GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#51『ハニーランド 永遠の谷』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
ぼちぼち映画館も再開しはじめコロ助出現前の生活に戻りつつありますが、
リモワでラッシュの異常さに気づいたり、じつはそんなに物を買わなくても生きていけるとわかった人も多いと思います。
ぽっかりエアポケットのように空いた時間があったおかげでひと息ついたら、
いろんなことが見えてきた――そんないまだから見ていただきたい映画があります。
Text_Kyoko Endo
コロナにもびくともしない(であろう)豊かさとは。
今回ご紹介するのは、昨年のアカデミー賞で『パラサイト』や『ペイン・アンド・グローリー』と並んで外国語映画賞候補になり、長編ドキュメンタリー賞の候補にもなった北マケドニア作品。自然養蜂家の女性、ハティツェ・ムラトヴァさんの日々の生活を追ったこの記録映画に世界がどよめいたのは、普遍的な価値観が強く静かに提示されていたから。
でもどっちの賞も取らなかったんでしょ?と思う人がいるかもしれませんが、外国語映画賞の候補になるのがそもそも大変なことで、日本映画は昨年は入れず…。しかもドキュメンタリー映画が外国語映画賞にノミネートされるのは史上初。東欧文化はまだ日本ではあまり紹介されていないこともあり、興味を惹かれながら見に行きました。そして見たあとはことあるごとにこの映画のことを思い出しています。
ハティツェが荒地を一人歩いてくるところから映画が始まるのですが、広大な土地で人っ子ひとりいません。崖っぷちの道を歩いていくと岩穴があり、岩をどかすと蜂がわんわん集まって巣を作っている。それを無造作にスコップで集めて家に帰ります。家に帰って自分の巣箱に蜂を放してやるとき、彼女は蜂をなだめるように歌うのです。何日かして蜂が蜜を集めたあと、切り取った巣から滴る貴重な蜜を、なんと彼女は地面に開けてしまうのです。
経験則から生まれた古いしきたりで、半分を蜂に残すことで生態系を守る意味があるのです。彼女は蜂蜜を売りに首都のスコピエにも行きます。ナウシカに出てくるようなファッションの彼女が、モヒカン少年と電車で隣り合わせたり、大都会を歩いていたりするのはちょっとシュールで、かわいい。蜂蜜を売ったお金でバナナとかヘアカラーなど自分で作れないものを買ってきます。蜂蜜を大幅値下げさせられましたが気にしません。
そんな無欲な彼女の隣の家に、子沢山の家族が引っ越してきます。子どもたちはかわいいけど、お父さんはあんまり生態系とか考えてない人。子沢山でお金はいくらあっても足りない。ハティツェから養蜂を教えてもらいますが、強欲な商人にそそのかされるまま、ハティツェの蜂の巣まで崩壊するほどに蜂蜜を集めてしまいます。欲深い隣人はもちろん失敗するのですが。
この話ほんとなの? イソップとかロシアの昔話なんじゃないの? とお考えかもしれませんが、正真正銘ドキュメンタリー。撮影隊はもともとスイス開発協力局の川のドキュメンタリーを撮ろうとしていてハティツェに出会って、テーマを変更。最初ハティツェは渋々撮影をOKするという感じだったそうですが、撮影隊が彼女の家のまえにテントを張って生活し(隣人が引っ越してくる前はハティツェとハティツェのお母さんしか住んでなかった過疎の村なので場所はいくらでもある)彼女もカメラに慣れたと。撮影しているうちに隣人が越してきて、隣人もカメラに慣れていったそうです。なかには隣人の家の中で撮られたカットもあり、そうした400時間という膨大な撮影記録を90分足らずにまとめているので、まるでドラマを見ているようなんです。
ハティツェのたたずまいが印象的です。彼女は電気も水道も通っていない村の中で暮らしているのに、悲惨さがなく、妥協もしていない感じ。手作りのおんぼろアンテナでラジオを聞いて、情報に追われもせず、ゆったりと生きている。蜂蜜をお金に変えるけれど、お金に振り回されてはいない。コロナ感染騒ぎのこの日本にいて、彼女の生活を見ると、自給自足しているし都市封鎖などがあっても生活に影響なさそう。ヨーグルトや非加熱の天然蜂蜜を食べていて健康状態もよさそうです。
