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上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。 #96『オッペンハイマー』
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。   #96『オッペンハイマー』

GIRLS’ CINEMA CLUB

上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#96『オッペンハイマー』

2024.03.27

実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回ご紹介するのは『オッペンハイマー』。
作品賞・監督賞・主演&助演男優賞と主要な賞を含むオスカー7冠ですでに話題ですね。
強いメッセージ性があり映画界への影響も大きく、
本作に出演したマシュー・モディーンとトニー・ゴールドウィンが
「Make Nukes History」というキャンペーンで
オッペンハイマーの孫とともに核廃絶を訴える
公開書簡に署名したこともニュースになりました。

Text_Kyoko Endo

クリストファー・ノーランが描く核の恐怖。

原爆という最終兵器の開発に成功したことでアメリカの英雄となりその後赤狩りで現場を追われた天才の人生を、現代の映画の天才が描いたのが本作。原作『オッペンハイマー』(原題はAmerican Prometheus The Triumph and Tragedy of J.Robert Oppenheimer)は、2005年に発表され翌年ピューリッツァー賞を受賞した伝記。なんとオッペンハイマーの父がドイツで生まれたところから描かれた大著でFBIなどの資料を集めまくり周りの人のインタビューもしていて書くのに25年かかっている…。文庫版は上中下巻で『哀れなるものたち』3冊分の物量。文系の私でさえ教科書で見たことがある物理学者が次々登場する大作なんでした。

映画ではこの有名物理学者たちを有名俳優が演じていながら数人はほぼモブになってる贅沢さ。赤狩りを仕事にする議会調査委員会に喚問されながら、青年時代、核兵器開発時、アメリカの英雄ともてはやされたころが、彼の回想に従って立ち現れます。彼の内面をイメージ化した描写がまた独特で、是非ここも見ていただきたいところです。

主人公の毀誉褒貶も激しいのですが映画そのものにも食わず嫌いがありそうで、広島・長崎の惨禍が描かれていないという批判もあるようです。が、これはあくまでも一人の人間としてのオッペンハイマーを描く歴史劇で、没入感を大事にするためオッペンハイマーの一人称で脚本が描かれているほどなので、彼が実際に来なかった広島と長崎を突然出すのはちょっと無理がありますね。

その代わりノーランは米軍が被災現場を撮った写真をオッペンハイマーが見るという形で、原爆の悲惨さを表現しました。さらにオッペンハイマーは祝賀スピーチの会場でも周囲が焼け爛れていく幻視を見るのです。ノーランはNHKクロ現のインタビューでも、息子さんが気候変動には危機感を持っていたのに核には無関心だったことに衝撃を受け、核の恐怖を訴えたかったとはっきり言っていました。

オッペンハイマーは原爆を開発し日本への投下に同意したものの、広島長崎の惨禍に打ちのめされ、トルーマン大統領(本作ではゲイリー・オールドマン)に罪悪感を訴えて、マッチョな大統領から弱虫呼ばわりされてしまいます。さらに水爆開発に反対したことから不遇に。背景には赤狩りがあります。

赤狩りとは、アメリカの支配層がソビエトの影響を恐れるあまり、労働組合活動や福祉政策など現代では人権を守るために当たり前になっているようなことまで社会主義呼ばわりして民主国家とは思えない思想統制を行い、穏健リベラルまでもどんどん追放したアメリカの黒歴史。言ってしまえば魔女狩りと同じ集団ヒステリーです。チャップリンなど良識的な映画人を追放したハリウッドの赤狩りは『トランボ』などに詳しく描かれています。

密告や盗聴がまかり通る狂った時代、本作の冒頭でオッペンハイマーはスペイン内戦時の共産党への協力についてネチネチ聞かれるのですが、スペイン内戦で彼らが支援していたのは国際旅団、反ファシズムの外国義勇兵部隊なんだってば。敵軍はフランコ独裁政権で、フランコはヒトラーやムッソリーニに支持されていました。だから聴聞委員が国際旅団への支援に文句をつけてくるのは「じゃあヒトラーに協力すればよかったの?」ってことになります。

ノーランは論理的にも倫理的にも破綻した赤狩りの馬鹿馬鹿しさを描写したシーンを頭に持ってきているのです。しかも聴聞委員会のときもオッペンハイマーは周囲が焼けていく幻影を見る。こんなことしてる場合じゃないのに…と告げているかのように。

ところで、なぜ核兵器を作ったオッペンハイマーが水爆開発には反対したのでしょうか。なぜ赤狩りをやり過ごせなかったのでしょうか。原作から見ると、彼は研究室に籠る学者タイプではなく、なんにでも手を出してそれをマルチに楽しむタイプだったよう。詩人や画家にもなりたかった人で大学時代は歴史と語学と化学を一緒くたにやって全部優で、物理は大学院で始めて基礎をやっていなかったから実験が下手だった。こういうタイプの人はストレス下では自分の正しさにこだわってしまう。プライドも高いので、権力を持った凡人への迎合などとてもできなかったことでしょう。

