EVERYTHING ABOUT ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD.
GCC拡大版!もっと知りたい
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について。
「ワンハリ見たけど、いまいちピンとこない」「シャロン・テートって?」
「ヒッピーって悪口なの?」など、モヤモヤしているであろうユースのために、
今回はガールズシネマクラブ番外編として、ワンハリ鑑賞ガイドをお送りします。
デビューするまで貸しビデオ屋でバイトしていた元映画青年タランティーノの
クレイジーな映画愛がこめられた作品なので、断片を知っているのと知らないのとではおもしろさが違うのです。
なんならこれ読んでまた観に行っていただければと…。
Text_Kyoko Endo、Babe Hikari(RED CARPET REPORT)
観終わった人も、これから観る人も
タランティーノ新作を楽しむための基礎知識20!
映画ってそのまま見ておもしろいのがいちばんだけど、背景を知るともっとおもしろいのです。タラ先生がどれほど自分の大好きなものをこの映画1本に詰め込んでいることか…映画周辺サブカルをまとめてみました。それでは登場順に、どんどん参ります。
1. ワンス・アポン・ア・タイム…というタイトル
Once upon a time…は昔々あるところに…という昔話の始まりの決まり文句でもありますが、このタイトルはそもそもタランティーノが敬愛、というより熱愛するイタリア人監督セルジオ・レオーネの“Once Upon A Time in the West”(邦題は『ウエスタン』)と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』から来ています。ちなみに西部劇大作『ウエスタン』は9月27日からリバイバル上映が決定! 禁酒法時代のマフィアを描いた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のほうも是非再上映してほしいですね。
2. マカロニ・ウェスタンとクリント・イーストウッド
レオナルド・ディカプリオが演じるリックは落ち目の俳優。アル・パチーノ演じるプロデューサーに「イタリアに行ってスパゲティ・ウェスタンにでも出ろよ」と言われて嫌な顔をします。スパゲティ・ウェスタンは日本でいうマカロニ・ウェスタンで、イタリア製作でスペインやユーゴスラヴィアで撮られていた西部劇のこと。世界中で大人気で、日本でも多くの作品が封切られていました。『続・夕陽のガンマン』のロケ地を復活させたスペインのファンたちを描いたドキュメンタリー『サッドヒルを掘りかえせ』からも人気のほどがわかります。この世界でスターになったのがクリント・イーストウッドで「サッドヒル」でも彼のビデオメッセージでファンが感涙にむせんでいました。ちなみに『続・夕陽のガンマン』こそタランティーノがベスト映画を聞かれるたびに何度も1位に上げてきたオールタイムベスト。セルジオ・レオーネ監督作なんでした。
3. イングロリアス・バスターズ
リックの過去の出演作のひとつとして火炎放射器でナチスを火だるまにするアメリカ人スパイが出てきます。この火炎放射器がまさか伏線になるとは思わないのですが、それはさておき、リックのスタントマンのクリフを演じるブラッド・ピットが『イングロリアス・バスターズ』で演じた役を彷彿させるカット。タランティーノのセルフ・パロディですね。
4. ベトナム戦争
すごく複雑なテーマですが、ざっくり説明すると、フランスの植民地だったベトナムが第二次世界大戦後独立を求めて中国とソ連に接近→アメリカはアジア諸国に社会主義化してほしくない→中国とソ連は影響力を持ち続けたい→米ソの代理戦争に→アメリカが直接軍事介入して泥沼化、という感じ。1955年から1975年までの長きに渡り、地元のジャングルを知り尽くしたベトナム人のゲリラ戦法に手を焼いた米軍が枯葉剤をまいたりして国の内外から猛反発をくらい、しかもベトナムに負けちゃった。いまでも米政府と米軍のトラウマ、黒歴史になっている戦争です。反戦運動から、多くのフォークやロックの名曲や、小説や映画や演劇の名作が誕生。この戦争抜きにサブカルは語れません。映画では1978年の『ディア・ハンター』1979年の『地獄の黙示録』から2017年の『ペンタゴン・ペーパーズ』まで傑作多数。ワンハリではラジオのアナウンサーが戦死者の数を伝えています。米兵10人に対してベトナム人は100人単位でイラクのニュースを思い起こさせます。
