彼女のダンステリア 土岐ひろみ / スタイリスト
彼女のダンステリア
土岐ひろみ / スタイリスト
ブレずに自分の「かっこいい」を表現しつづける強さの源。
2020.07.22
“ガールとカルチャーがドッキング⁉︎”
これは私たちのアンセム、シンディ・ローパーの日本盤LPレコードの帯にあったキャッチコピーから。
一見むちゃくちゃに読み取れるけど、でもだんだん愛着が湧いてきました。
男子に負けず刺激的なクリエイションを提示する人たち。
編集部員が心からファンになったアーティストと向き合い、
彼女たちが何を思い、何のためにクリエイティブでいるのかについてしっかりと聞いてきました。
土岐ひろみ、スタイリスト。専門学校卒業後、販売員を経験し、もともとメンズのスタイリングが好きだったがゆえに2012年より熊谷隆志氏に師事。2016年に独立し、ファッションブランドの広告やカタログ、エディトリアルなど幅広く手掛ける。ガールフイナムでも「ファッションは流転する!」、「新しいコートを着て下町立ち飲みクルーズ」など初期からとってもお世話になっています。ヒップホップをこよなく愛し、プライベートでは新妻になったばかり❤︎
Instagram @tokichang
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- ー土岐さんはガールフイナムが創刊したころからずっとスタイリング企画をお願いしていますが、筋の通ったスタイリングとカルチャーに対する真摯な姿勢がかっこよくて、編集部みんなの憧れです。同職の人にはない温度感がどこから来ているのか、自分のクリエイティブについてどう思っているのかを聞けたらと思っています。
- うれしい、よろしくお願いします。
- ー土岐さんのスタイリングからは、まんまファッションだけじゃない奥行きを感じているんですが、自分の仕事って客観的にどう見ていますか?
- 強く影響を受けたのはファッションからだけじゃなくてむしろ音楽や広告などのビジュアルからだと自覚しているんですが、それがスタイリングから伝わってるんだとしたらうれしいですね。ファッションのトレンドを提案するだけじゃなくて、さまざまなカルチャーのフィルターを通してモデルのその人となりを表現したくて。実際独立するまで、このスタイルで行けるのか自信は半々だったんですが受け入れてもらえてよかったです。私みたいなスタイリストがいてもいいかなと思うんですよね。
- ーお仕事として、いわゆるスタイリングの仕事もあるけど、〈スノーピーク(Snow Peak)〉や「ネペンテス」「しまむら」など、土岐さんの背景にあるカルチャーを読み取って仕事の発注をするブランドとの絆を感じます。ディレションが可能な現場において、土岐さん的なスタイリングのありなしや、自分らしさを出すプロセスってあるんですか?
- 基本は自分がインプットしてきたものを感覚で落とし込んでいます。いままで作ったクリエイティブを振り返ると、着た本人とコーディネート、ビジュアルのテーマがマッチしてるものが気に入っています。それで他の人があまりフックアップしていないモデルなら最高。すでに人がやっていることや、わかりやすいおしゃれっぽい感じにするのは絶対に嫌ですね。あとすごく個性的なうるさいスタイリングも苦手で。
- ー全体的に品が漂っていますもんね。ちなみにそもそも土岐さんはいわゆる「トレンド」って気にしているの?
- いや、もちろん見ているんですよ(笑)。トレンドを無視しているわけじゃなくて、一回自分の中に入れてから生まれた思いや考えをスタイリングに落とし込んでいます。なにかをマネするのが苦手なので。もともとセンスはいいと思っていたし、好きなものも間違いないって根拠のない自信はあったんですけど。いま独立して4年で、だんだん自分が好きな人たちに作品を褒めてもらえるようになり、このスタンスで合っているのかなと。
- ー失礼しました(笑)。
- 自分では多くの人にいいと言ってもらえるものを作っているつもりなんですけどね(笑)。大きく外れていたり、突飛なことをしてる感覚もなくて…。
- ー日本だと例え知名度がある人でも前衛的な表現だったりすると受け入れられない場合が多いけど、海外だと内容がある作品なら尖っていても受け入れられる感じありますよね。
- わかりやすいものや、共感を呼ぶものじゃないと日本では受け入れてもらえない傾向があるから…。これからどんどん力をつけて、自分の思っていることを変わらず表現して、最終的には日本のセンスを底上げできたらいいなって思っています。
- ーそこには古くからのシステムやルールを変えたいって気持ちもあったりするんですか?
