彼女のダンステリア NTsKi / ミュージシャン
彼女のダンステリア
NTsKi / ミュージシャン
見たい、聴きたい、感じたい。感情に従い経験してきたことを音楽へ。
2020.07.17
“ガールとカルチャーがドッキング⁉︎”
これは私たちのアンセム、シンディ・ローパーの日本盤LPレコードの帯にあったキャッチコピーから。
一見むちゃくちゃに読み取れるけど、でもだんだん愛着湧いてきました。
男子に負けず刺激的なクリエイションを提示する人たち。
編集部員が心からファンになったアーティストと向き合い、
彼女たちが何を思い、何のためにクリエイティブでいるのかしっかりと聞いてきました。
NTsKi(読み:エヌ・ティー・エス・ケー・アイ)、ミュージシャン。2017年活動スタート。ふんわり浮遊感あるヴォーカル、そこにゴシック、レイヴ、そしてヒップホップのトラップをミックス。加えてエルフっぽい妖艶な見た目ときたら、もうジャンルひとつで語りきれない存在ですよね。自身の楽曲以外にも田我流の『Ride On Time』、シン・セハの『1000』に参加し、国内外のミュージシャンやアーティストのフックアップも多く、同世代から注目を集める。
Instagram @ntski
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- ーミュージシャンにこれを言うのはうれしくないかもしれないけど、NTsKiを最初に知ったときは、歌を聴く前にまずヴィジュアルの世界観と本人の引き込まれるようなオーラに食らっちゃって。いざ曲も聴いたらめちゃくちゃ音もかっこいいからそれでもう大好きになりました…。今日は遥々会いに京都の山奥まで来たので根掘り葉掘り聞かせてください。
- こんな遠いところまでようこそ。
- ー『Heaven』や『H S K』のMVはこの辺で撮影したのかな?すぐわかりました。
- はい。すべてこの辺りで撮影しました。
- ーそんなところで、まずはミュージシャンであるNTsKiを知るためにどんな音楽原体験があったのか教えてください。
- いまでもよく覚えているのですが、中学生のときに仲良かった友達と「HMV」に行って、オアシスとセックス・ピストルズのCDを2人で手に取り、私はオアシスの『 (What’s the Story) Morning Glory?』を、友達は『Never Mind The Bollocks』を買っていました。それを交換してどちらも聴いてみたところ、私はオアシスよりもセックス・ピストルズの方が好きだったんです。そのままパンクっぽいファッションをしたり、ゴスにハマったりして…。オアシスも何回も聴いているうちに好きになって結局は二転三転とするのですが(笑)。
- ー学生時代にゴスにハマっていた時期があったのですね! 周りにギャルはとかはいなかったんですか?
- 小学校は兵庫県だったんですが、そのときは私もギャルでした。ギャルが流行っていたし、当たり前のようにミニスカートとルーズソックスで学校に行っていました。でも音楽を聴くようになってからはギャルじゃなくなりましたね(笑)。
- ーすでに音楽に夢中になっていた高校生時代、周りにはどんな友達がいましたか?
- 数人ですが音楽やファッションの話を一緒にできる子たちがいて、その子たちとはいまでも友達なんです。話し合って一緒に東京に住もうと決めたわけでもないのに、卒業後にみんな東京に引っ越していて。仕事もミュージシャンだったり、ライターだったりと、近い業界のなかで働いて不思議だなと思います。
- ーNTsKiが東京に出てきたのは、もっとライブやイベントに行きたいからですか?
- はい。都会と田舎とを分断して話すつもりはないですが、中学生で京都の田舎に引っ越すまでは都会に住んでいたので、ライブハウスに通うようになってきたら、大阪市内や京都市内に出るのがこんなに遠いんだと頭を抱えていました。でも遠いからって諦めずに、行きたいイベントやパーティにはどんな手を使ってでも行っていましたね。そんな気持ちで16歳のときにひとりで「三宿WEB」のパーティに行ったんですが、その空間が最高で…。みんなゴスの格好をして、会場で流れていたザ・ホラーズを聴いて楽しそうに踊っていた光景。ああやってバチバチにカッコつけてる人こそカッコいいなと思って、私もゴスの格好をするようになったんです。このときにできた友人から広がって、東京の友達が増えてきたので漠然と住みたいと思うようにもなりました。
- ー京都の山奥からパーティやライブに行きたくて実際に東京まで遊びに行くことってタフですし、それでも通っていた原動力って何になりますか? また学校には好きなものをシェアできる友人が数人はいたと言ってましたが、とはいえそこまで夢中になっていた人もきっといなかったはず…。その周囲との違いは気になりました?
