GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#83『あのこと』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回ご紹介するのは『あのこと』。原作は、今年ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノー。
もともとこの原作は日本では『嫉妬』というほかの作品の併録で刊行されたのですが、
いまは『嫉妬/事件』と併記されています。
併録にされるしかなかった『事件』もしくは『あのこと』とは…。
Text_Kyoko Endo
この際だからSRHRについてちゃんと知っておきたい。
『あのこと』の原作『事件』はアニー・エルノーが2000年に発表した、自らの中絶体験を元にした小説です。1963年、アングレームで寮生活を送る大学生のアンヌは生理が遅れているのに気づくのですが、当時のフランスでは中絶は犯罪で、本人も加担した医師も刑務所送りになってしまう…。アンヌの両親はカフェの経営者で労働者階級。幼いころから階級差に気づいていたアンヌが外の世界に出ていくにはどうしたって大学をドロップアウトするわけには行きません。
けれども、堕胎できるところは見つからず、時間はただ過ぎ去り胎児はどんどん大きくなっていく。相手の男はボルドーの大学に通う学生で遠恋。バカンス時期に再会するのですがまったく頼りにならないし「自分でなんとかしたかと思った」という虫の良さ。医師に相談してみるものの、騙されて流産防止剤を処方されてしまったりします。
心に浮かんださまざまな思考をそのまま再現したかのような1パラグラフごとの文章で綴られた原作には、自分がアンヌと同じ体験をしているかのような凄みがあります。映画は後ろ姿のアンヌをワンカットで追いかけるなどの演出で、そうした没入感を表現しています。
個人的なノートのような原作に対し、映画では友人たちの反応(「どうしたの?」と寄ってきといて、悩みを聞くと「巻き込まないで!」と逃げていく)を描きこむなどして世間の反応を巧みに入れこんでいます。妊娠した週がテロップに現れるのも、アンヌの体調の変化とともに、中絶のタイムリミットを告げていて緊迫感があります。
彼女がやっと中絶できるとしても、闇で請け負っている人しか見つからない。手術は麻酔なしの掻爬手術。それでも中絶できるだけラッキー。そんな極限的な経験が描かれています。しかもその後、アンヌは大変な状況に陥ってしまうのです。もはや半ばホラー。しかし女性の人権が認められていない社会の冷酷さを端的に表現すると、こういうホラーな世界になるわけですよ。
中絶って女性の人権に関係あるの?と思う方もいるかもしれませんね。はい、人権問題です。自分で自分の体をどうするか決められないとは、自分で自分の人生を決める権利が認められてないってことになります。1995年に国連で「性と生殖に関する健康と権利(Sexual and Reproductive Health and Rights)」が女性の基本的人権として認められることとなりました。頭文字からSRHRなどともいわれます。
しかしこのSRHRが全っ然知られていない…。それは中絶という言葉自体がタブーにされてしまっているからかもしれません。この映画が公開されるまで、この原作すら表題作として出版されることがなかった、このこと自体が、中絶を「あのこと」(仏語ではL’Evenement、英語ではHappening)としか言えない63年のフランスといまの日本が地続きだということを示しているのではないでしょうか。
日本の状況を見ると、中絶は世界比較で周回遅れに遅れまくっちゃっていることはご存知でしょうか。欧米では緊急避妊薬が主流なのに、日本はいまだに身体に負担をかける掻爬手術。中絶手術にパートナーの同意文書を求められるのも女性の自己決定権を無視しています。しかも堕胎罪というのがまだ残されているんですよ。
そもそも医療保険も使えず、手術代も高額。緊急避妊薬にしても、欧米では、いや映画で見るところではインドでだって薬局で当たり前に買えるようになっているのに、日本では薬局販売なし。無料で手に入る国もあるのに日本では八千円から1万円…。女性ばかりが大変な目に遭う、こうした風潮が保守政権の無策のためだったのかと思いきや、はっきりした思想もなくカルト宗教に操られまくった結果だとわかったのが←イマココ。
『17歳の瞳に映る世界』のときにも書きましたが、女性本人が100%納得いく状況で子どもを産めたらもちろんいい。私が言いたいのは、女性も人生を選べるのが当然だろうということなんです。『あのこと』でもアンヌが言っています。「いつか子どもはほしいけど人生と引き換えはいや。子どもを恨むかも」