5. ラジオCM ビル・コスビーとレイ・ブラッドベリ
リックのスタントマンのクリフ――演じるのは実年齢から考えると素晴らしい腹筋のブラッド・ピット――が運転しながら聞くのはいつもラジオ。音楽と音楽の合間には宣伝文句が流れてビル・コスビーがどっかの劇場に出るよ、と言っています。そのビル・コスビーこそが、2018年に81歳にして過去の女性への性的暴行で有罪判決を食らった#Metoo運動渦中の人物。1965年からテレビ出演しているので、映画の舞台の1969年には新進人気コメディアンってとこでしょうか。その後大物になったけど女優にドラッグをやらせてレイプするような人になっちゃってたんですね。ラジオのちょっとした音声に、このころ彼だって若くて前途有望だったって思い出させる仕掛けが入っているんです。そして、レイ・ブラッドベリの『刺青の男』映画化のニュース。『パルプ・フィクション』でパルプ小説愛を示したタラですが、パルプ雑誌に珠玉のSF短編を多数発表したブラッドベリ御大の名前をここにもってきたわけ。
6. ラジオの音楽 ミセス・ロビンソンとバブルガム・ポップ
クリフがプシーキャットを見かけたときラジオでかかっていた『ミセス・ロビンソン』。アメリカでは1967年末に公開されたダスティン・ホフマン主演の『卒業』の挿入歌です。『卒業』の中で、サイモン&ガーファンクルの楽曲はほかにも『サウンド・オブ・サイレンス』や『スカボロー・フェア』も使われているのですが、新曲だった『ミセス・ロビンソン』がビルボード1位となるヒット。ミセス・ロビンソンとは主人公を誘惑する女性なので、プシーキャットがクリフを誘惑することが暗示されています。シャロン・テートがかけるのがポール・リヴィア&ザ・レイダースのレコードです。タランティーノは『レザボア・ドッグス』でもスティーラーズ・ホイールを使ったり『パルプ・フィクション』でもディック・デール&ザ・デルトーンズをリバイバルヒットさせたりしていたので、オールディーズが趣味なのかと思っていたが、やはり歌詞などから厳選しているらしく、ここにも深い思惑が。レイダースのプロデューサーがテリー・メルチャー。チャールズ・マンソンのレコードデビューを断ったとしてマンソンが恨んでいた人物で、シャロン・テートはメルチャーが元住んでいた家にいたために殺されたというのです。ちなみにメルチャーはヒッチコック映画などにも出演していたドリス・デイの息子です。
7. シャロン・テート
マーゴット・ロビーがロンドン帰りらしい衣装もかわいく演じるシャロン・テート。ポランスキー監督と結婚して妊娠したので静かな環境を求めてリックの家の隣に引っ越してきたのです。『オースティン・パワーズ』の原点と謳われる娯楽作『サイレンサー第4弾/破壊部隊』で、ブルース・リーにアクション指導を受けたシャロン。この作品ではコメディエンヌぶりが強調されていますが『哀愁の花びら』というショウビズ界での成功を夢見る女性の群像劇では夫の医療費のためにポルノ女優となるという役どころでヌードまで披露し演技力を評価されていたそう。1969年というのはシャロンがこれからさらにビッグになろうというところで、リックは落ち目の自分と比較して落ち込んだりしてます。しかし!現実世界のシャロンは1969年8月9日にマンソン・ファミリーに殺されてしまいます。16回刺され致命傷になったのが5つの刺し傷だったという検死報告が出され、玄関ドアにシャロンの血でPIGという文字が書かれていたそう。タランティーノはポール・トーマス・アンダーソンに語った通り、シャロンを墓から救い出したわけです。
8. ロマン・ポランスキー
