GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#90『ハント』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今月ご紹介するのは『ハント』。『イカゲーム』で
主役のソン・ギフンを演じたイ・ジョンジェの脚本&初監督作です。
『イカゲーム』の世界的なヒットで、カンヌやトロントなど世界中の映画祭を席巻、
脇役どころかチョイ役まで豪華なことも話題。
しかしこの映画、背景を知っているともっと楽しめるんです。
モデルになった事件もあるんですよ。
Text_Kyoko Endo
『イカゲーム』主役初監督作の事件はガチでした。
イ・ジョンジェが演じるのは、国家安全企画部、通称安企部(アンギブ)の海外次長パク・ピョンホ。同じ安企部の国内次長キム・ジョンドは強力なライバルです。キムを演じるのがチョン・ウソン。
公務員にしてはどっちもハンサムすぎるのでは…というのは置いといて、安企部といえばKCIAの前身。KCIAといえば自民党と旧統一教会に勝共連合を作らせた情報部隊。つまり、パクもキムも独裁政権を支える悪役同士。悪VS悪で、どちらかは北朝鮮のスパイ。ジョン・ル・カレのような正統なスパイものと評されている本作ですが、かなり黒かった機関の同じ部署で働いている者同士の対立を描いているので悪と正義が明確に分かれたル・カレよりもハードかも。
この映画は1983年、ワシントンでの米韓首脳会談抗議デモから始まります。デモを大使館内で眺めながらCIA局員が安企部の部長に「これは現大統領が武力で政権を掌握したのが原因です」「韓国が崩れれば沖縄が崩れ アジア太平洋ベルトも崩れます」と告げる。安企部部長は「ご心配なく 長期政権を実現するため憲法も選挙方式も変えます」と答えるのですが、CIAの韓国政治への介入を冒頭ではっきり書いちゃう脚本家イ・ジョンジェ、中身も男前ですな。
1983年韓国大統領だった全斗煥とは、国立墓地に埋葬されなかったほど歴代独裁者の中でも評判が悪い人。前任者の朴正煕(2017年に罷免された朴槿恵のお父さん)もクーデターで政権に就いた独裁者ですが、その朴正煕の下で出世して、朴正煕が暗殺されると自分もクーデターで政権に就きました。この暗殺事件を元にした映画がイ・ビョンホン主演の『KCIA 南山の部長たち』です。
全斗煥は正統な選挙で選ばれていない上、労働争議や学生デモを潰しまくってメディアも弾圧、拷問で学生を殺したり、光州事件では都市全体を軍で制圧して多数の市民を虐殺したりしたので、ワシントンで反対デモが起こるのも当然なんです。光州事件は『ハント』でも、登場人物のある計画の大きな動機として描かれています。光州事件そのものを舞台にヒットしたのが『タクシー運転手 約束は海を越えて』、全斗煥を引退に追い込んだ民主化デモを描いたのが『1987、ある闘いの真実』ですね。
全斗煥政権下の韓国は照明も暗くてまるで旧東ドイツみたい。『ハント』でも見つけようとしたスパイが見つからないからと経済会議に出席した教授を拷問でスパイに仕立てる場面などが描かれています。誰彼関係なく捕まえて拷問するような政権で、安企部に勤めている人でさえ尋問される恐怖政治。パク次長も過去に拷問を受けたことがあり、そのとき尋問したのはキム次長。二人の確執はすっごく深いのです。
ワシントンだけでなく東京も抗争の舞台になります。しょぼい帝国総合ホテルやサロロパスのネオンサインやアキラタクシーが走る東京にはちょっと笑ってしまったけど、80年代の街並みが残っていないから仕方なくワシントンも東京も韓国国内に作り上げたそうです。それに、このアクションを撮るのは映画撮影に非協力的な東京では無理っぽい…。むしろよく再現したんじゃないでしょうか。現実に、東京では民主主義活動家だった金大中氏の拉致事件も起きたのです。『偽りの隣人』もフィクションじゃないんですよ。
この映画は俳優も豪華。どういうわけか、北のミサイルや飛行機はわりとちょくちょく政権に良くないニュースがあったタイミングで飛んできますが、パクとキムの対立中にも不審な飛行機が現れます。脱北飛行士を演じるのがなんとファン・ジョンミン。安企部の取り調べにも「タバコもください」とふてぶてしい逃亡者を怪演しています。“梨泰院”のユ・ジェミョンも登場するなど、こんな有名人が!と驚きつつ見るのも楽しい。『イカゲーム』出演者からはホ・ソンテが出演。イ・ジェミョンが映画を作るといったらみんな「俺も出たい!」となって、照明が当たらないような役にもすごい人が出ているみたいですよ。
俳優が夢のように豪華なので起こる事件もフィクションと思ってしまうかもしれませんが、元ネタがすべて現実の事件なので作品に厚みがあります。クライマックスの爆破事件にもモデルがあります。ミャンマーで北朝鮮の部隊が全斗煥を暗殺しようとしたラングーン事件です。実際に北朝鮮がアウンサン・スーチーのお父さんの霊廟を爆破させて、結果、ビルマから国交断絶され国家承認も取り消されました。ゴルゴ13みたいなことが本当に起こっていたことが驚きですね。
イ・ジェミョンはこの作品について「自身の信念や信条に葛藤を抱く人々の物語」「誤ったイデオロギーを正すために奮闘する人々についての作品だと思いたい」と言っています。独裁者を守ることが正義なのか、かなり政治的なメッセージが投げかけられています。邦画界では政治はタブー扱いですが、このところの韓国映画は娯楽作に政治要素がしっかり入ったものが多い。しかし保守のバックラッシュがあった朴槿恵政権では、やはり政治映画を描こうとすると政権から圧力を受け『1987』などは秘密裏に準備を進めたそう。
それでも朴槿恵は反対デモなどの結果、罷免され力を失いました。その後の韓国映画界ではアイドル+アクション+政治+友情になんなら恋愛要素まで入る全部乗せみたいなエンタメが多数制作されています。邦画界が政治が絡むとまだまだ腰が引けるのはなぜなんでしょう。映画の力や民主主義が韓国ほど信じられていないからなのかもしれませんね。
『ハント』
(2022/韓国/125分)脚本・監督:イ・ジョンジェ
出演:イ・ジョンジェ、チョン・ウソン
配給:クロックワークス
©︎2022MEGABOXJOONGANG PLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.
