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上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。 #86『ザ・ホエール』
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。  #86『ザ・ホエール』

GIRLS’ CINEMA CLUB

上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#86『ザ・ホエール』

2023.03.31

実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。『ザ・ホエール』です。
これもまたA24製作の傑作で、ブレンダン・フレイザーのアカデミー賞主演男優賞受賞や、
272キロの巨体の主人公を演じるための特殊メイクなどですでに話題。
しかし、見どころはそれだけではないのです…。

Text_Kyoko Endo

100%健全な人間なんてたぶんいないけれど。

それにしてもブレンダン・フレイザーってどうしてこんなに騒がれてるの?と若いお嬢さんはお思いでしょう。この人はもともとハリウッドの大スターで、彼の顔をタトゥーにするファンがいるほどのアイコンでした。でも売れっ子時代からアクションコメディ映画で負傷(椎骨や膝、声帯も)したり、お母さんの死の直後の映画宣伝でうまくコメントできなかったのをネットで晒されたり、2003年にハリウッド外国人記者協会の当時の会長にセクハラされたのを2018年にGQで告白して(まだこの記事読めます)仕事を干されるなど数々の災難があり、しばしハリウッドから遠ざかっていた人なのです。

しかし「たまたま見た低予算のブラジル映画の予告編で小さな役で出ていたブレンダンが素晴らしかったから」アロノフスキー監督が本作にキャスティング。ブレンダン主演のハリウッド大ヒット作を見たこともなく「ブレンダンの復活にこんなに人々が熱狂すると思っていなかった」そうです。結果、傑作の誕生。ブレンダン・フレイザーは、世界初公開のベネチア映画祭では6分とも8分とも10分とも言われるスタンディングオベーションを受けました。

『ザ・ホエール』でブレンダンが演じるチャーリーは、もはや歩行器がないと歩けないほど太っていてカメラに顔は出さずにオンラインで小論文の書き方の講師をしている大学教授です。同性の恋人ができたために家族を捨てた過去があって、でもその恋人は亡くなってしまい、恋人の妹が様子を見に来る以外は孤独な半引きこもり生活。ところが心臓発作を起こして、娘を呼びます。ティーンの娘からしたらチャーリーは幼いころ自分を捨てた父で、許す気なんかありません。

この映画、出てくる人が全員不健全。でもその不健全さは身近な誰か、もしくは自分がもしも一線を越えることがあったらそうなるかもというリアルな不健全さ。チャーリーは病的な過食症で、鬱血性心不全だと言われて病名をググりながらチョコレートバーを3口で食べたりしている。辛いことがあるとすぐ食べる。見ているこっちが気持ち悪くなるぐらい食べる。彼にとって過食は自傷なんです。

娘のエリーはグレちゃって地頭はいいのに卒業できるかも怪しい。自分を捨てた父だけじゃなく、父に会わせない母や世の中すべてに怒っていて、Facebookに犬の死体の写真とか投稿しています。自分を捨てた父のところに何度も来るのも、父が小論文の宿題を助けてくれると言ったから。毒を吐かずにいられないけれど本当は傷ついているエリーをセイディー・シンク(『ストレンジャー・シングス』のマックス)が演じています。

亡くなった恋人の妹のリズは有能そうな看護師なのに、これ以上太ったら死にそうなチャーリーにチキンバレルやチーズ追加したミートボールサンドを持ってきたりしている。たぶん共依存で、チャーリーには自分しかいないという状況に彼女も執着しているのです。この役をホン・チャウが演じていて、彼女もこの演技でアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされました。『ザ・メニュー』でヤバいレストランのヤバいホール・スタッフを演じていた人です。

チャーリーの元妻も、チャーリーが酸素ボンベを使う際に「窓辺にいるから」などと言ってタバコをすぐ消さないような人。チャーリーも恨んでいるし、反抗期の自分の娘に対処できない。こんな娘を育てた母だと思われたくないから実の父親に娘を会わせない。見栄の張り方も相当重症です。この母をサマンサ・モートンが演じています。

さらに、迷い込むようにしてチャーリーの家にやってくるキリスト教系新興宗教の宣教師もヤバい。自分は良い人間だと思いたいけれど、良い人間であろうとするには嘘が必要という青年です。タイ・シンプキンスが演じるこの宣教師の妄信や無知もまた物語の重要な要素です。

舞台はこの宣教師の宗教が幅を利かせている田舎町で、この宗教のゲイ迫害でチャーリーの彼が亡くなったという事情もあります。宗教集団の偽善や矛盾によって起こるコミュニティの不健全さも背景としてあるわけです。親子関係、中毒、依存、差別…さまざまな現代の問題がたった一部屋の中で起こる2時間弱の映画にほぼほぼ入っているのがすごい。