一方で、隣人は蜂蜜をくれればお金を出すよという商人の言うことを簡単に聞いてしまう。いつも怒りっぽくて疲れています。でもたぶん私たちの多くはこの欲深の隣人と同じことをやっている。お金のために、違うなと思うことをやったり、嫌だなと思うことを我慢したりしているでしょう。ラッシュの電車に乗って会社に行く。会いたくない人に会う。もしかしたらラッシュの電車に乗らないですむ会社や会いたくない人に会わないですむ仕事があるかもしれないけれど、その可能性すら考えてもみない。日常に慣れてしまうし、考える間もなく「稼がなきゃ」と追い立てられているからです。それはあなたの欲望のせいではなくて、収入や貯金がないと不安になるような社会構造だから。
取れる限りの蜂蜜を取れとそそのかした商人の後ろには、ネットで注文しまくっている買い物大好きな誰かがいるかもしれません。また、コロ助混乱が始まったころ、マスクやトイペが品薄になりました。本当に必要で買わざるを得なかった人もいたはずだけれど、ただ心配だし買えたから買っといたという人もいたでしょう。でもそれってデマに煽られた結果の心配で、少しだけ待っていれば解決するんでした。トイペとはまた違う話になるかもしれませんが、必要ないものを買ってゴミを出してしまうのは、金さえ出せば自然を荒らしてもいいだろうというのに似ているし、いまとなればやっぱりやめたい。
この映画、面白くなるのは隣人が失敗してからなので是非劇場で結末を確かめていただきたいのですが、隣人とは反対に、ハティツェはほとんど何も持っていないのに豊かな感じがするのです。欲望を超越しているというか。豊かさについてこんなに目を開かれる映画はあまりありません。
この映画には、まず①見ておもしろいという利点があるし②お金と豊かさが必ずしも結びつかないということもわかって ③お金のためにあくせくするより別の生き方を考えるようになるか ④いまの生活を続けたとしてもそんなに焦らなくていいかと精神的ゆとりができる はず。 ⑤人間のタフさってお金でも性別でもないんだなということもわかる ので本当にお勧めです。何より⑥ハティツェのたたずまいに感動 してしまいます。つまりこれ“欲望の資本主義”ワクチンみたいな映画なんですよ。
『ハニーランド 永遠の谷』
(2019/北マケドニア/86分)監督:リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ
出演:ハティツェ・ムラトヴァ、ナジフェ・ムラトヴァ、フセイン・サム一家
配給:オンリー・ハーツ
©2019, Trice Films & Apollo Media
6月26日(金)よりアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国ロードショー
公式サイト
『ハニーランド 永遠の谷』を観た人は、こっちも観て!
豊かさってなんなんだろう…一言では答えられない問いではありますが「こういうことかもしれないよね」(またはこういうことじゃないんだよね)とヒントをくれる映画を集めました。ガツガツしてると高収入でも豊かな感じにはならないんですね。
『花のあとさき』
埼玉県秩父、後継者がいなくて先祖代々の畑をやめることになった老夫婦が、土地を荒らしては申し訳ないと花の苗を植えていく。その数1万本。老夫婦が亡くなり、最後の住人がいなくなったいまもその村は花の名所となった。シネスイッチ銀座ほかで上映中。『パブリック 図書館の奇跡』
新自由主義政策下でばんばん予算を削られる図書館。しかしこうした情報インフラこそ社会の豊かさを証明するものなのです。そこで働く司書がホームレスの図書館占拠に巻き込まれて…というコメディ。エミリオ・エステベス監督・主演の傑作。7月17日公開。『グッド・ワイフ』
豪邸に住んで車をプレゼントされたりしてるのに、主人公が幸せそうじゃないのはなぜ? 金融危機のメキシコで、夫の財力をバックに上流階級妻たちが繰り返すえげつないマウンティング合戦を描く。生々しいけど反面教師として見応えあります。7月10日公開。