GIRLS’ CINEMA CLUB
上映映画をもっと知りたい! 語りたい倶楽部。
#84『イニシェリン島の精霊』
実際に見ておもしろかった映画しか紹介しないコラム。
今回ご紹介するのは『イニシェリン島の精霊』。
ゴールデングローブ賞コメディ部門作品賞・主演男優賞を獲得、
助演男優賞のブレンダン・グリーソンとバリー・コーガンのダブルノミネートで
アカデミー賞でも主要8部門で9ノミネートされています。
Text_Kyoko Endo
こうやってこじれていくの?
去年の2月のロシアのウクライナ侵攻で、世界中の誰もが戦争というものに否応なく向き合わされました。でも、もっと広く考えた場合、争いそのものってどうやって起こるんでしょうか? 本作はそんな疑問を掘り下げた傑作です。
アイルランドの架空の島、イニシェリン島で、妹とロバとのんびり暮らしているパードリック(コリン・ファレル)の毎日の楽しみは、親友のコルム(ブレンダン・グリーソン)と地元のパブでビールを飲みながらのんびり語り合うこと。その日課さえ守られれば幸せだったパードリックですが、ある日突然コルムに絶交宣言されます。
パードリックにはまったく絶交される心当たりがなく、酔っぱらって覚えてないけどなんか怒らせるようなこと言ったかと、よせばいいのにわざわざ理由を聞きに行く。「もうお前のことが好きじゃなくなった」「昨日は俺のこと好きだっただろ?」ってなんか恋愛みたいなんですが。コルムはフィドルの名手で、音楽のために時間を割きたかっただけなのですが、追いすがるパードリックにそう言わない。確かに彼氏だったら別れるのめんどくさそうなパードリックではあるのですが、コルムもコルムでパードリックをかなりなめてたんです。
「俺は今朝この曲を書いた。お前の無駄話に付き合ってたら書けなかった曲だ」とコルムが言う曲のタイトルが「The Banshees of Inisherin(イニシェリン島の精霊)」。バンシーって精霊というか妖怪的なやつで、一族の誰かが死ぬ前にそれを知らせるために出てきて泣く女性の妖精だそうです。不吉…。
その後、噂好きな村人や島にやってくる神父の言動のせいもあって、ふたりの仲はどんどんこじれていき、コルムが「今度邪魔しやがったら俺の指を切るからな!」と爆発。本当にやっちゃったから、最初はコメディだったふたりの喧嘩が笑い事では済まない事態に。コルムのフィドルは娯楽の少ない村人にとっても大事なので指がなくなるのは大ごと。ふたりの喧嘩がふたりだけの問題ではなくなってしまいます。
さらに事態はエスカレートして、純真だったパードリックも別の友だちのドミニク(バリー・コーガン)がどん引くほど闇堕ちしていきます。このドミニクも相当ぶっ飛んでて友だちがいない青年なんですけど。
舞台は1923年の4月、イギリスとの独立戦争が1921年に終わったものの、そのイギリスとの講和条約を不服とした条約反対派と、共和国への足がかりとしてとりあえず条約締結しようよという条約賛成派が戦うことになったアイルランド内戦が背景に描かれています。パードリックにとっては「せいぜい頑張れ 何の戦いか知らんが」という感じ。でもおんなじことをアンタもやることになるんだよ、とツッコミたい。
この見事な映画を撮ったのはマーティン・マクドナー。前作『スリー・ビルボード』を見てマークしていたという人も多いはず。前作では2018年の第90回アカデミー賞で6部門7ノミネート、フランシス・マクドーマンドが主演女優賞、サム・ロックウェルが助演男優賞を獲りました。
でも演劇ファンはもっと以前から注目していたかも。マクドナーは96年に劇作家として『ビューティ・クイーン・オブ・リナーン』(リーナンとも。日本で上演した劇団によって違うの)でデビュー。アイルランドの田舎町を舞台にした、寝たきりの母親の面倒を見るので家から出ていけない娘と、娘を支配しようとする母親の泥沼惨劇です。日本ではパルコ劇場で03年と06年の2回公演された『ウィー・トーマス』(原題はThe Lieutenant of Inishmore)はIRAにも入れてもらえないほど凶暴な青年をめぐるほとんどリンチ殺人みたいな惨劇でした。マクドナーの芝居では登場人物が凄惨な暴力にさらされる。そしてどの芝居にも起こっていることがヒドすぎて笑ってしまうような場面があるんです。独特な辛辣なユーモアが特徴です。
『イニシェリン島の精霊』は暴力は(これでも)抑えめ。ほとんどアイルランドを舞台にした演劇を発表してきたマクドナーの、アイルランド回帰作でもあるんです。マクドナーはロンドン生まれなので国籍はイギリスですが、ご両親がアイルランド出身。インタビューで自分のことを「イギリス人だと思っていない」「ロンドン・アイリッシュだと思っている」と答えているほどアイルランドにこだわりがあるんです。
パードリックの妹とは思えないほど頭が良くて、むしろその頭の良さで島から浮いてるシボーン(ケリー・コンドン)など、古いコミュニティでの女性の苦労も描かれていて、会話がいちいち秀逸で笑えます。その笑いから、気がつくと1秒も目が離せないほど緊迫感が増していく。