2017年にも『告白小説、その結末』を発表したばかりの現役バリバリの映画監督。ポーランドで撮った『水の中のナイフ』がアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、1968年にアメリカに移住して撮った『ローズマリーの赤ちゃん』が大当たり。『ローズマリーの赤ちゃん』は悪魔の子を生まされる女性を描いたモダンホラーの金字塔。ジョーダン・ピールはじめ、この作品に影響を受けた映画監督は多数。2018年の『へレディタリー 継承』でもこの映画の影響を指摘する海外媒体は多かった。しかしそれほどに影響力のある作品なので、キリスト教保守の反発も大きかった。ポランスキーは妻の殺害容疑までかけられ、実行犯が逮捕されるまで嫌がらせを受けていたとか。不運な彼は78年には未成年の女性のレイプ容疑で禁固刑になると通告され、パリに逃亡。このレイプ容疑については、ポランスキーは相手女性親子に脅迫されていたと否定。だがしかし『テス』の主演のナスターシャ・キンスキーとも彼女が未成年のときにやっちゃってるし、ほかにも性的虐待被害を訴えている女優はいます。『テス』といえば、ワンハリでシャロンが夫へのプレゼントに原作の初版本を買うシーンもありました。閑話休題、アメリカに入国したら逮捕される身となったポランスキーはその後はパリに住み、一度もアメリカに足を踏み入れていません。しかしもしもポランスキーがハリウッドに住みつづけていたら『戦場のピアニスト』のような映画が生まれていたかどうかはわかりません。
9. ジェイ・セブリング
エミール・ハーシュが演じるシャロン・テートと一緒に殺されちゃったシャロンの元彼です。日本ではあまり知られていないけど、じつはアメリカの男性ファッション業界ではすごい重要人物。彼が登場するまで男性の髪をシャンプーしてから切り、バリカンでなくハサミを使い、ブロウする人さえいなかったそうです。アメリカ版ヴィダル・サスーンみたいな人。だからスティーブ・マックイーンもウォーレン・ベイティもフランク・シナトラもサミー・デイヴィス・Jr.も彼の顧客でした。スティーブ・マックイーンは弔辞も読んだのです。ジム・モリソンの自然にああなった風の髪型さえも、彼のデザインだという…(驚&ジムへのちょっとがっかり)。ウォーレン・ベイティの『シャンプー』のモテモテ美容師のモデルになった人物でもあります。そんな彼の伝記映画をジェームズ・フランコが監督・主演するというニュースが2013年に流れたのですが、まだ完成しないのでしょうか。オクラか中止だとすればワンハリのヒットでまた日の目を見てほしいです。
10. チャールズ・マンソン
シャロン・テート事件で世間を震え上がらせたマンソン・ファミリーの教祖。デイモン・ヘリマンが演じています。7件の殺人事件で死刑宣告を受けたもののカリフォルニアが死刑制度撤廃して終身刑となり2017年に獄中死しました。どの事件も自分は直接手を下さず信者に殺害させているのも悪どい。家出少女で売春婦だった母親から育児放棄され、人生の大半を刑務所で過ごしたマンソンは女性が諸悪の根源と考えるようになり、女性蔑視のカルトを設立。家出少女達を集めて洗脳し、彼女たちにゴミをあさって食べ物を探させ、しかも集団では男性信 者が食べるのが先で女性には食べ残しを与えるというような生活を送らせていました。場所はスパーン映画牧場。女性信者に牧場主の老人を誘惑させて居つきました。テート殺害ですぐ捕まらなかったマンソン一味は、白人と黒人を対立させて社会を混乱させようとして、さらに猟奇殺人を重ねたのです。だから警察はブラック・パンサーにも疑いの目を向けていました。事件が明るみに出てからチャールズ・マンソンはアメリカの悪の化身となって、さまざまなドラマや映画の題材になり、オジー・オズボーンもマンソンについて歌っていましたね。チャールズ・マンソンから名前を取ったのがマリリン・マンソン。マリリンはもちろんアメリカのポップカルチャーアイコンとして対立概念となる、誰にでも愛されたのに1962年に謎の死を遂げたマリリン・モンローです。
11. マンソン・ファミリーとビーチ・ボーイズ
マンソンは少女たちに売春もさせていました。クリフがヒッチハイクするプシーキャットを拾ってマンソン・ファミリーに出会いますが、同じ出会い方をした有名人がビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンです。ブライアン・ウィルソンの弟で泥酔して怪我してドラムを叩けなくなり、最後はヨットから海に落ちて溺死した不運の人。テリー・メルチャーにマンソンを紹介したのもデニスだったそうで、スパーン牧場で自動車窃盗で逮捕されたマンソンたちが別の牧場に入り込むとき、デニスから巻き上げたゴールドディスクを渡して「音楽をやる場所を探しているミュージシャンだ」と言いくるめたとの話も。で、このときデニスに車に乗せてもらったのがパトリシア・クレンウィンケルことケイティーで、シャロン・テート事件の実行犯のひとりです。