ところが、その不健全な人間が一見不健全なことをした結果、思いがけないミラクルが起こってしまう。その奇跡を目の当たりにしたチャーリーが、そんな人間の思いがけない明るさ、ポジティブさに救われる、まさにその表情がこの映画の最大の見どころだと私は思います。是非映画館に行き、ラストに茫然としていただきたいです。

『ザ・ホエール』

(2022/アメリカ/117分)

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ
配給:キノフィルムズ
©︎2022 Palouse Rights LLC. All Rights Reserved.
4月7日(金)よりTOHOシネマズシャンテ他、全国ロードショー。
公式サイト

『ザ・ホエール』だけじゃない! 4月のおすすめ映画。

アカデミー賞発表後、良作の公開ラッシュが続く映画ファンにとってはうれしい数ヶ月。花粉も映画館の中までは追ってこないので、万全の対策で劇場にGOですよ。

『AIR / エア』

80年代カルチャーが好きな方は必見! ナイキのエア・ジョーダン誕生の背景をドラマ化。ジョーダンは当時NBA入団前。超有望だが金がかかる選手獲得。陸上オタクでバスケシューズ部門の縮小も考えていたフィル・ナイトをどう納得させた? アディダス好きのジョーダンの説得は?と困難な交渉の連続で仕事のヒントにもなりそう。4月7日公開。

『ガール・ピクチャー』

恋愛に興味があるけれど感じるってどういうことかよくわからなくて男の子と寝まくるロンコ、フィギュアスケートに打ち込むエマと恋に落ちるけれど好きになった人を傷つけてしまうミンミ。フィンランドの女子たちのカミング・オブ・エイジ物語。4月7日公開。

『パリタクシー』

免停直前、経済的にも苦しいタクシー運転手のシャルルは、老人ホームに入所するマダムの送迎を頼まれる。パリを横断するのに思い出の場所でいちいち車を止めるマダム。じつは夫のDVに反発し、女性解放運動の先駆けとなった人だった…たった1日で人生が変わる心の交流を描くドラマ。4月7日公開。

『ダークグラス』

ダリオ・アルジェント御大が自らの脚本を10年ぶりに映画化! サスペンス映画のお手本みたいなホラーで、殺人鬼から逃げ回るヒロインの強さが素晴らしい。ミソジニー系の話にイラッと来たら、是非ご覧いただきたい爽快作です。音楽もサントラが欲しくなるほどです。4月7日公開。

『聖地には蜘蛛が巣を張る』

ゼロ年代にイランで起こったミソジニー連続殺人事件を元にした芸術的なサスペンス映画。女性ジャーナリストが自ら囮になって連続殺人犯を追い詰めるが…。社会に根づいてしまった女性差別の連鎖も描いたアリ・アッバシ監督の傑作で、カンヌ主演女優賞も獲得。4月14日公開。

『幻滅』

グザヴィエ・ドランやバンジャマン・ヴォワザンなどハンサムな演技派が文豪バルザックの巨編に挑む意欲作。ルールもモラルもない19世紀のメディアはフェイクニュースをばら撒くネットメディアにそっくり…。欲に弱い主人公みたいな子はあなたの周りにもいるかも。4月14日公開。

『ハロウィン THE END』

エブエブのジェイミー・リー・カーティスが1978年に20歳で映画デビューした作品で、その後のシリーズもずっと主演の“代表作”。殺人鬼とのバトルを生き残るジェイミーの生命力見たさに、たぶんみんなこの映画を見続けてきたんだと思います。これで本当に最後。4月14日公開。

『午前4時にパリの夜は明ける』

夫に離婚されて仕事を探すエリザベートは、手紙を送ったことから憧れの女性DJの深夜番組で働くことになり…ラジオっ子に見てほしい人間ドラマ。シャルロット・ゲンズブールがどんどんお母さんのジェーン・バーキンに似てかっこよくなってきました。4月21日公開。

『J005311』

主人公が行きたいところ、意図は何かを考えさせる演出が上手い作品。なのであらすじ説明はしません。これも大きく人生が変わる出会いを描いた良作。たったふたりの出演者がふたりとも素晴らしい演技。独学で初監督して出演もした河野宏紀さんには今後要注目。4月22日公開。

『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

発達障害があるレズビアンで、社会から疎外感を感じているオルガは、ある日、プラハのトラムの停留所に故意にトラックで突っ込む。大量殺人犯としてチェコスロバキアで最後に処刑された女性をモデルにした実録もの。日本で起きた事件にも似ていませんか。4月29日公開。

『アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者』

人種差別があったアメリカ南部で祖母に守られて育ったアフリカ系少年はいかにしてファッション界の帝王になったのか、美しく生きることはスタイルと美学からだと教えてくれる人生のヒントに満ちた映画。是非見て人生を豊かにしてほしいです。公開中。

PROFILE

遠藤 京子

東京都出身。
出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。

Instagram @ cinema_with_kyoko
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