GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#92『ザ・キラー』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回紹介するのはネットフリックスの新作『ザ・キラー』。
前回が『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』で、今回も殺しの話ですか…という感じはしないでもないが、
ネットで話題沸騰中のフィンチャーの新作を素通りするわけにはいかないのです。
Text_Kyoko Endo
欲望を描き続けるフィンチャー。
映画は殺風景な部屋でひたすら静かに何かを待っている主人公のモノローグから始まります。彼(名前がないんですよね、この人…)が集中するために聴くのはザ・スミス。iPhoneやスマートウォッチを駆使する彼ですが、音楽だけは古ぼけたiPodで聴いている。そしてそこにはザ・スミスしか入っていない。こだわりの強い男です。
スミスは83年にレコードデビュー、87年の解散後も多大な影響を与え続けたバンドで、BBCの音楽ジャーナリストがビートルズ以来の影響あるバンドと言うほど。ギターのジョニー・マーの爽やかなメロディに、ボーカルのモリッシーのエモい歌詞(当時エモいなんちゅう言葉はなかったが)で80年代を席巻。「君のこと嫌いになったわけじゃない、前ほど好きじゃないだけだよ…」とか、「2階建てバスが二人のドライブ中に突っ込んできても君のそばで死ぬのは最高に幸せな死に方…」などと歌って世界中の音楽ファンの胸をグサグサえぐってきました。ちなみに“2階建てバス”は本作のエンディングでも流れます。
スミスを聴いて眠りについた主人公は起きておもむろにヨガマットを敷いて、ハスタ・ウッターナアーサナから前屈に入る。ああ、太陽礼拝するのね、と思って見ていると、いきなり英雄のポーズ3に入る。ヨガやってる人は度肝を抜かれます。瞑想の姿勢は悪い。そういえば「俺は俺だ」とモノローグでも言っていた。自己流ヨガをやる我の強い男です。演じるのはマイケル・ファスベンダー。俺イズム教祖みたいなスティーブ・ジョブズ役もやっていましたね。
主人公がずっと待っていたのは狙撃のタイミング。彼が殺し屋であることは、レンズに照準線が付いていることからすぐわかります。その後彼は狙撃に失敗して追われる身となり、彼を追った人に復讐していく…主人公の都市迷彩的な衣装や、潜伏や殺しのやり方、幾つも持っている偽造IDや道具の使い方とその処分の仕方、FedExやAmazonの巧みな使い方など殺しのノウハウがどんどん出てきて引きこまれて見てしまいます。
原作は98年のフランスのグラフィック・ノベルですが(そういえばバンド・デシネって言葉はいつから使わなくなった?)フィンチャーはこの作品を単にハードボイルドな殺し屋の復讐劇にしていません。なんと言ってもフィンチャー監督はずっと欲望とその虚しさについての映画ばかり撮ってきた人。じつは本作にも金への過度な欲望とその虚しさが描かれているのです。
主人公が狙撃のために潜んでいる廃墟化した部屋はWeWorkの元オフィス。WeWorkはシェアオフィス大手企業でしたが、コロナでオンライン化が進んで賃貸ビジネスが下火になるなか地価の高い地域への長期リース債務が払えず今月6日に経営破綻したばかり(ちなみに日本のWeWork Japanはアメリカとは経営が別で元気に営業中とのこと)。撮影当時はまだ破綻していませんが、2021年にアメリカ本国でHuluのWeWorkドキュメンタリーが公開されていて、ヤバそうだと噂されていたよう。
大手のシェアオフィスビジネスって、誰でも高級な地名を会社住所にできますよ、と宣伝されることが多かったのですが、それって言ってしまえば大手企業の社員なんかには必要がない格差ビジネスではあって、ラグジュアリーホテルの真向かいの主人公が潜伏するWeWorkの元オフィスからも“一流の住所”を得ようとしたシェアオフィス顧客の物悲しさが感じられます。誇張を是としたビジネスの企業名を、フィンチャーは挑戦的に使っているのです。
しかもフィンチャーはダメ押しとばかりに、その役に立たなくなったオフィスにいまだにどさどさ郵便物が届くシーンを入れています。強者どもの夢の跡。住所変更していない会社があるとはつまり、仮のオフィスと一緒にそれだけ多くのスタートアップが詰んだってこと。これは虚しい。
ネタバレは最小限にいたしますが、口を割らないよう殺す運転手以外は復讐相手も裕福な人ばかり。復讐相手の一人は彼を転落させ殺し屋の道に引っ張り込んだ弁護士。さらに復讐が進んで現れるのがティルダ・スウィントン。NYの郊外に住んで、NYのレストランの常連であるグルメな役柄。「(仕事の)モチベーションは金」とはっきりおっしゃいます。