ファミリーはみんなあだ名で呼ばれていたのですが、エル・ファニングのお姉ちゃん、ダコタ・ファニング演じるスクイーキーのあだ名は、スパーン老人に触られるたび怒って声をあげたからだと知るとなんだか哀れ。マンソンのところに家出少女が集まってしまったのは、当時ベトナム戦争のほかにもケネディ暗殺や性差別や人種差別があって、世の中おかしいんじゃないかという疑問が渦巻き、若い人たちが大人のいうこと聞くのやめようという空気が蔓延していたからでもあった。大学に進学してみればそこでも学生は権威に従わせようとするエスタブリッシュメントと闘っていたし、金儲け競争からドロップアウトしてマリファナでもやって気楽に生きていこうよ、というヒッピー文化が背景にあったのです。いわばマンソンはヒッピー文化のおこぼれで少女たちを誘惑しやすくなっていて、シャロン・テート事件でヒッピーやドラッグまでもが危険視されてしまったんです。マンソンが殺したのはシャロンだけじゃなくヒッピー文化そのものでもあったのです。
12. プレイボーイとスティーブ・マックイーン
『エスクワイア』編集部にいたヒュー・ヘフナーが、雑誌にヌードがついてたらもっといんじゃね?と『プレイボーイ』を創刊したのは1953年。3年目には100万部を超えるアメリカを代表する雑誌になり、ヘフナーのシカゴの豪邸はプレイボーイマンションと呼ばれ夜毎有名人が集まる社交場に。で、ビバリーヒルズにも家を買ったのが1971年…そう!ここでも史実をちょこっと曲げたタラ先生なのだが、ハリウッドの名所中の名所でもあるし、故ヒュー・ヘフナーとの親交もあったし、当時の有名人が集まる場所としてどうしても使いたかったに違いない。パーティーシーンでは、ママス&パパスのミシェル・フィリップスとキャス・エリオットがスティーブ・マックイーンと談笑しています。スティーブ・マックイーンといえば『大脱走』で、ナチスの収容所から脱走を企てるアメリカ陸軍航空軍大尉を演じて大人気に。ワンハリでもリックに「あのオーディション通ってればなあ」と言わせて笑わせてくれます。で『大脱走』でスティーブ・マックイーンのバイクスタントをやったバド・エキンズがクリフのモデルの一人でもあるんです。
13. ブルース・リー
ブルース・リーを見ずして映画を語るべからず。以上!で終わりとしたいところですが一応説明しとくと、アメリカでも大成功した香港スター。クンフーや空手からジークンドーを創設し、その影響は格闘技界と映画界だけでなく漫画界やゲーム界にも及ぶ。はっきり言って彼がいなければ『北斗の拳』もなくストファイもバーチャも生まれてないです。とにかく『燃えよドラゴン』1本見れば、上記が誇張ではないことがわかるはず。そうした偉大なレガシーから鑑みれば、この映画のリー先生役は弱すぎ。で、遺族から苦情が出たそうです。私もこれについては苦情を言いたい。顔も似てないし、ひどいよタラ先生! ちなみに彼がクリフから「ケイトー」って呼ばれるのはテレビシリーズ『グリーン・ホーネット』で主人公のアシスタントで拳法の達人の加藤役をやっていたから。加藤はもともと日本人という設定だったのが、第二次世界大戦前の日米関係悪化で、最終的に中国人になったそう。シャロンとクンフーやってるのは下積み時代にアクション指導もしていたから。
14. ジョアンナとロミジュリ
『ジョアンナ』は屋外広告に『ロミオとジュリエット』は名画座の看板として映し出される映画。『ジョアンナ』は1968年のイギリスの作品で60年代のファッションや音楽が詰めこまれた恋愛映画。カンヌに出品されるはずだったのですがゴダールやトリュフォーが五月革命に連帯を示してその年は映画祭が中止になりました(ポランスキーも審査員を辞退したらしい)。しかしいまでも熱烈なファンが多く、いわゆるカルト映画に。フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』は1968年の映画。原作はもちろんシェイクスピアで『ウエスト・サイド物語』の元ネタでもあります。日本でも大当たりしてジュリエット役のオリヴィア・ハッセーがカネボウのCMに出て、CMソングをつくった布施明さんと結婚していました。
15. ペパード、マハリス、チャキリス
