GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#56『TENET テネット』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
プレスリリース引き写しのサイトでは読めない情報をお届けします。今回ご紹介する映画は『TENET テネット』。
2億2500万ドルという製作予算や贅沢な特撮シーンばかりが話題ですが、ストーリーは政治的要素もありかなり複雑…。
映画をより深く楽しむため背景知識を押さえておきたいと思います。
2020年前半はポン・ジュノの年でした。9月後半からはクリストファー・ノーランの年になるかもしれません。
Text_Kyoko Endo
『TENET テネット』をよりおもしろく見る基礎知識。
映画には3種類しかありません。おもしろい映画とつまんない映画と好みが合わないだけの映画、です。『TENET テネット』は超絶おもしろい映画なんですが、背景知識があったらもっとおもしろくなります。それに理解しきれないと“好みが合わない”となってしまう可能性もあり…それはもったいないですよね。
キエフのオペラ劇場でテロが起こるシーンから映画は始まります。サウンドロゴの音がオーケストラの音合わせで、オケが始まるやいなやテロリストがチェロを踏み壊したりしている。鎮圧に踏み込む対テロ特殊部隊のなかに「アメリカ人」と呼ばれている黒人の男がいます。彼が主人公。ところがこのテロは、主人公が内通者を救出するための偽装でした。主人公が撤収しようとした瞬間、目の前で銃撃の穴が閉じます。次のシーンでは主人公は拷問のために捕らえられている…ところでタイトル。こんなの全然ネタバレじゃないです。フライヤーの2行分くらいを詳しめに書いただけ。とこんな感じで、最初から何がリアルで何がフェイクかわからない世界に私たちは放り込まれます。これぞクリストファー・ノーランの世界。
中略しまして主人公は第三次世界大戦を防ぐため戦うことになります。主人公にも名前がないが、味方の第三次世界大戦防衛隊にも名前がない。コードネームだけがあって、それがTENETです。ミッションは、時間を逆行させる機械で世界を消滅させようとしている男を止めること。
時間逆行というのが大きなトリックで、物理学者に読んでもらったという台本はエントロピーの法則などの科学技術用語で満ちていますが、考えすぎると脳がぷしゅーとなるので、ふんふんと見るのが吉。未来から来た人間からは、過去の世界はフィルムを逆回転させたように見えるのですが、この描写がひとつの見どころ。特撮と編集が素晴らしすぎますし、とくに後半で伏線がパズルのピースのようにハマっていくところは快感すら感じてしまいます。
世界を消滅させようとしているのはオリガルヒのアンドレイ・セイター(演じるのはシェイクスピア俳優、ケネス・ブラナー)。オリガルヒとは、ソ連崩壊後、国の財産を山分けするなど公には言えないようなことをして富を手に入れ権力に近いところにいるという噂のロシアや東欧の貴族みたいな人たちの総称。このソ連崩壊というのが背景知識としてわりと重要です。表向き天然ガス会社社長だが(とはいえ旧ソ連のガス会社民営化はスキャンダルまみれで完璧シロという感じでもないですが)じつは武器商人というセイター。成り上がったきっかけは、プルトニウムの捜索。旧ソ連で汚れ仕事を押しつけられた青年だったわけです。プルトニウムは発癌性がある放射性物質ですね。
このソ連崩壊のきっかけはチェルノブイリ原発事故。現ウクライナにあったチェルノブイリ原発では、圧制下で自由に意見が言えないなかノルマを達成したい上司のゴリ押しで事故が起き、政治家はそれを隠蔽しようとし、放射性物質の害を知らずに消火活動した消防士が被爆で亡くなったりして、政府の権威が失墜しました。つまりその事故で「それまで正しいとされたこと」が暗転したのです。
TENETとは、主義とか信条という意味なのですが、セイターは国家がボロボロになる過程に居合わせてそれまでの正義が悪に変わるのを目撃した男、国というひとつの世界の終わりに居合わせてしまい、信条 / TENETを喪った男です。それに対して、名もなき主人公は、TENETのためだけに世界を守ろうとする。この映画は、信条を持つ者と信条を持たず金だけを追い求める者の戦いを描いているんです。
ノーラン監督は製作費が莫大な映画を撮ることで有名ですが、だからって1%の金持ちの味方というわけではない。あくまでもクリエイター。芸術家なんです。この作品でも、ボーイング747を爆破させるために買ったと話題になっていますが、それを突っ込ませるのはスーパーリッチの財産を集めた倉庫。このことからも信条の男vs金だけの男の勝負が、監督から私たちに投げかけられたメッセージだとわかります。
ほかにも『燃えよドラゴン』や『カサブランカ』まで名台詞の引用、小道具のゴヤのドローイング(ゴヤは時の神サトゥルヌスの子殺しを描いた画家…)とネタを拾えばキリがないが、なにしろ1時間30分見たところで舞台が大展開するなど、見どころもキリがないのです。素晴らしいとかいう以前にもう圧倒的な映画なので、これこそ絶対劇場でご覧ください。情報量てんこ盛り映画なので、前の晩はしっかり睡眠をとっておくことをまじでお勧めします。
『TENET テネット』
(2020/アメリカ/150分)監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
出演:ジョン・デイビッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画
9月18日(金)全国ロードショー
© 2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved
公式サイト
『TENET テネット』を観た人は、こっちも観て!
ノーラン監督の過去作はAmazonプライムあたりが聞かなくても教えてくるはず。なので『TENET テネット』を理解しやすくなるであろう映画をまとめてみました。キーワードはフェイク対リアル、信条の喪失、チェルノブイリです。
『メメント』
2000年に公開されたノーラン監督のメジャーデビュー長編。記憶障害の主人公が妻を殺害した犯人を探そうとするサスペンスで、すでにフェイク対リアルというテーマが。ポラロイド写真が薄れていくオープニング映像では時間も逆行しているのに注目!『ドイツ零年』
それまでの正義が悪に変わり信条を喪ったのは旧ソ連の人たちだけではないのです。第二次世界大戦後、敗戦国ドイツでそれまでナチスを正義と信じきっていた少年は…名匠ロッセリーニが絶望的な状況を戦後すぐのベルリンで撮影した必見作。『チェルノブイリ』
ドラマですが、これを見ればチェルノブイリ原子力発電所事故が大体わかる大傑作。大破した原発、団地の人々の集団避難なども再現。製作はGOTのHBO。『TENET テネット』ではこの事故について直接言及していないけれど、連想せずにはいられない描写が多数。