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DAOKO / ミュージシャン
彼女のダンステリア DAOKO / ミュージシャン 辿り着くべきは風通しのよいものづくり。

彼女のダンステリア
DAOKO / ミュージシャン
辿り着くべきは風通しのよいものづくり。

2020.10.26

“ガールとカルチャーがドッキング⁉︎”
これは私たちのアンセム、シンディ・ローパーの日本盤LPレコードの帯にあったキャッチコピーから。
一見むちゃくちゃに読み取れるけど、でもだんだん愛着が湧いてきました。
男子に負けず刺激的なクリエイションを提示する人たち。
編集部員が心からファンになったアーティストと向き合い、
彼女たちが何を思い、何のためにクリエイティブでいるのかについてしっかりと聞いてきました。

Text_Hiroaki Nagahata

DAOKO、ミュージシャン。15歳でニコニコ動画で作品をアップし活動スタート。映画「渇き。」では挿入歌に抜擢され、庵野秀明率いるスタジオカラーの短編映像シリーズ『ME!ME!ME!』の音楽に参加し世界中から注目を集める存在に。2015年に女子高生にしてメジャーデビューを果たす。自身で個人事務所を立ち上げプロデュースし、小袋成彬やスチャダラパーを招いて制作したフルアルバム『anima』の仕上がりは上々!

Instagram @daoko_official

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ーまずは、DAOKOさんの新譜聴きました。最高です!
ありがとうございます! よろしくお願いします。
ーでは今年6月に開催された「ドミューン(DOMMUNE)」の配信ライブの話から始めましょうか。かつてニコニコ動画にラップを投稿したことから音楽の道に入られたDAOKOさんからすると、ホーム=インターネット空間という印象もあって、そういう意味では例えばライブハウス出身のバンドとかよりは馴染みがあるかなと。実際の手応えはいかがでしたか?
うーん、もちろん動画を投稿したりはしていたんですけど、そもそも“無観客の配信ライブ”というものは一回もやったことがなかったので、未知の領域でした。向き不向きもやってみないとわからないので。実際にやってみたら、いつもと変わらない熱量でやれたんですよね。ただ、自分の気持ちはクリアしても配信ライブ自体が飽和状態になってしまうような気がしていてその上で差別化も考えなければならないこともふまえ、最適なペースは半年に一回くらいかな、と思っています。

家での作業環境はiMacとオーディオインターフェースとコンデンサーマイク。声録音するときはまだGarageBand使ってます。
10年も使ってるから慣れていて相棒化している。デモ音源まではここで作ります。トラック制作はAbleton Liveを使ってます。