リックと『大脱走』の空軍大尉役を争った“3人のジョージ”。かつては人気があったけれど1969年はヒットがないリックのご同輩として並べられちゃっています。ジョージ・ペパードは『ティファニーで朝食を』に出演したものの当時はこれといった作品がなく、ジョージ・マハリスもポール・ニューマンとイスラエル建国映画に出たりしていたものの映画ではパッとせず、どちらかといえばテレビシリーズと歌手業のほうがメインだったよう。ディカプリオがニコニコ踊っているHullabalooはマハリスのまねっこ。ジョージ・チャキリスは『ウエスト・サイド物語』でシャーク団のボスを演じて大人気に。この3人の中では日本ではもっとも知られているかも。後年NHKのドラマで小泉八雲役を演じたり、最近もミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』のプロモで来日して市村正親さんと握手したりしていました。
16. ブルース・ダーンとバート・レイノルズ
ワンハリではマンソン・ファミリーが寄宿するスパーン牧場主ジョージ・スパーンを演じるブルース・ダーン。スパーン牧場は数々の西部劇の舞台となっていて、牧場主はスタントマンをしていたクリフの昔馴染みなので、クリフが心配して様子を見に行くシーンです。『ジャンゴ 繋がれざる者』『ヘイトフル・エイト』に出演したブルース・ダーンがタラ作品に出演するのは当然のように思える。でもブルース・ダーンはバート・レイノルズの代役なんです。バート・レイノルズはまさにアメリカのセックス・シンボルとも言われながら、いろいろ間違えて人気低迷、まさにリックの近未来みたいだった人。その人生は彼自身が主演した遺作『ラスト・ムービースター』からも理解できます。ちなみに『ラスト・ムービースター』はワンハリが教科書だとするとその教科書ガイドというか資料集みたいな作品なので是非見ていただきたい。あ、かつてのスターってこういう感じなのね、っつうのがすごくよくわかるのね。しかしレイノルズの遺作がワンハリではなく『ラスト・ムービースター』になったのはいまとなっては正しいことのような気がする。ところで本作でブルース・ダーンやマイケル・マドセンの出演にタランティーノ組が、みたいな書き方をしてる記事もあるけどそんな甘いもんじゃなかろうとは思います。なぜって、あのティム・ロスの出番がカットされているからです。しかしここにこそタランティーノの作品がなぜおもしろいかが現れていると思います。旧知の仲であろうがいらないと思えば不要と判断したシーンをカットする決断力って観客からしたら大事。それができてない作品はやっぱり面白くないですもん。
17. FBI
1965年から1974年まで放送されていた超人気シリーズ。『FBIアメリカ連邦警察』というタイトルで日本でも長期にわたって放送。ワンハリではリックが悪役でゲスト出演していて、スパーン牧場主のジョージが夢中になって見ている、いや、聞いている番組でもあります。しかしFBI長官のエドガー・フーヴァーの全面協力のもとに撮影されたと知ると……超プロパガンダじゃん! フーヴァーはFBI長官である立場を利用して反対者の秘密ファイルを作成、政治家の弱みを握って権力を濫用したといわれる人物。赤狩りでは非米活動委員会と協力して諜報活動を行っていました。テレビシリーズ『FBI』は実際の犯罪ファイルをもとにドラマ化し、さらにアメリカではドラマ終了後に重要指名手配犯の情報提供も呼びかけていたそう。そんな番組をマンソン・ファミリーのヒッピー娘たちが見ているとは皮肉にもほどがありますね。そういえばディカプリオはフーヴァーの役を演じたこともあったんでした。
18. パンナム
リックがイタリアから帰国するのに選んだ航空会社はパンナムことパン・アメリカン航空。ディカプリオは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』でパンナムのパイロットを装って旅行する詐欺師の役を演じていましたっけ。パンナムは当時のアメリカのフラッグ・キャリアでしたが放漫経営がたたって91年に倒産。広告なんかも大盤振る舞いで日本のテレビ番組や映画の協賛もしていたし、極東担当広報支配人が大相撲のバックアップまでしていた。皆さんのお父さんやお母さんのなかには「ヒョウショウジョウ」とアメリカ訛りの日本語で優勝力士に賞杯を手渡す西洋人のおじさんを覚えている人もいるはず。ロゴやスチュワーデスの制服などのデザインはいまでも人気でノベルティが結構な高値で取引されています。ワンハリで映画館の看板に出てくる『2001年宇宙の旅』には民間宇宙シャトルにパンナムのマークが。