9月29日(金)より新宿バルト9ほか全国ロードショー
『ハント』だけじゃない! 9月のおすすめ映画。
政治を背景にした韓流エンタメの他作品も公開中です。邦画も健闘、女性監督の傑作や、ファッションドキュメンタリーなど女子に見てほしい作品が豊作で、これでも搾りに絞りました…。
『復讐の記憶』
黄金世代のモデル出身ナム・ジュヒョクと演技派イ・ソンミンのバディものですが、名匠アトム・エゴヤンの『手紙は憶えている』が原作。肉親が慰安婦や徴用工にされた男性が日本軍に協力して成り上がった韓国財閥当主に復讐します。原作よりエンタメ度が高い快作。公開中『福田村事件』
政治的作品を排除しようとする邦画界にあって、それでもごくわずかな気概ある作り手は良作を作り続けています。関東大震災直後の朝鮮人虐殺。間違われて殺された部落民と恐怖にかられて暴走した加害者を虐殺に至る以前から描く力作。まじDon’t Panic! 理性を保ちたいですね。公開中『アステロイド・シティ』
隕石のクレーターしか名物がないど田舎。核実験の地響きが伝わってくるような砂漠の街で、発明少年少女の発表会が行われ…これこそ豪華すぎる出演陣&いつも通りのかわいい小道具やギミックだらけなのに、お祭り騒ぎの後の無常感が切ないウェス・アンダーソン最新作。公開中『バカ塗りの娘』
スーパーでレジを打つ美也子は、内気すぎて客にカスハラを受けても言い返せない。津軽塗職人の父と実家で暮らしているが、母は家を出てしまった…そんな美也子が父の反対を押し切って津軽塗の職人になり、成長していく姿を描いています。民藝やものづくりが好きな方は是非。公開中『燃えあがる女性記者たち』
アウトカーストの女性たちが起こしたインドの新聞社の記者たちのドキュメンタリー。スマホを持ったことさえなかった女性記者の成長には背中を押されるような気持ちになります。右派のインタビューにも成功するなど女性差別してくる男性への対処法も勉強になりますよ。公開中『コンフィデンシャル 国際共助捜査』
「不時着」ヒョンビン主演の人気作の第二弾。もう、ヒョンビン見てるだけで満足なんですが、主役を生かすアクション、カメラワーク、編集、すべて見事で、悪役も魅力的な全部乗せ王道エンタメです。全員敵対する『ハント』と比べて本作は南北にF B Iまで協力するのにほっこり。公開中『ロスト・キング 500年越しの運命』
主婦フィリッパ・ラングレーが5世紀以上に行方不明だったリチャード三世の遺骨を発見するという快挙を成し遂げました。実話をもとにしたスティーブン・フリアーズ監督最新作。学者たちのフィリッパへのナメプまじむかつきますが、それを超えての彼女の成功に感動です。公開中『ファッション・リイマジン』
MOPのデザイナー、エイミー・パウニーが、新人デザイナー賞の賞金を注ぎ込んでMOPをサステナブルなブランドに変える過程を追ったドキュメンタリー。マイプラや化学染料の公害や流通過程でのCO2排出量や動物虐待の実態は驚きの連続。服=生き方だと真剣に考えさせられます。公開中『ジャン=ポール・ゴルチエのファッション狂騒劇』
JPGの「ファッション・フリークショー」の製作過程のドキュメンタリー。『リイマジン』と比べると好き勝手やった世代の彼ではありますが、彼が提示する美、ゲイとして成長してきたハードさ、毎シーズンコレクションをやってきたタフさには胸が熱くなります。9月29日公開『コカイン・ベア』
キワモノっぽいタイトルですが『ピッチ・パーフェクト2』も監督したエリザベス・バンクスの製作&監督作。女性監督が撮るのはシリアスな女性差別問題ばかり…という先入観を打ち破る破天荒な痛快娯楽作です。こういうのを女性が撮れることが平等な業界の証なんでは。9月29日公開PROFILE
遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
Instagram @ cinema_with_kyoko
Twitter @ cinemawithkyoko