経済力があって、子育てを一緒にできる人がいて、自分がやりたいことと家庭を両立できたら、そりゃ子どもがいる家はきっと楽しいでしょうよ。フランスやノルウェーなどは、経済支援と両立支援を両方やって少子化問題も解消しました。なんでそれを日本でやんないの?なんでできないの?と問いたい。
ちなみに、経済力があって、と書きましたが、経済力をつけるために出産年齢が高齢化するのも日本の特徴。さらに、日本ではどっかのカルトに妨害されて性教育ができていないので、知識不足が深刻で、多くの女性が経済力をつけようとして、結果、産みやすい年齢を逃してしまう。SRHR、ほんとに重要です。
『あのこと』は決して愉快ではないけれど、重要な作品。それはSRHRがない世界の悲惨さを教えてくれるから。カルト政権下で私たちの権利が危うくされ、女性を差別する女性が閣僚に居座ったままという状況のいま、しっかり見ておきたい映画です。
『あのこと』
(2021/フランス/100分)監督:オードレイ・ディヴァン
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ、サンドリーヌ・ボネール
配給:ギャガ
©︎ 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINÉMA – WILD BUNCH – SRAB FILMS
Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
公式サイト
『あのこと』だけじゃない! 12月のおすすめ映画。
ディズニーの新作はカルト映画になるかも…と書きかけてふと手が止まりました。んもー、どっかの教団のせいで、カルトって言葉もおちおち使えなくなったじゃん! こんな時勢なんで映画人の良識に心慰めてもらうしかないです。また傑作揃い月。
『MEN』
都会から地方に行った女性がよく出会う不快感をギュッと煮出したらこんな恐怖になるのでは…というホラー。女性アンドロイドにIT長者が殺される近未来SF『エクス・マキナ』を撮った監督が、それ以前から温めていた企画をA24で実現した傑作です。12月9日公開。『ザリガニの鳴くところ』
町外れの湿地に一人で住む少女が、町の人気者の青年の殺害容疑をかけられ…ベストセラー・ミステリの映画化。アメリカの自然が美しい作品ですが、これもまた、女子のSRHRが守られてさえいたらわりと全員幸せに暮らせてたんじゃないの?という物語かもです。公開中。『シスター 夏のわかれ道』
両親が亡くなり、年の離れた会ったこともない弟を引き取らされる事態に陥った看護師のアン・ラン。望まれなかった娘として体罰も受けてきたアン・ランは、待望の男の子としてわがままに育った弟を養子に出そうとするが…。中国全土に議論を巻き起こした感動作。公開中。『ケイコ、目を澄ませて』
ろう者のケイコは、プロとしてボクサーを続けるか迷っている。そんなときに、ジムの閉鎖が決まり…ケイコを演じる岸井ゆきのの演技は素晴らしいの一言。“聴こえる”とはどういうことかも感じさせられる、音声にもこだわり抜いた三宅唱監督の最新作。12月16日公開。『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』
女子が着たい女子の服、膝上丈とかじゃない本当のミニスカートを発明したデザイナーのドキュメンタリー。ヴィヴィアン・ウェストウッド、デイヴ・デイヴィス、ピート・タウンゼント、ポール・シムノンと出演者も豪華…UKカルチャーに興味がある人は是非。公開中。『ストレンジ・ワールド』
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兵役任務でパレスチナ人虐待をさせられたイスラエル兵士たち。それまで受けてきた教育とはまったく別のことをやらされ精神的にトラウマを負った彼らは、イスラエル人社会に向け占領を告発しますが…「加害に向き合う」すごい記録。これこそ必見です。12月9日まで公開中。『ブラック・アダム』
とにかくストレスが溜まっている、という方に是非お勧めしたい痛快娯楽作。ドウェイン・ジョンソン演じるアンチヒーローが、悪い警官を含めた悪人どもをバッタバッタ倒していきます。ポリコレは正義の味方に任せた潔さ、めっちゃスッキリしますよ! 公開中。PROFILE
遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
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