19. ローリング・ストーンズ
Rolling Stoneアメリカ版のサイトによると、タランティーノの音楽選びはまずレコードショップかと見紛う彼のレコードコレクションから始まるそうです。舞台となった1969年以前に限って選び出された中にはローリング・ストーンズの1966年のアルバム『アフターマス』収録の『アウト・オブ・タイム』も。忘れられかけた名曲をディグってくる通常のタラ先生のスタイルからすれば、ストーンズのようにメジャーなバンドを選ぶのはちょっと珍しいと思ったのですが、この曲の歌詞をよく聞くと納得。「君は何が起こってるのかわかっていない、俺の心はもう君から離れているのに」という内容はラヴソングだと思って聞かなければ、盛りを過ぎたリックとリックに付き従うクリフに「もう君たちは時代遅れでお払い箱だよ」と歌っているようにも取れるのです。
20. デニス・ホッパー
オンボロのピックアップトラックでリックの家にやってきたマンソン・ファミリーが、エンジン音がうるさいとリックに罵倒されまくり、そのときに「デニス・ホッパーめ!」と言われる。「このヒッピー野郎!」みたいな感じですね。ワンハリの舞台は1969年8月、それに先立つ7月14日にピーター・フォンダ製作、デニス・ホッパー監督でデニス・ホッパーとピーター・フォンダとテリー・サザーンが脚本を手がけた『イージー・ライダー』が公開され、その年のアカデミー賞助演男優賞と脚本賞にノミネートされました。いまでもアメリカン・ニューシネマの不滅の名作として繰り返し上映されています。オルタナティブな生き方を探す二人のバイク乗りが、アメリカ横断の旅に出るが南部で頑迷なレッドネックにボコられ…という物語で、変化を嫌う保守層の暴力が当たり前に行われていた南部とカリフォルニアが生んだ自由を求めるカウンターカルチャーが対比して描かれています。この作品でデニス・ホッパーが演じたのはバイク乗りでヒッピーではないのですが、エスタブリッシュメント寄りのリックは一緒くたにヒッピー呼ばわりしたわけ。
ヒッピーは東洋哲学に影響を受けアメリカ資本主義的文化に懐疑的なビート・ジェネレーションから生まれたカウンターカルチャーで、理想主義的だったためにベトナム戦争に反対してベトナム帰還兵に唾を吐いたりしたので、第二次世界大戦という“正義の戦争”から帰ってきて死に物狂いで金を稼いできたそれまでの世代にとってはカンに触ることこの上なく、リックみたいな白人中年にしてみれば「このゆとりが!」みたいな感じで反感の対象になったのです。そんなわけでシャロン・テートの家に押し入ろうとしたマンソンズがリックを殺そうとするわけなんですが…。相手が悪かった。ちなみにデニス・ホッパーの監督第二作『ラストムービー』のデジタルリマスター版とデニス・ホッパーのドキュメンタリーが12月公開予定です。
まあこれだけじゃなく、テレビシリーズやB級西部劇も入っていて本当にタランティーノが好きなものをどんどん貼りつけたスクラップブックみたいな作品なのですが、さすがにテレビシリーズは正直言って私もフォローできていません。楽曲はすごくかっこよかったけれど使用理由がわからなかったのでディープ・パープルの『ハッシュ』については書けませんでした。書きたかった…。かっこいいので聞いてください。ほか、ファッションやインテリア、車、食器にドッグフードやビールのブランドまで凝りに凝っているらしく、監督と同世代のLA住人はもっともっと楽しんでいると思います。懐かしさって切なさとセットの感情だから、そういうスイッチも入ってのヒットでもあり。ワンハリに引用された上記の映画もそのうち是非見てみてくださいね。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
(2019/アメリカ/161分)監督:クエンティン・タランティーノ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
全国ロードショー公開中
公式サイト
PROFILE
遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、フリーのライター、編集者に。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿。番外編!