夜中なのに部下と金の話に夢中になっている金の亡者のクライアントへの復讐は一生トラウマが残りそうなやつ…。ジョン・ウィックのようにあっさり殺してやったりしない陰湿さ。そしてまた復讐した主人公だっていつまで平和に暮らせるかわかりません。エンディングテーマは“2階建てバス”なんですから…。最後も主人公のスミス好きという設定が生きてくる。優れた映画ってディテールを見るほどおもしろいものですね。
『ザ・キラー』
監督:デヴィッド・フィンチャー出演:マイケル・ファスベンダー、ティルダ・スウィントンほか
(2023/アメリカ/119分)
配信:Netflix映画『ザ・キラー』独占配信中
『ザ・キラー』だけじゃない! 11月のおすすめ映画。
来月が終わったらもう来年なんですよ!(当たり前体操〜)しかし時が経つのは早い…。今年のカウントダウンが始まるなかでも、おもしろい映画公開ラッシュ。ドキュメンタリー、歴史、ゲイムービーと盛りだくさんです。
『パトリシア・ハイスミスに恋して』
デビュー作がヒッチコックに映画化されるなどほぼ全作品が映画化された人気作家のハイスミス。じつは惚れっぽくてチャーミング、世界中に恋人がいた彼女の足跡を、元恋人の証言や過去のインタビュー映像から女性監督が追ったドキュメンタリー。読書好きな方にお勧め。公開中。『NO選挙NO LIFE』
クドカンの『離婚しようよ』で錦戸亮が選挙ブロガーになるけれど、あのブロガーのモデルはたぶんこの方。選挙取材25年の畠山理仁さんのドキュメンタリー。監督は『香川1区』プロデューサーの前田亜記さん。選挙って退屈に見えるかもしれないけど、全然そうじゃないんですね。公開中。『リアリティ』
トランプ氏の大統領選でのロシアの介入疑惑をリークしたミレニアル世代のリアリティ・ウィナーへのFBIの尋問記録を一字一句、黒塗りの部分まで再現したのがこの映画。談笑しながらいつの間にか喋らされている話術の怖さ。才能ある女性監督のデビュー作で要チェックです。公開中。『蟻の王』
同性愛がタブーだった60年代のイタリアで起きた裁判を元にした映画。成人同士の恋愛なのに、年長の詩人に無理やり教唆罪を押しつけたもので、年少の恋人は矯正施設で電気ショックを受け…。息子を理解する母と、縛りつけようとする母、二人の対比も興味深い力作。公開中。『首』
北野武監督の新作はなんと時代劇。しかもBL要素多め。戦国時代の英雄がいかにろくでもなかったかを描くアナーキーな作品です。まあ確かに武力全盛時代…。かなり偶像破壊的なので歴史上の人物に推しがいたりする人は要注意ですが、パンク精神溢れる人は是非。公開中。『ほかげ』
『野火』『斬、』と暴力の極限状況下に置かれた人間を描いてきた塚本晋也監督の三部作の完結編。NHK朝ドラで活躍中の趣里ちゃん主演で、第二次大戦後の日本の闇を描く意欲作です。夫と子どもを亡くしてなんとか生き抜こうとしている女性の家に戦災孤児が入りこみ…。公開中。『ナポレオン』
歴女とフランス文化好きは必見。監督はリドリー・スコット御大。英雄というより人間として弱さもあるナポレオンをホアキン・フェニックスが演じます。ジョゼフィーヌ役のヴァネッサ・カービーが素晴らしく、スクリーンの端から端まで騎兵が並ぶ歴史超大作。12月1日公開。『ポッド・ジェネレーション』
GOTのデナーリス・ターガリエンことエミリア・クラークがプロデュース&主演。主人公は昇進のオファーを受け、子宮の代わりにポッドで胎児を育成するサービスが優先的に受けられる特典を得るが…。妊娠や仕事やパートナーについての示唆に満ちた近未来フェミS F。12月1日公開。『メンゲレと私』
ナチズムの証言を撮り続けたホロコースト証言シリーズ完結作となる本作は、12歳でアウシュビッツ収容所に入れられたダニエルによる証言。カニバリズムを目撃するなど凄惨すぎる体験だが、証言者の人間的魅力に感動してしまい暗いままで終わらないのも凄い。12月3日公開。『Winter boy』
クリストフ・オノレ監督の自伝的な作品。思春期から青春期に入るくらいの間の年齢のリュカ。事故か自死かわからない父の突然死にショックを受け、兄にパリに連れられてきますが、兄の親友を好きになってしまい…美しい少年の恋と成長を描きます。12月8日公開。PROFILE
遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
Instagram @ cinema_with_kyoko
Twitter @ cinemawithkyoko