- 物理的に苦労しましたが、その大変さ以上にただそのライブを目の前で見たい、直接聴きたいという気持ちの方が大きかっただけで。とくに何か反骨精神や原動力があったとかではないし、周りとの違いは関係なかったです。ただ学校以外の人と関わっていくことによって学校にだんだんと馴染めなくなっていったのもありますね。周囲が自然と持っていたジェンダーについての固定概念についていけなかったし、戸惑ったというのもあるんでしょうか。
- ー具体的にジェンダーの固定概念を感じた瞬間は?
- そもそも他の子と比べて自分のセクシャリティや性への興味を持つことが遅かったことも関わっている気がしていますが…。当時私は自分のことを特別女の子らしいと思わなかったので、学校以外ではいつもズボンを履いていたし、男の子とばかり遊んでいました。周りの女の子は迷いなくクラスの男の子に恋をしていたし、男の子も迷いなく女の子の話をしていた。私は周りから「男っぽい」と言われるタイプだったし、それが友情なのか、恋愛感情だったのかさえもわからないまま、いちばん仲良い女の子の友達がいちばん好きだったので、自分が恋愛する相手がパッと男の子なんだろうと思わなかったんですよね。でもその居心地の悪さみたいなものは、ライブハウスやパーティでは感じることがなくて。とくにライブを見ている瞬間は興奮と愛に包まれるようなそんな気持ちに何度もなった。強がりとかではなくて、本当に恋人なんていらないと思っていたし、ずっとこのなかで生きていたいと思っていました。
- ー『H S K』の歌詞で、「If she was a boy」「I knew what to do if I could wear that to school」とありますが、これは自身の体験に基づいていたんですね。
- そうですね。歌詞では「She」と言っていますが、「もし私が男だったらどうなっていただろう」「もし私が学校にズボンを履いていくことが出来たならどうなっていただろう」という気持ちでその部分にメンションしました。
- ところでガールフイナムのメインテーマってシンディ・ローパーの『Girls Just Want to Have Fun』ですよね? 私、サイン持ってますよ。16、17歳くらいのときはシンディやマドンナの初期が好きで、ストロベリー・スウィッチブレイドとか80年代のゴスをマネしてました。
- ジョニー・ロットンや〈セディショナリーズ(SEDITIONARIES)〉とかそっちは?
- もちろん好きだし憧れていたけどどうやって手に入れたらいいのかもわからなかったですね。古着屋を巡ったりはしましたが、原宿の感じもリアルタイムじゃなかったし…。ヴィンテージのTシャツを着たくて、わざと自分で破いて燃やしたり、ワインをかけて汚したりとかしてました(笑)。
- ーそもそもいつからミュージシャンになろうと思っていましたか?
- 小さい頃の夢は歌手だったので、物心つく前からなのかな…。小学生のときに聖歌隊にも入っていて、歌うことはずっと身近にありました。
- ーでもその後は写真の専門学校に通っていたと聞いたのですが、写真家になろうとしていたのでしょうか? で、いま再びミュージシャンとして活動していますがその理由は?
- この話をすると、写真を辞めてミュージシャンに転向したと捉えられるのですが、例えばアートワークは自分で作っているし、MVのライティング、エディット、ディレクションも写真の勉強をしていたからこそできているんだと思います。専門学校にいた頃の作品もセルフポートレートが多かったので、客観視した「自分」を題材にして作品を作っていました。これがいまの「自分」を使ってディレクションして音楽を発表するということと感覚的には大差がないのかなと思うときもあります。
- ーMVのライティングまでNTsKi自身でディレクションしていたんですね!