この作品、いろいろな解釈がありますが、争い・紛争・戦争というものがどのように拡大していくかをミニマルに描いていると思います。
もちろん、戦争なんか一切気にせず、ただ見るだけでもこの映画はおもしろいですし、自分自身に何かあったときの理解のヒントになるかもしれません。
『イニシェリン島の精霊』
(2022/イギリス/114分)監督:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©︎2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
TOHOシネマズ シャンテほか 全国ロードショー
公式サイト
『イニシェリン島の精霊』だけじゃない! 1、2月のおすすめ映画。
ゴールデングローブ賞の結果が発表になり、この原稿がアップされるころにはアカデミー賞ノミネートも発表されているはず。盛り上がる季節になってきましたが、賞に絡んでいなくても見逃せない良作もまだまだあるんです。
『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』
世界的な#Me Tooムーブメントのきっかけとなったハーヴェイ・ワインスタインのレイプ事件の顛末がもう映画化されました。キャリー・マリガンとゾーイ・カザンがNYタイムズ記者を演じ、女性の人権だけじゃなく調査報道メディアの大切さも描いている力作。公開中『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
大作曲家すぎて敷居が高かったエンニオ・モリコーネ。しかしこの映画を見たらガラリと印象が変わりました。実験的作品をつくる現代音楽家がマカロニ・ウエスタンになくてはならない人となる過程、パゾリーニやタランティーノと仕事についてのご本人による話はワクワクの連続です。公開中『母の聖戦』
娘を誘拐されたシエロは別居中の夫や警察が頼りにならない中、軍に接触して自らも捜索に関わっていくが…。出てくる男が全員ろくでなしで、強くなっていくシエロの変貌を喜べないのです。邦題がアレですが、2021年東京国際映画祭で審査員賞を受賞したパワフルな傑作。公開中。『対峙』
息子を学校銃撃事件で亡くした夫妻と、その銃撃事件の犯人を息子にもつ夫妻が、あえて出会い、話し合う。これは争いが起こった後、どのように人を許し、癒やされていくかを描く物語。室内の会話劇ですが、パワフルな作品です。2月10日公開。『小さき麦の花』
障害があって家族に厄介者扱いされていたクイインは農夫のヨウティエに嫁ぐことになる。貧しいヨウティエだが思いやりがありクイインは幸せになっていくが…。中国の農村に暮らす二人がどんどんチャーミングに見えてくるのです。中国では問題作扱いされた傑作。2月10日公開。『コンパートメント No.6』
モスクワに留学中のラウラは恋人が来られなくなった一人旅で、地元ロシアの青年リョーハに出逢います。労働者のリョーハに打ち解けないラウラでしたが…。バックグラウンドがまったく違うふたりがだんだん理解しあっていく様子を軽妙に描き、カンヌ映画祭でグランプリ受賞。2月10日公開『すべてうまくいきますように』
フランソワ・オゾン監督の新作。エマニュエル(ソフィー・マルソー)の父は美術商。好き勝手に暮らしていた父が脳卒中で倒れ、安楽死させてくれと言ってくる。このお父さんの奔放なキャラのせいか、お金持ちの安楽死の話のせいかまったく悲壮感がないです。新たな視点が得られるドラマ。2月3日公開『パーフェクト・ドライバー』
『パラサイト』でジェシカを演じたパク・ソダムが何でも配達する凄腕ドライバーを演じるカーアクション。脱北者の闇ドライバーが運ぶことになったのは悪徳警官の裏の顔の証拠を持っている男の子――子役もやたらかわいく、演技もアクションも素晴らしい快作です。公開中『そして僕は途方に暮れる』
挑戦的な作品を次々発表してきた演劇出身、三浦大輔監督の新作。藤ヶ谷太輔くんが困りごとから逃げ続けた挙句、逃げられる人も場所も失っていく…人が走る姿ってどんな映画でもかっこいいのに、ここでは史上最高に情けないランニングシーンが見られます。かなり教訓的かも。公開中。『金の国水の国』
「このマンガがすごい!」オンナ編史上初2連覇の岩本ナオ原作コミックのアニメ化。原作に惚れ込んだスタッフがディテールにこだわってつくった美しい戦争回避ファンタジー。だけど、ファンタジーが理想を語ってくれなければ、何が理想を語ってくれるというのでしょうか。公開中。『目の見えない白鳥さん、アートを見に行く』
タイトルを聞いて「触れるアートってこと?」と思った人は大きく予想を外されます。晴眼者にとっては「こんなやり方もあったのか!」という驚きの鑑賞法や白鳥さん自身の佇まいに脳の視野を拡張されるドキュメンタリー。2月16日からチュプキ・タバタ。その後も都内2映画館で公開。 公開中。PROFILE
遠藤 京子
東京都出身。出版社を退社後、映画ライターに。『EYESCREAM』『RiCE』、『BANGER!!!』に寄稿。
Instagram @ cinema_with_kyoko
Twitter @ cinemawithkyoko