- 変えるのは無理だから、自分が地道に続けていくしかないかなと思っています。キャリアの有無だけでも話を聞いてくれる人の数も違うと感じるし。違和感を感じたシステムや納得できない発言に真っ向から反発しても、相手からアンチをくらうだけだから。復讐するとか戦争するより、“そいつより幸せになってやる”ってスタンスですね。
- ー土岐さんのクリエイティブは作品撮りの時代から見せてもらってますが、一貫性があるし最近ではいろんな先輩方ともタッグを組んでお仕事してたりと、業界の上のほうの人たちもおもしろがっている流れを感じます。転機になった仕事ってありますか?
- いちばん褒められたのはGEZANのアーティスト写真かな。彼らは突然現れた天才のように思われがちですが、地道に10年くらい活動を続けるなかで、有名な人たちにフックアップされ、本や映画を手掛けたタイミングだったんですよ。その連鎖の始まりに関われたことは好運でした。
- あと〈スノーピーク〉の仕事をやらせてもらっているのも嬉しいですね。毎回自分を100%出せる仕事は、見た人を泣かせるくらいのものを作りたいって思っているんです。私も誰かの表現物を見て、心が動く瞬間が好きだから。
- ーところで「とにかく服が好き」みたいな時代はあったんですか?
- 中学生くらいファッションに目覚めたときがいちばん「いわゆる服好き」だったような気がしますね。まだ同世代の子は行かないようなセレクトショップで服を買うのがおしゃれだと思っていた記憶があります。で、一緒に行った母がおもしろがって「私の服も選んで」と言ってくれて。それがいまの自分につながっている気がしますね。母に感性を否定されたことは一回もないんじゃないかな。
- ー素敵ですね。自分の心がブレずにこれたのはお母さんの影響もあるんでしょうか?
- 母がおもしろいって感じてくれてたから私も好きなものを突きつめられたし、興味がある方向にだけ視野を広げられました。習いごとも、ジャズや空手など自分がやりたいものに通わせてくれて感謝しています。高校時代は映像にも興味があったんですが、ショートフィルムフェスやCMフェスなどが仙台に来ると、母につき合ってもらってました。もともと自分の趣味を他人にシェアすることに興味がないので、当時は母だったし、いまは旦那のロブに言って共感してもらえればいいんです。あとインスタもあるしね。
- ーそのなかで映像の方向に進もうとは思わなかったんですか?
- 高校生で進路を決めるときにどんな仕事だったら長く続けられるか考えたのですが、コーディネートをつくるのが好きだったんでスタイリストかなと。服と髪型の組み合わせを考えすぎて毎朝遅刻していました(笑)。
- ーそのころ、お母さんに共有していたのはどんなこと?
- 当時、雑誌『ブルータス』やCMで見たスタイリングにすごく心が動かされたんです。ファッションとそれを着る人とが融合して生まれた視覚的表現にぐっとくるタイプで。私もこういうクリエイティブが作りたいと話していました。あとヒップホップがずっと好きで。仙台の田舎で暮らす私でもこういうカルチャーを知れているんだから、どこかで仲間に会えると信じてました。
- ー上京して、すぐにそういう仲間には出会えました?
- それが全然で(笑)。ファッションがこの世でいちばん!という人が多く、音楽や映画などさまざまなカルチャーに優劣はないという私の考えとは違ったんですよね…。だからファッション系じゃない友達のほうが多かったですね。独立後は同じ業界で気の合う子も増えて。いまは味方がいることでどんどん強くなっています。
- ーよかった。ところで今後どうなりたいですか?
- 名声を得たいですね。
- ーラッパーみたいですね(笑)。
- このスタンスのまま、もっと多くの人に私を知ってもらいたいし、スタイリストという仕事をやり切りたいですね。〈ユニクロ〉や「ネットフリックス」、「アップル」なんかは、大衆に対してセンスいいものを提供しつつ世界中で受け入れられていますよね? 私もそんな存在になりたいです。極めてから、次に何をしたいかを考えたいです。
自分のことは自分で紹介! 土岐ひろみについてのライナーノーツ。
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