- はい。ロンドンのプロデューサー、プロスパー・アンガー・ハミルトンと一緒に『Fig』『Heaven』のビデオの制作をしたのですが、彼は撮影前に秒数ごとのショットリストや、CGのチェックリストをかなり細かく書き出すので、『1992』のショットリストを自分で作るときには彼のやり方がかなり参考になりました。そのおかげで撮影をしてくれた吉川周作くんとの意思疎通もとりやすかったです。ちなみにTohjiが『Fig』のMVを気に入ってくれて、彼のプレイリストに入れてくれました。
- ーほう。一瞬脱線しますが、NTsKiからみてTohjiはどう見える?
- Tohjiのライブ好きなんですよね。グッとくるものがあります。2018年10月に「代官山UNIT」で〈ダイリク(DAIRIKU)〉と〈シュガーヒル(SUGARHILL)〉のアフターパーティがあって、それにふたりとも出演して初めて彼と出会いました。翌年3月には彼が主催するパーティ「Platina Ade」にも呼んでもらったり…。
- ーマンチェスターにいたときの話も聞かせてください。別のインタビューでフラットメイトがエジプシャン・ヒップホップだったと読みました…!
- ややこしいのですが、私はエジプシャン・ヒップホップのパーカッションとフラットメイトで、ギターが当時コナン・モカシンと住んでいたんです。そのつながりでコナン・モカシンのMVに出たり、アルバムに参加したり、オルダスRH(エジプシャン・ヒップホップフロントマンのソロ・プロジェクト)でシンセを弾いたり、コーラスをやったりしました。
- ーすでにマンチェスター時代に周りの人にミュージシャンがいて、彼らのギグやイベント、MVなどに関わることでパフォーマンス経験があったということですね。そこから帰国してNTsKiとして活動スタート。「ミュージシャンとして影響を受けたアーティストはいますか?」と聞かれると思うんですが、そもそもミュージシャンになることが必ずミュージシャンから影響されているとは限らないですもんね。
- そうですね。もちろん影響を受けたアーティストは数え切れないほどいますが、私がミュージシャンとして影響を受けているのは、私がすごしてきた環境や出会ってきた人たち、そしていま私の目の前にいる人たちからなのだと思います。
- ーそれはすごく納得できました。NTsKiにとって曲を作ることってどんなことなんでしょうか?
- 曲作りをすることがある意味でセラピーじゃないですが、救われるような感覚はいつもあります。あと単純に曲を作るのも、歌うのも、楽器を弾くのも楽しいです。
- ー救われるという気持ちを原動力に曲づくりをしているなら、完成したときの心の持ちようはどうなります?
- 完成したときの達成感はもちろんありますが、しんどさは変わりませんね。
- ー誰かのために作ってるわけじゃなく、苦しい気持ちから作り出したとしても、それが結果的に誰かには刺さってるのってなんでだろうと思うんですよね。
- 私は自分のために曲を作りますが、自分のことについて歌っているわけではありません。あまり私の内情を説明しすぎると、曲の持つ意味や受け取り方を限定してしまうことになってしまう。冒頭で「ミュージシャンにこれを言うのはうれしくないかもしれないけど、歌を聴く前にまずヴィジュアルから入った…」ということを言ってましたが、それでも全然いいですし。もちろん私の音楽は聴いてほしいですが、基本的には私が作るものは自由に解釈してもらいたいです。
- ーアイデアはパッと浮かんでくる? それとも何日かかけてじっくり考える?
- パッと浮かぶ方ですね。アイデアが浮かんでもあまり人に話したりはしないようにしています。内緒にしているわけではないのですが、それもアウトプットになってしまうので実行する前に満足してしまうじゃないですか。そうやってやりたいと思ったことはすぐに行動に移すので、周りからは突発的な行動に見えるんでしょうか。自己分析なんですが「協調性がない」とよく言われるのはこれが原因なのかな(笑)。
- ー最後に、今後やりたいことは?
- アルバムを出したいです。
- ー素敵ですね。
- 全部を取っ払って、最終的にやりたいことを聞かれたら、私はただ歌が歌いたいのかもしれません。毎日鼻歌を歌うだけでもいいんです、それが気持ち良いから。歌ってるときがいちばん。
自分のことは自分で紹介! NTsKiについてのライナーノーツ。
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