ーオーディエンスとして、チケットを買って配信ライブを観たことってあります?
山下達郎さんの配信チケットを買いました。貴重な映像でしたし”希少性”はやはり魅力ですよね……一方で、ライブをやらないと音楽作りの源泉が湧いてこないタイプのアーティストもいると思うんですよ。そういう、自分のためにライブをやるっていう視点もありますよね。でも私の場合は、コロナと“共存”するフェーズに入ってきたなかで、もう少し状況が落ち着くまで待っていようかな、という感じですね。静観のイメージです。
ーたしかに、リアルなハコであれば一年の開催公演数にも限りがありますが、インターネット空間には制限がなくて、いくらでもステージと席が設けられる状態ですもんね。
そうですね。それに、ステージに関しても、自分に合った見せ方を考える必要がありますよね。ライブハウスでは“生”で意思疎通ができるので距離も縮まりやすいですが、電波のなかでも感動しあいたいと思うと、いまは視覚情報がいちばん大事なのかなと。音もこだわろうと思えばこだわれるんですけど、結局はお客さんの視聴環境に左右されちゃうし。ライブの醍醐味って、「でっかい音で踊る」みたいな体感じゃないですか。
ーこの前の「ドミューン」だと、最新アルバム『anima』(「魂」という意味合い)の世界観を拡張してみせるVRを取り入れていましたよね。
私はアーティストに、その人しかないオリジナリティを求めているので。配信だからこそできることはある。本当は映像をライブ用に作り込むとか、普段のコーネリアスのライブ演出みたいな素晴らしい視覚的感動を与えることがみたいできれば最高ですよね。みんな新しいものは好きじゃないですか。新鮮なもの。コロナ禍に突入してしばらくは配信ライブそれ自体が新鮮だったんですけど、いまは生のライブをやり始めた人もいるなかで、「配信ライブやります」だけじゃトピックとして弱い気がしていて。
ーリアルをインターネットに持ち込む、いまはそれ以上のことが求められているのかもしれません。インターネットの特性を改めて深く理解する必要があるといいますか。
インターネット自体もSNSの登場以降、雰囲気がまったく変わりましたよね。ツイッターも初期はギークな雰囲気があったんですが、いまは社会とかメディアが参入してきて、私も主に宣伝ツールとして使っている。一方で、インスタグラムはまたそれとも違う特性があるので、自分の写真とか描いた絵をアップするようにしていて。フォロワーの内訳もぜんぜん違うんですよ。ツイッターは大半が日本人なんですが、インスタグラムは半分以上が海外の方です。
ー以前インタビューさせてもらった際に、ツイッターでの振る舞いを意識している、という話がありましたよね。
うん、いまの立場上、思ったことをその場でつぶやくのもちょっと違うし、そもそもつぶやくことがないというか。全部を作品として見せたい。
ーつぶやくことがない、というのは?
私が尊敬するアーティストの方々に一貫している魅力として、私生活が垣間見えすぎない、ミステリアスとも言える“偶像性”を感じられる方が多くて。ライブで会って、「本当にいらっしゃったんですね…!」と毎回感動したい。ステージの上に立っているという状態は、位置的な意味でも見上げることが多かったりするし、光に照らされ素晴らしい音楽を奏でてくれるアーティストをその場で崇める感覚もありますね。誰でもリプライできて距離が別け隔てないことがSNSの良さだったりもしますが、自分のことを本当に想ってくれているファンの皆さんのことを大切にしたいという意味でも、私生活は見せ過ぎないほうが、お互い幸せなんじゃないかなと思っています。

日本巫女史ー民俗学の金字塔を読むダヲコ氏。

ーSNSでは素を隠している分、最近感じたことや作品制作の裏側などはブログでけっこう細かく書かれていますよね。
ブログでは文章を書く練習をしているんですよね。小説(『ワンルーム・シーサイド・ステップ』)を書いたときにすごく楽しかったので、また何か書くときのために。人に見られている緊張感のなかで定期的に書く、ということが大事な気がしています。
ーそういえばブログで、『anima』っていうアルバムタイトルからデザインに展開する話がおもしろかったです。
私は東京生まれで、ずっと渋谷を拠点として活動してきたんですが、あるとき旅に出て自然と触れ合ったら、ただただ田んぼが並んでいる景色に癒されたんですよね。それってデザインされていないものじゃないですか。人の思惑が何もなく、情報量が少ない。そこでたまたまリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』っていう本を読んだら、「蝶々を美しいと思うのは、ありのままの姿を受け取り手がデザインされていると思い込んでいる(=デザイノイド)から」という趣旨のことが書いてあって、「私もこれが良い!」って(笑)。曲づくりにおいても、デザイナー的な作業とアーティスト的な作業があって、大衆に向けていくときには“デザイン”する必要があるんですが、自分自身がそれに向いていなかったなと。いまはありのままっていうか、自分のなかから自然に出てきたことを誰かに知ってほしいなと思っています。

