を言ったり、外交努力せず買いこんだ軍備を誇ったりするようなことを指します。
そもそも個人の特性を男らしさ、女らしさで分けるのもねえ…という時代。おおらかさや強さが男性らしさ、優しさや細やかさが女性らしさと言われていたころもありましたが、現代はどっちがどっちを持っていても、なんなら個人が両方備えていたほうがいいよ、くらいになりました。
そんな昨今、有害な男らしさはジェンダーに限らずいろんな問題のキーワードになっていて、有害な男らしさからトラブルが起こる映画も多いんです。前回ご紹介した『ナイトメア・アリー』にもそうした描写がありましたし、『ベルファスト』でもトラブルを起こす奴はそういう奴、ジェーン・カンピオンの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』もそうで、『ニトラム』などははっきりとそれがテーマだと監督が断言しています。マーベルのヒーローですら繊細で、考え深く行動する時代になりました。
『アネット』に話を戻しますと、スパークスはとくに有害な男らしさをテーマとは考えていなかったとバラエティのインタビューで答えています。実際に、制作に8年もかかっているので、スパークスがカラックスに原案を渡したのはMetoo前なんですよね。ロンは「ただクールで現代的なミュージカルにしたかった」と、ラッセルは「(有害な男らしさとショービジネスという)二つのテーマが組み込まれていると考えはしたけれど多くの要素が組み込まれているからなんの映画と言えないくらいだ」とも言っています。
しかしスパークスは時代を先取りしすぎるので有名なバンド。早すぎてビッグヒットが出なかったとまで言われた人たちなので、とにかく感度がいい。一般人より先にこの流れに気づいていたのでは。 また、ヘンリーと対局的に描かれる、サイモン・ヘルバーグが演じるアンの伴奏者も気になります。赤子の世話を一定に引き受ける彼の姿に隠れた肉体関係を邪推する人もいるようですが、私にはむしろ彼は肉体関係がない女性に献身的な『ドライブ』のライアン・ゴズリングか『無法松の一生』みたいに見えるのです。彼こそが、真の父性や愛を体現しているのでは。
だからやっぱり、ヘンリーがたぎらせたのは一部愛だとしても支配欲的なやつとかのほうが…と思います。この映画は必見ミュージカルであると同時に間違った男らしさの完全なサンプルと言っていいのではないでしょうか。なので、しっかり見てほしい。で、もしもあなたの彼が、こういうのが「愛」だとか言い出したら、アンみたいな目に遭わないように『汚れた血』のジュリエット・ビノシュみたいに走って逃げたほうがよさそうです。
『アネット』
(2020/フランス・ドイツ・ベルギー・日本/140分)監督:レオス・カラックス
出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーグ
配給:ユーロスペース
© 2020 CG Cinéma International / Théo Films / Tribus P Films International / ARTE France Cinéma / UGC Images / DETAiLFILM / Eurospace / Scope Pictures / Wrong men / Rtbf (Télévisions belge) / Piano
全国ロードショー
公式サイト
『アネット』だけじゃない! 4月のおすすめ映画。
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『インフル病みのペトロフ家』
ゼロ年代のロシア、インフルエンザにかかったペトロフは、政治家や富裕層の射殺を妄想し、思考は1976年の少年期と国家が瓦解する90年代と現在を迷走する…元妻ペトロワの妄想力も最高! ロシア童話やお祭りなどの風俗も含め、すべてが面白い映画。4月23日公開。『親愛なる同志たちへ』
62年のソ連。物価の高騰や賃金カットへの抗議のストライキへの弾圧は虐殺に発展。市の委員で熱心な共産党員のリューダは、娘が事件に巻き込まれて初めて党に疑念を抱き始める…一般市民への国家の暴力をまざまざと描き出した力作。4月8日公開。『TITANE』
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名作の陰に名キャスティングあり…キャスティングがどんな仕事なのかがよくわかると同時に、歴史に埋もれた偉大な女性キャスティング・ディレクターの足跡もわかる良作です。クラシック映画好きなら是非。公開中。『私はヴァレンティナ』
17歳のトランスジェンダー、ヴァレンティナは差別を避けるためトランスだということを隠して転校しようとしたが…。ここにもまた間違った男らしさを発揮する馬鹿者が登場しますが、そんな障害を家族や友人と越えていくヴァレンティナの強さが素晴らしい珠玉作です。公開中。『ハッチング-孵化-』
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イランの名匠アスガー・ファルハディ監督の新作。調子は良いけれど本質的には不器用な男が、拾った金貨を落とし主に返したことで英雄に祭り上げられるが…世界中の誰もがSNS大好きな現代、実体のない人々の熱狂と悪意を描いた意欲作。公開中。『マリー・ミー』
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世界で最初に抽象画を描いたのに作品を死後20年間公表させなかったヒルマ・アフ・クリント。彼女の作品の“出現”で美術史はひっくり返るかと思いきや…男性中心の美術史で黙殺されつつも、批評家に絶賛され美術ファンにも大人気の女性画家の美しいドキュメンタリー。9日公開。PROFILE
遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
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