しかしもちろん、オッペンハイマーだって天使ではない。原爆開発はドイツのライバルとの競争でもあり、ユダヤ人としての切迫感もあったでしょうが、彼の欲望もまた大量破壊兵器を生み出す原動力になりました。彼の欲望とは恐るべき知的欲求。実験して理論を確かめたい欲望を抑えられず、制御不可能になる可能性がゼロではないのに核爆発を起こしたかった。正しさへの固執さえ凌駕する、ほとんど業みたいな欲望をノーランははっきり映像化しています。

その後核兵器は世界中に広まり、現在では米国、ロシア、フランス、英国、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9カ国が核を保有しています。96年に核兵器禁止条約が起草され、現在93の国と地域が署名、批准は70カ国になりましたが、被爆国の日本はまだ批准どころか署名もしていません。地球全体に拡がっていく業火…このカットが2回も入っているのは、これこそノーランの私たちへの警告だから。そのメッセージを読み取れるか、ただ娯楽として消費してしまうのか、観客に対して見た後の行動も問うてくるすごい映画だと思います。

『オッペンハイマー』

監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン 
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナーほか(2023/アメリカ/180分)
配給:ビターズ・エンド
3月29日(金)全国ロードショー IMAX®劇場 全国50館 同時公開
© Universal Pictures. All Rights Reserved.

『オッペンハイマー』だけじゃない!今月のおすすめ映画

こちらも実際に見ておもしろかった作品のみです。春先だからか意外にもロマコメ多め。しかし一筋縄ではいかない作品ばかりですよ!

『パスト ライブス/再会』

本当はこれもメインで書きたかった必見作。A24と韓国CJENM共同制作で、韓国出身のノラと、幼馴染で初恋の相手ヘソンとの不思議な友情を描いた人間ドラマ。10年ごとくらいに見返したい傑作で、クリストファー・ノーランがお気に入り映画に挙げたことでも話題に。4月5日公開。

『コール・ジェーン ―女性たちの秘密の電話―』

赤狩り中のアメリカは女子にも優しくなかったんです…2度目の妊娠で心臓病が悪化したジョイは生き延びるために当時違法の中絶を受ける方法を探して、フェミニストたちの活動団体「ジェーン」に出会います。活動にハマっていく彼女は…。女性の権利を再確認できる良作。公開中。

『ピアノ・レッスン 4K』

ジェーン・カンピオンの96年の名作が4Kに。地位的にも性的にも抑圧され話すことをやめたエイダ。ヴィクトリア朝時代、開拓期のニュージーランドを舞台に、意志が強い女性の情熱的かつ奇想天外な恋愛を描いた元祖フェミ映画。マイケル・ナイマンの音楽も必聴です。公開中。

『ペナルティ・ループ』

恋人を殺され犯人に復讐した主人公。疲れきって眠りにつき目覚めるとまた同じ日で、同じ場所に行き同じ男を殺す。そしてまた…タイムループと復讐というモチーフから、憎悪のメカニズムというすごいテーマを軽妙に描き出したユニークな作品。反死刑映画としても傑作。公開中。

『ナチ刑法175条』

1969年までゲイが不法だったドイツ。ワイマール憲法下では無視されていた刑法を復活させたナチスはゲイの人々をも収容所に入れ凄惨な拷問を行ってきました。生存者たちへのインタビューを元にした2000年制作の貴重なドキュメンタリーがデジタル・リマスターで復活。公開中。

『美と殺戮のすべて』

中毒性を隠してほとんど麻薬のような商品が市場にばら撒かれたアメリカのオピオイド問題。莫大な利益を受け取っていたサックラー家は美術館の大スポンサーでした。美術界の不名誉を告発した写真家ナン・ゴールディンの、生涯にわたる権威との戦いを描くドキュメンタリー。3月29日公開。

『ラブリセット 30日後、離婚します』

イケメン弁護士だがヘタレのジョンヨルと美人映画プロデューサーだが破天荒なナラは離婚寸前。しかし口喧嘩中に交通事故に遭い二人とも記憶喪失に!ありえない設定だけど結婚あるあるに満ちた爆笑コメディ。カン・ハヌルのヘタレ演技、本当に最高です。3月29日公開

『ゴッドランド/GODLAND』

19世紀後半、デンマークから植民地のアイスランドの教会に赴任する若い神父。しかし旅は想像を絶する厳しさで――マチズモにマチズモで対抗して自滅していく文明世界の男が哀れ。圧倒的に広大な自然を背景にした映像はため息が出る美しさ。3月30日公開

『インフィニティ・プール』

妻とリゾート地で休暇を過ごしていた作家はファンと名乗る女性に誘われ、出てはいけないリゾートの外に出たことから恐るべきトラブルに巻き込まれていく。南北経済格差問題を背景にブランドン・クローネンバーグ監督が才能を証明した不条理ホラー。ミア・ゴスの怪演はトラウマ的。4月5日公開

『ブルックリンでオペラを』

精神分析医の妻を持つ作曲家は何年も作品が書けない大スランプ中。バーで女性貨物船長に出会ったことから傑作オペラを書き上げますが、恋愛依存症の彼女は作曲家を追ってきて…気の利いた台詞だらけの楽しいコメディ。ファッションもかわいいチャーミングな映画です。4月5日公開

PROFILE

遠藤 京子

東京都出身。
出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。

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