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上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。#58『スパイの妻<劇場版>』
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。#58『スパイの妻<劇場版>』

GIRLS’ CINEMA CLUB

上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#58『スパイの妻<劇場版>』

2020.10.15

実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
プレスリリース引き写しのサイトでは読めない情報をお届けします。
ヴェネツィア映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞したニュースがあちこちで報道されているので、
この映画についてまったく初耳という人はいないのでは。
しかしもしも賞を獲っていなくてもこの映画はGCCでおすすめしたいと試写直後から思っていました。
社会対個人の話ですが、同時に愛に生きた女性の物語だからです。

Text_Kyoko Endo

女子こそ見るべき! クラシカルで美しいサスペンス。

二択にならないものを二択で選ばせる窮屈な考え方をしている人が多いですよね。金か幸福か――お金で買えないものもありますが、お金がなければかなり生きにくくなってしまうので二択NGです。コロナ禍で健康か経済か、なんていう人もいましたが、健康だからこそ経済活動が成り立つのでは? 毎回突っ込むのも疲れてきました。

こうした“してはいけない二択”にちょいちょい出てくるのが、正義か幸福か――早めに突っ込んどきますが、大多数の人間が悪は不幸だと思っていますよね。だからこの二択も成り立たない。人道的にどうかと思われるようなことをする独裁者は多いですが「やったよ? だってオレ権力持ってるもん」という独裁者はいない。みんな「こっちが正義だから!」とおかしな理屈こじつけてきます。みんな正義サイドに立ちたい。

そして人は他人の悪を見ても不幸になるのです。歴史修正主義者が過去の日本人の過ちを認めないのも、自分たちが正義じゃなければ苦しい気持ちになるからでは(失敗を検証しなければ対策が立てられずに同じ失敗を繰り返してしまうので、過去の否認は害にしかならないのですが)。ヘイトをまき散らす歴史修正主義者ですら正義サイドに立ちたがることから見ても、正義がなければ幸福じゃないと考える人のほうが多いのです。

この映画で印象的なのがまさに主人公の夫が投げかける「不正義の上に成り立つ幸福で君は満足か」という問いかけです。福原優作(高橋一生)は、神戸の貿易商。豪邸に暮らし、執事とメイドを雇っている。義務教育が尋常小学校で終わってしまうような時代に英語で取引ができるほどの学歴を身につけていて、趣味は映画撮影。贅沢は敵だ、国民服を着ろという勅令に「そんなものに従ってたまるか」と反発し最高級の布で洋服を誂えようというエリートです。

豊かに育ったからこそ偽物の幸福感では満足できない彼が、満洲で日本軍の細菌兵器実験を知ってしまったために、運命が大きく変わってしまいます。このへんは関東軍と731部隊について知っていると背景がわかりやすいかも。優作は日本軍の悪事を暴くフィルムを持ち帰ってきていて、それを公にしようとしていたのです。証人も連れ帰っていました。しかしナチスドイツやファシストのイタリアと同盟を結ぶころの、いまでいえば北朝鮮みたいな全体主義国家だった当時の日本で軍の不正を暴くのは自殺行為に近い。正義がなければ幸福になれないなら、不正を黙って見ているのは死ぬより苦しいということになります。

実際、戦争中自分を押し殺して黙っていても、戦後、あるいは退役後、良心の呵責に耐えかねて酒や麻薬に逃げて不幸になったり自殺したりする人間は多い。映画の中にもこれまでたくさん描かれてきました。だから優作の行動も理解できます。優作たちが無事でいられるかどうかの緊張感あふれるストーリーがまず一つの見どころです。

一方、妻の聡子(蒼井優)は、幼なじみでいまは憲兵隊軍隊長の泰治(東出昌大)から優作が満洲から女を連れ帰ったと吹き込まれます。それまでは夫のかわいい妻でしかなかった聡子が、夫を疑いはじめます。「僕を信じないのか」という夫に対し「知らなければ何も信じることはできません」と返す妻。

優作は聡子を守りたいために秘密を知らせなかったのですが、結局聡子は探り続けてついにフィルムを見てしまいます。そこからの聡子の行動は早い。夫の協力者や従犯というよりは、むしろ主導権を奪いそうなほど積極的に計画に関わっていきます。この映画、聡子視点からすると完全に愛の物語なんですよね。聡子の原動力は夫の大望を叶えさせたいという愛だけ。夫がいちばん大事なので、夫の安全のためには甥を憲兵に売るほどに強かです。その残酷さも演じられるのは蒼井優なればこそ。彼女の演技は見どころ以上に必見というべきでしょう。

このところの黒沢監督作品では女性役が添え物かちょっとアホの子で、自我と知性を兼ね備えた女性はどこに?と思っていた。しかし本作でやっとしっかりした自己を持った知的な女性に出会えました。これは濱口竜介と野原位が脚本に参加しているからでしょう。2人は藝大大学院での黒沢監督の教え子でもあるんですよね。

最後のシーンまで本当に目が離せませんし、タイトルの元になっている台詞も含め、名台詞の連続。ホラーで有名な黒沢監督が戦時中の日本社会を不気味に描き出していますが、内容はクラシカルで美しいサスペンス映画です。是非劇場でご覧ください。

『スパイの妻<劇場版>』

(2020/日本/115分)

監督:黒沢清
出演:蒼井優、高橋一生、東出昌大、坂東龍汰
配給:ビターズ・エンド
10月16日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
©2020 NHK, NEP, Incline, C&I
公式サイト

『スパイの妻<劇場版>』だけじゃない! 11月のおすすめ映画。

GCCプチリニューアルでおまけ映画コーナーを同時期公開のおすすめ映画コーナーにしました。今月は芸術の秋ってことでいい作品だらけなので映画ファンは大変なことになりそう。なかでもとくにおすすめの作品を紹介します。

『オン・ザ・ロック』

ソフィア・コッポラの新作は、ウディ・アレンが女性になったら撮ってそうな女子にすごく都合がいいニューヨークでの恋物語。この場合恋の相手は夫なんですが…。きれいな楽しいもの見てのんびりしたいとき、マティーニ片手にご覧ください。公開中。

『本気のしるし』

星里もちる原作、深田晃司監督、森崎ウィン&土村芳主演の不思議な恋愛映画。同性が怒り心頭の女性主人公ですが、場当たり的に嘘をつく、信用できない子どものようなダメ人間が、それでも愛で成長するすごい物語。上映時間3時間52分。公開中。

『82年生まれ、キム・ジヨン』

韓国でフェミが進むきっかけになったベストセラー小説の映画化。原作の厳しさは和らげられ男女とも安心して見られるエンタメになってますが、それでも医師の家事の苦労知らずや同性からの母親差別など描くべきところはきっちり描いてます。公開中。

『ある画家の数奇な運命』

ナチスドイツの第二次世界大戦下で成長し、戦後は東独から西独へ亡命…政治に運命を翻弄されながら自分の表現方法を探し続けた現代美術家の半生を描く人間ドラマ。モデルになったゲルハルト・リヒターの協力で、制作過程を再現。美術ファン必見!公開中。

『パピチャ 未来へのランウェイ』

右傾化する90年代のアルジェリアで自分たちの好きなファッションを貫こうとする女の子たち。しかしガチ右翼が危険な存在となり…硬派だけど私たちにとって他人事じゃなくなってきたテーマ。彼女たちのかわいいファッションや髪型は是非チェックして。10月30日公開

PROFILE

遠藤 京子

東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿。

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