タランティーノが大好きなベイブひかりさんがご本人に会うまでを電撃レポート!
スティーヴ・ブシェミやレオナルド・ディカプリオ、ユマ・サーマンといった錚々たるハリウッドの大スターたちの顔面を拝借し、ピンクでドリーミーなコラージュ作品を次々と生み出しているアーティスト、ベイブひかりさんをご存知でしょうか? 作品からダイレクトに彼女の好みが伝わってくるのも、ベイブひかりさんの魅力のひとつで、インスタから作品をチェックすると、タランティーノ監督もかなり登場している! 思えば、ブシェミやレオ様、ユマと…みんなタラファミリーではないですか!
それだけタランティーノから多大な影響を受けたベイブひかりさんが、ご本人&レオナルド・ディカプリオと直接対面する日が来るなんて…。本作公開を祝して約6年ぶりに来日する彼らへ、レッドカーペット取材を敢行しました!その会場の感動の模様をレポートします!!!
この日のために、ベイブひかりさんはTシャツをつくってくれていました。背中に大きくプリントされたタランティーノ。そしてその下に“BEST FATHER EVER”の文字が。そう、彼は56歳にして念願のパパになったのです。「お腹にいるミニ“タラちゃん”に早く会いたい」と話しているところからもすでに良いパパ感が滲み出てますよね。ファンたちの熱気が頂点に達した頃、ようやくご本人たちが登場。レッドカーペットに向かって歩いているとき、その奇跡の瞬間が訪れます。なんと、ベイブひかりさんのTシャツにタランティーノ監督が気がついてくれたのです! レッドカーペットの両脇には多くのファンが並び、そこに向かう寸前で気がついて、「あれ僕だ!ハハハ」と指を刺して最高の笑顔を贈ってくれる…なんというかすごかったです。
あのたった一瞬だけでも、世界を代表するやばい監督であることと、とても人間らしく愛に溢れたひとであるということを同時に目の当たりにしました。歴代最高のオープニング記録を叩き出した本作は、映画をこよなく愛したタランティーノ監督のハリウッドに対する愛が詰まった作品となっています! これまでの作品も最高だけど、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は何回でも観たくなる、なんなら保存しておきたくなるような傑作です。
いままで海外セレブの作品など作ってきて、まさか作っている本人を実際に目の前で見る機会があるとは夢にも思ってませんでした。
正直ここだけの話、本当に本人を見る事が出来て認知してもらう事など出来るのだろうかと、当日まで半信半疑でしたが、上司にはタランティーノに会ってくると言って有休を取りました(笑)。
実際に取材に行ってみて、本当に本物がいて身震いしてしまいました(笑)。
インスタ撮ろうと思っても手が震えて興奮しました!
タランティーノがTシャツに気づいてくれて
こちらに「自分のTシャツだ」的な事を言って笑顔を見せてくれました!
本人に作っている物が認知されて本当に嬉しかったです。
まさか自分の作品からここまでの体験をさせてくれると思いませんでした!
夢のような時間をありがとうございました!
ベイブひかり
Instagram @babehikari