寝室の本棚から本が溢れてきたので簡易本棚を居間に設置しましたの図。
蝶の標本は益子のむしやさんで集めている模様。ギタースタンドがチラリ。

ーDAOKOさんは音楽のジャンルも限定しないし、絵も描くし写真も撮るし文章も書くし、そもそもアーティストとして情報量が多いじゃないですか。「すでにハイコンテクストな自分をどうピュアに差し出すか」という話でもあるのかなと思いました。
わかります。『anima』は、原点回帰っていうわけではないんですが、初期衝動を大事にしたアルバムなんですよ。単純に、いまはクライアントワークが少ないので、自分自身ものびのびとしていますし。音楽という表現はずっと大好きだから……過剰にデザインされたものって、自分じゃなくてもできる気がしちゃうんですよ。それって精神的にも健全じゃないですよね。
ーいやー、それはバッドですよ。
とくにいまは、小惑星のぶつかり合い、みたいなおもしろさがあると思っていて。もはやビッグバンを期待する時代ではないのかなっていう。私の周りでも各々が”好き”でやっている感じがすごく良いんですよね。結果的にエポックメイキングなものを作る必要はあるんですけど、それって制作したものに対して見せ方をデザインすることであって、最初から「ヒットさせるぞ!」って狙って作ることとは違う。
ー小惑星のぶつかり合い、っていうのはまさに言い得て妙です。オーディエンスとしては情報をフォローするのが大変なんですけど、同時多発的に幸福な邂逅が起きていると考えると、ものすごくポジティブな時代だなと。去年6月にDAOKOさんが個人事務所「てふてふ」を立ち上げたのも必然のように感じられますね。
ただただ時代の変わり目なのかなって。もちろん、私が独立できたのはメジャー時代に関わってくださった方々のおかげでもあります。こういう事務所とかレーベルの話って、すごく生々しい、クリエイティブとは遠いところにある話。ファンの方はそんなこと気にせず、作品を楽しんでほしい。契約したのは己なんですから……とはいえ、メジャーに入って大変そうなアーティストも多いのも事実で。アーティストってやっぱり繊細な人が多いんだけど、音楽を作り続けるためにはビジネスの感覚を持っていなきゃいけない。だから、その面で支えてくれる優秀なブレーンが必要ですよね。アーティスト本人が音楽に関する権利や法律を勉強する機会もないですし。今回独立にあたって権利関係の本に目を通したり専門家にご教授頂いたりしたのですが、「なんでいままで知らなかったんだろうか…」と思いました。無知を恥じたし、いまの音楽業界の現状がすごく達観して見えるようになりました。そういうの、音楽の専門家が説明してくれるユーチューブがあればいいのにな。
ー独立されてから生活リズムは変わりました?
単純に創作にあてられる時間は増えました。自分のサイクルに合ったスケジュールを立てられるのは、心身の健やかさにつながるなと。仕事の悩みはグンと減りましたね。メジャー時代には睡眠時間が短い時期もあったし、「何かはやっている、でもこれは何だろう? 」って疑問に感じることもあって。そもそも寝ていないから頭が働かないっていう(笑)。当たり前に心身健全いちばんですから。いまは、「今日は休んで旅に出ます」っていうのもできるようになりました。自分で締め切りを決めるのは大変なんですけど。
ーそのなかで、インプットとアウトプットの時間は明確に分けるタイプですか?
最近、自分は多動気味なんだっていうことに気付きまして(笑)。今日は何もしていないからとりあえず絵を描こう、みたいな。とりあえず毎日あがきたいっていう性格なんです。「さすがにちょっと落ち着こう」っていう日もあるんですけど。何か生み出していないとソワソワしてしまう。
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ーそれだと常にアウトプットしている印象ですが、作品のモチーフはどこで集めているんですか?
モチーフ集めか……うーん、どこでやってるんだろう。ふと、イメージ対象が頭に浮かんでくるようなことが多いですが、いまの話でいえば、絵に意識が向かっているので、美術館に足を運んだり、画集を見返したりしていますね。私は幼稚園の頃から絵を描いていて、親もデザイナーで、お姉ちゃんもゲームデザインの仕事に就いていたりするので、絵はずっと身近にあったものなんです。

絵を描くときの主な道具達。透明水彩絵の具とアクリル絵の具、そしてパステル。水彩ペンやコピックも。
イラストを描く紙質とイメージに合わせて画材は変えます。

ーDAOKOさんの絵ってすごく描き込みが細かいですよね。
高校で美術の学校に通って、そこで点描と出会ったんです。最初は油絵を専攻していたんですが、せっかちな性格なので、絵具が乾くのを待ったりすることがあんまり向いていなかった。絵もいろいろやりたいなと思っているんですけど、いまは自分が楽しくて作品としても担保されるアプローチを探しているところですね。油絵もまたやりたいです。
ー最近はMVの絵コンテもご自身で描かれていて。『anima』収録曲のMVはどれも音楽と映像の相性がバッチリで、これを読んでいる方々にはぜひ観てもらいたいなと。
絵コンテを描いたのは「御伽の街」が最初ですね。私の場合、曲を作るときに映像も同時に頭に浮かんでいるので、それを絵コンテにおこして、すると「脳内を可視化されてるー!」って(笑)。子供の頃から曲を聴きながら勝手に MVを作っていましたよ。MVの撮影って、広告の撮影もそうだと思うのですが、どこも「現場が大変」ですね。「27時間撮影?!!!」みたいな(笑)。良いものを作るのは勿論その分向き合うために時間をかけられるだけかけたいから長時間撮影になるのは仕方がないのですが、作ることに携わるスタッフが全員健やかな状態で進めていきたいなと思っています。本当は撮影終わったら「皆でスーパー銭湯でも行きまっか!」みたいにしたい(笑)。風通しの良い現場から良いクリエイティヴが生まれることを知っているので。いまも大変は大変なんですけど、自分が監督だし、一緒に作っているクリエイターも家族みたいな間柄なので気が楽。体力は使うけれど総じて楽しいんです。実際に絵が可視化される喜びはあって健康的だし、これをやり続けたら新しい境地にもたどり着く、っていう手応えもあります。
ーそういった制作環境も変化も作用しつつ、さらにSNSで素を見せていないこともあって、『anima』という作品にはこれまで以上に生のDAOKOが表現されている気がしました。さっきチラッとお話に出たアルバムタイトルの話もここで掘り下げてみたいです。
デザイノイドの話にも通じるんですけど、なんで自然に感動するかっていうと、八百万神(古来、日本人は、自然界や商売、学問、縁結びまで、あらゆるところに紙を感じ祀るようになった)の話になっていくんですよね。私が田舎の田圃道で夕陽を美しいと思ったその感動を、昔の人は“神”って表現したんだろうなって。それを自分はいま、ありありと感じている。同時に、長崎で迫害されたキリスト教徒の映画『沈黙』を観たときに、「なぜ崇拝対象が男性なんだろう?」って。そういえば仏陀も男ですよね。そこで、女性を崇めている宗教ってないのかなって探してみると、(太陽の神といわれる)天照大神がそうだった。私は毎朝太陽に救われるなと思っているんですが、ああ、女性なんだって。なんだろう、信仰というより単純にそのコンセプトに共感していて。天照大神の存在は古事記の中で知ったんですが、あの本自体が初期衝動に溢れていてクリエイティブなんです。光と祈りは共通していて、私が作品を作るのも祈りの行為……私、この期間中にだいぶ新しいフェーズを見出しましたね(笑)。
ーあの作品はだいぶスピリチュアルですよ(笑)。
アーティストはみんなそれぞれ現代の巫女なんだなと。そういえば、「おちゃらけたよ」のMVでは、白メインで所々赤が滲んでいるビジュアルを考えたんですけど、あれもいま見返すと巫女ですよね。あと、ユーチューブで「これはコロナの閉鎖病棟だ!」っていう英語のコメントがついたりもして、あの曲は一年前に作っていた曲だったので、私自身驚きました。精神が蝕みが伝染していくインターネットに漂う目に見えない黒い靄のようなイメージで「疫病」って表現していたんですけど、たまたま実際にコロナ禍が起きてしまった。本当に偶然だとも言えるし、でも天命を感じるきっかけにもなりました。以前読んでいた(まだ読みかけ)巫女の民俗学の文献がすごくおもしろくて、いまを生きるアーティストもみんなそれぞれ現代の巫女とも言えるんだと思いました。

最近買った木版画セットとハイチーズの図✌︎

自分のことは自分で紹介! DAOKOについてのライナーノーツ。

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